●邪馬台国の女王 出生・没年、何れも謎です。 唯一残されている記録としては『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん・中国の歴史書)にほんの数行だけ記され ています。 ●魏志倭人伝の記載事項 謎だらけの卑弥呼について記されている事実を挙げてみます。 (1)西暦180年代頃に王に推された (2)鬼道を得意とした (3)未婚で、弟が国政の補佐役をしていた (4)婢千人が侍っていた (5)城柵に囲まれた宮殿に住み、ただ一人の男子のみが飲食を運び、辞を伝えるための出入りを許可され ていた (6)死んだときに径百余歩の塚が作られ、奴婢100人余りが殉葬された ●魏志倭人伝記載の外交政策 (1)魏の景初三年(239)六月、魏帝に男の生口4人、女の生口6人、斑布2匹2丈を献じた (2)正始元年(240)魏帝から「親魏倭王」に任ぜられ、金印紫綬と銅鏡100枚を貰う。倭=ヤマト (日本の事) (3正始四年(243)魏帝に生口・倭錦などを献上 (4)正始八年(247)狗奴國との決戦の状況を魏帝に報じた ●神功皇后説・天照大神説・倭姫説など 諸子数々の説があるが『日本書紀』(日本最古の勅撰歴史書・養老四年に編集)で卑弥呼を神功皇后とされ てはいるが、魏志倭人伝に見られるように、生涯未婚であった卑弥呼が皇后となった女性と別人だと考える ほうが正しいのでは・・・ ●ヒメヒコ説 ヒメ・ヒコ制からきているが・・ ●金印「漢委奴国王」 江戸時代天明四年(1784)に博多湾口の志賀島から掘り出された一辺2〜3cm角の小さな金印(金で できているハンコ) この金印は後漢の時代に服属国に与えられたもので西域・南蛮などの国からも出土されている 漢の国に属する国として認め、その証として貴国(委=倭?)の国王にこの金印を与える、という意味なの か?
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