三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)




        ●名前の由来

        「三角縁」とは鏡の縁の断面図が山形(三角形)に突出しているので「三角縁」と名付けられた。

        「神獣」とは鏡の裏面に彫られている図案が中国の神仙思想を題材にされているのと、霊獣(龍虎など)が
        あるので「神獣」と名付けられた。

        ※神仙思想とは仙人と長生不死の考えを合わせ持つ思想で、修行と服薬の研究がすすめられ、後に道教と結
        びついた。
        魏と晋の時代に最盛となる。


        ●中国産と国産説
        この鏡は九州南部から東北南部までの広範囲の地域から出土されており、枚数は450枚以上にのぼってい
        る。

        何故これほど広範囲にわたって出土されているのかという事については、仮に卑弥呼の鏡であるならば、自
        分が倭国の支配者でありそれを魏国が認めたという事を地方の王に示そうとばらまいたとされる説がある。

        舶載鏡・・出土された鏡のうち340面ほどの鏡は精巧で裏の文様が鮮明である。これらは中国産であると
        されている。

        ぼう製鏡・残りの100以上については鏡自体が粗悪品であり文様も不鮮明である事から中国産の鏡を模倣
        した国産品であると考えられている。
        さらにこれらには銘文が無いという特徴がある。

        ●時代の認定

        今までに発見された鏡のうち数面に「景初」「正始」という年号が使用されている。
        この年号は何れも魏の時代(三世紀)の年号であるため、三角縁神獣鏡は魏の鏡であると推定されている。

        ●卑弥呼の鏡

        この鏡が卑弥呼の鏡であるとよくいわれています。

        魏志倭人伝のなかに記載されている鏡100枚を送るというのが、根拠となっています。
        年号「景初3年」という記録は日本書紀・梁書に残っている


        ●反論・疑問点

        1)三角縁神獣鏡が中国で一枚も出土していない。つまり全て国産品ではないのか?

        2)京都府福知山市の広峰十五墳から出土した銅鏡には「景初四年」という文字がある。
        魏国の年号景初は「三年」までで、この改元を知らなかった倭国の職人が造った。

        3)魏の年号が記されている四枚の銅鏡はいずれもその文字が不鮮明であり、また一部欠けているので「景
        初」「正始」と断定するのに無理がある。

        4)卑弥呼が魏から送られた鏡は「100枚」である。しかしその数を大幅に上回る450枚以上もの三角
        縁神獣鏡が出土されている。

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