一条戻橋伝説




●所在地
京都市上京区堀川通りにあり、二条城正門前を流れる堀川の川沿いを、正門から北に10分くらい歩くと
この橋に着きます。さらにこの橋の近くには「晴明神社」があります。

●奇怪な伝説
この橋の名前の由来については『撰集抄』巻七に熊野の僧「浄蔵」が父・三善清行の葬列にこの橋で出会い、
しばし観法を行ったところ、父・清行が蘇生した。それで戻橋という名前が付いたと記されています。

蘇生=蘇る(よみがえる)ことですね。
実はこの蘇るは「黄泉(よみ)かえる」にその語源を発しています。

黄泉=黄泉の國のこと。わかりやすく言えば「あの世」のことです。
『古事記、上つ巻』に、伊耶那美の命(イザナミノミコト)がお隠れになってしまって夫・伊耶那岐の命
(イザナギノミコト)が、もう一度妻に会いたくなって黄泉の國に行きました。
夫が「あなたと共につくった國はまだ作り終わらないから帰っていらっしゃい」と言い
妻は「残念な事をしました。黄泉の國の食べ物を食べてしまったので帰れない。でもなんとか帰りたいから、
黄泉の國の神様に相談してきます。戻ってくるまで私を見ないでください」と言って
御殿のうちに入って行きました。
幾ら待っても帰ってこないので、夫は中に入って行くと、腐敗した妻を見てしまい、
妻が「私に恥をかかせた」と叫び魔物を差し向けました。
何とか黄泉の國からかえってくる事ができました。

つまり黄泉からかえる、「よみかえる」となったのです。

●現在の京都
今でも京都の花嫁は嫁入り前には、この橋に近づきません。黄泉の國から戻ってくるぐらいの
言い伝えがある橋です。そうです、実家に戻ってくる(離婚)。
嫁入り前には近づきたくありませんよね。
勿論葬列もです。

●『平家物語・剣巻』では
源頼光の四天王の一人「渡辺綱」がこの橋で美しい女性に会い「夜更けが怖いから送って欲しい」と
頼まれたので、馬に乗せたら女はたちまち鬼と化した。鬼は愛宕山に逃げ帰ったが、
渡辺綱が切り落とした腕が残り、処置にこまったので「安倍晴明」に相談した。

源頼光とその四天王といえば大江山の酒呑童子を退治した話しが有名ですね。

●『源平盛衰記』には
中宮(建礼門院)がお産の時に二位殿(平清盛の妻)が一条戻橋で橋占を問う話しがある。
同書は、その次に「この橋は昔、安倍晴明が天文を極め十二神将を使役していたけど、彼の妻は
識神(式神)の顔を怖がったので、晴明は十二神将をこの橋の下に呪し置いて、必要な時には召喚して
吉凶の橋占いを尋ね問うと、識神は人の口に移って善悪を示した」と記されている。

●余談
一条戻橋は平安京の最北端にあります。
都の内と外との境目に架かっています。
内と外、つまりこの世とあの世との間に架けられているという意味をもなしていたようです。
能の世界で怨霊が舞台へと登場する通路を「橋がかり」といいます。つまり橋の向こうはあの世です。
またこの一条戻橋の先には葬送の池があります。葬儀の列は、向こう岸にあるあの世に向けて必ずこの橋を渡りました。




 


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