蘆屋道満




●蘆屋道満と安倍晴明は宿敵(ライバル)
二人とも賀茂保憲の高弟でした。
『播磨鑑』によると兵庫県印南郡岸村の出身と記されています。

●『金烏玉兎集』
安倍晴明が陰陽道を極めるために、帝の命令で唐(もろこし)の國に行っていた時の事です。
晴明は白道上人の弟子となり上人の命令で三年三ヶ月の間萱を刈っていました。
上人は文殊像を造って萱で仏閣を造りました。
この間道満は晴明の妻「梨花」に恋するようになっていました。
帰朝した晴明は勿論これを知りません。

道満は梨花に、晴明の唐における十年の修行の成果を尋ねたところ、梨花が道満に
「石の中に何かが入っている」と語りました。これをきいた道満が中を開けてみると
「金烏玉兎集」が入っていたので、急いでこれを写し取り「夢の中で『金烏玉兎集』を得た」と
語りました。「そんな事があるはずがない」という晴明と口論になり、道満は晴明を殺害しました。
そうして梨花と不義の関係を結びました。

その頃、唐の國で白道上人の文殊堂が焼け、不思議に思った上人が「泰山府君の法」を
使ってみたら晴明の死相が見えたので、急ぎ日本へむかいました。
晴明が死んでいる事を知り、晴明の塚を掘ってみると、散乱してはいたものの、
十二の大骨と三百六十の小骨が全て残っていたので術(生活続命之法)を使い蘇生させました。
そして蘇生した晴明によって首を斬られ命を失いました。

●余談
平安時代末期の歌人「西行法師」は人造人間を造ることができたと云われています。
高野山に住んでいた頃、寂しくなって人から聞いていた「鬼が人骨を集めて人を造る方法」を
思い出し野で骨を集めて造ってみたものの、姿形は人ではあるが、心が入っていなかった。
始末に困り破壊しようと思ったが殺生になるので高野山の奥深い所に置いてきた。

この話しを中納言源師仲に尋ねると「だいたいの造り方はあっているが反魂の術がいま一歩であった」
そして「香をたく」というミスを指摘し「沈と乳とをたく」という正しい方法を伝授された。
                                     『撰集抄』より


 


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