安倍晴明(あべのせいめい)




誕生と背景
●存命期間
延喜(えんぎ)二十一年(921)誕生
寛弘(かんこう)二年(1005)九月二十六日に他界・・『土御門家記録』
(注)この土御門家記録は晴明死後、数百年後に書かれている。
没年については明確な日にちまで記されており、八十五歳で他界したとあるため、
誕生については逆算による推定である。


●系譜
『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』では父母なく「化生之者」と記してある。
『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』安倍氏系図では初代「右大臣・安倍御主人(みうし)」から数えて
九代目「大膳(だいぜん)大夫・益材(ますき)」の子となっている。
またこの尊卑分脈には天文博士であり、従四位下と記されていますが、その他としては祭祀を執行したとされる記録が
数件残っているものの、それ以外に当時(平安時代)に記されたものは何もありません。
晴明は父と同じく大膳大夫を努め、左京権大夫・穀倉院別当などの官を歴任している。

初代「安倍御主人」は『竹取物語』の中で、かぐや姫に求婚する貴公子の一人「右大臣・阿倍御主人」です。
『公卿補任(くぎょうぶにん)』に、大宝三年(703)の項、閏年四月一日に右大臣・阿倍御主人を
「安倍氏陰陽先祖也」と記されてあり、阿倍と安倍のという表記上の違いはあるものの「安倍晴明」の祖と考えている。

出生地については明確な記録が残っていないが、大日本史料所引『讃岐国大日記』や
『讃陽簪筆録(さんようしんぴつろく)』によると、讃岐国香東(こうとう)郡井原庄に生まれた、と記されている。
『西讃府志(せいさんふし)』では香川郡由佐の人となっている。
真相は明らかではないが、残された逸話から讃岐の国と何らかの関係があったと思われる。

●安倍氏系図

右大臣御主人-----広庭(中納言)-----嶋丸(参議・正四下)-----粳虫-----道守-----兄雄(参議・左中将)
-----春材(淡路守)-----益材(大膳大夫)-----晴明(大膳大夫)-----吉平(主計頭)
-----時親(主計頭)-----有行(主計助)-----泰長(雅楽頭)-----政文(従五位上)


●「清明」という名
浄瑠璃などの芸能の世界では「晴明」ではなく「清明」と書かれることが多く、父は「保名(やすな)」となっており、
母・葛の葉は「白狐」となっているが、勿論これは仮構の世界のことである。
何故「白狐」になっているのか、父・保名が悪人の手から狐を救い出した。白狐は女と化し保名の妻となりやがて
安倍の童子をもうけた。
しかし狐の姿を童子に見られたために「恋そくば尋ねて来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と書き残し
信太の森(大阪府和泉市信太山附近)に帰った。父と子が母を探し、彷徨っていると白狐が姿を現し、
童子に霊力を授けられる。その後この童子は大唐の白道上人から『金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)』を授けられ、
天皇の病を治したことで五位に叙され「清明」を名乗った。
この金烏玉兎集を蘆屋道満(あしやどうまん)と争い殺害されたが、白道上人によって蘇生され
復讐を果たしたという話が残っています。

●式神を自在に操る天才で、天皇から厚い信頼を受けていました。

●安倍家の家紋
安倍家(土御門家)の家紋は「晴明桔梗印」です。 五芒星とも言います。
軍服に星形(晴明桔梗印)が付いているのは魔除けの意味から付けられたと云われています。
桔梗は秋の七草で青紫の花弁をしています。
ちなみにダビテの紋章は六芒星です。


晴明が狐(信田明神)の子であると云う伝承はかなり古い頃からあったようである。



☆「安倍晴明神社」大阪市阿倍野区にあり晴明を祀り、社前に「安倍晴明誕生伝承地」の標柱が建っている。

☆「晴明神社」京都市上京区堀川通り一条上ル晴明町にあり、晴明の邸跡に建てられた鎮霊の神社。
この神社の近くに「一条戻橋」がある。この橋は晴明が父親の惨殺死体を秘術の限りを使って蘇生させた場所として有名である。
今でも地元の花嫁は決して渡らない橋としても有名である。
境内には悪病難疾を平癒させる晴明水(井戸)あり、遠方からもこの霊水を求めて人の絶えることがない。
同じ様な主旨で神奈川県鎌倉市山ノ内にも晴明を祀る安倍晴明大神の碑(北鎌倉駅の西にある晴明石)があり、信仰をあつめている。

☆「信太森葛葉稲荷神社」大阪府和泉市王子町919にあり、白狐・葛の葉ゆかりの地として有名である。
ここには姿見の井戸・白狐石・御霊石など伝説を偲ばせるものがある。

☆「安倍山文殊院」奈良県櫻井市安倍山にあり、安倍氏を代々祀る日本三大文殊の一つ。
この神社は大化改新の際に左大臣となった安倍内麻呂が一族の氏寺として建立した。
『天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも』と詠んだ安倍仲麻呂の像も
安置されており、子孫だということで晴明の木像も祀られている。
晴明のつくった暦は仲麻呂が唐で学んだものを参考にして作られたと伝えられており、日本の暦の原点がここにある。

☆「天社土御門神道本庁」福井県遠敷郡名田庄村納田終129−9
入り口に五芒星を描いた提灯、床の間には松明をかざす式神と安倍晴明の画像が掛かっている。
ここは土御門家の旧所領地で陰陽道祭祀の地である。
応仁の乱の戦火を被った土御門家(安倍家)は知行地だった此の地に分霊を遷宮し、祀った。
賀茂神社・貴船神社・善積川上神社・この天社。賀茂神社と貴船神社は鬼門封じのために土御門家が勧請したもので、
善積川上神社は安倍家の御霊社である。

ここ以外にも全国に晴明にまつわる神社が多数ある。

出生地については謎に包まれている事が多く、らしいと言えば晴明らしいと言えよう。


『常月将以占時加、日辰陰陽視』
「常ニ月将ヲ以ッテ占時ニ加ヘ 日辰陰陽ヲ視ン」

           占事略决:安倍晴明

  


 


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