聖徳太子と陰陽五行思想
●名前の起源 聖徳太子という名前で親しまれていますが、この名前は太子の死後平安中期になってから 付けられた名前なのです。 仏教を興隆した、この功績を称えて「聖徳」という名称が与えられ、もともと皇太子だったので 「太子」がつけられて「聖徳太子」となりました。 ●生前の呼び名 一)厩戸皇子(うまやどのみこ) 二)上宮王 (うえのみやのおおきみ) 三)豊聰耳命(とよとみのみこと) ●十七条憲法と陰陽五行思想 聖徳太子が制定した「十七条憲法」は推古天皇12年・甲子の年(604)に発布されている。 この甲子年には天命があらたまるとする讖緯説に基づいているという学説がある。 さらに条文十七も管子及び春秋緯書の陰陽五行説に基づき(陰の極数8と陽の極数9との和)であるとされる説がある。 管子において「天道は9をもって統制し、地理は8をもって統制する」という記述がみられるが 実際、この憲法の条文が天に当たる9条までは命令形で、地に当たる8条が禁止刑と指摘する学者もいる。
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