賀茂家




  ●安倍家と並び称される陰陽道の二大勢力の一つです。
   もともとは代々従五位下ぐらいの下層貴族でしたが、「賀茂忠行」その子「賀茂保憲(やすのり)」の
   時代に一大権威として認められるようになりました。 

  ●忠行については村上天皇(在位946〜967年)が竹籠に隠した水晶の数珠の形などを
   ずばり当てたというエピソードが残っています。
   また忠行は安倍晴明の才能を見抜き晴明の師匠にあたります。

  ●息子の保憲は父よりも優れていた才能を発揮し。暦博士・天文博士・陰陽頭を務め
   官僚としても出世しました。
   保憲は自分の息子「光栄(みつひで)」に暦道の奥義を受け継がせ、安倍晴明に天文の奥義を伝えました。

  ●賀茂家・安倍家が十世紀から中世にかけて陰陽道を世襲制としたため、秘伝の技として
   神秘・謎のベールにつつまれてしまうこととなりました。

  ●鎌倉時代に入り安倍家は有力な人材を幕府に送り込み確固たる地位を築いていましたが、
   賀茂家はこの頃から衰退の道を歩みだしていました。

  ●南北朝時代になり安倍家は土御門家(晴明から十九代の子孫にあたる有脩(ありなが)の時代に)と称し
   勢力を保ちましたが、賀茂家は室町後期に直系の嗣子(しし)が殺害されて後継が絶えてしまいました。




 


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