ヒメ・ヒコ制



   ●由来
   『日本書紀』神武天皇即位前記甲寅年条では
   九州菟狭國造の場合「菟狭國造の祖(おや)有り。号(なづ)けて菟狭津彦(うさつひこ)・
   菟狭津媛(うさつひめ)といふ」とあり彦と媛つまり「ヒコ・ヒメ」のペアで國を支配していた。

   このことからヒメヒコ制と呼ばれるようになった。

   ●邪馬台国では
   卑弥呼が祭祀によって指針をきめ、弟が補佐として伝令・実行していた。

   これはヒメヒコ制の表れである。

   ●ヒミコという呼び名
   外人さんが日本語的に「ヒメヒコ」と発言したら・・「ヒミコ」と聞こえるのか・・??

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