●『魏志倭人伝』の原文に「事鬼道能惑衆」とある。 これは「鬼道(きどう)を事(こと)となし能(よ)く衆を惑わす」あるいは「鬼道に事(つか)え、 能く衆を惑わす」と読む。 「鬼道」のエキスパートであった事が伺える ●鬼道とは 魔法・魔術・邪法などといってシャーマニズムと解し、この技を使う卑弥呼はシャーマン(巫女)と いえる。 巫女の「巫」(ふ)という字は上の罫線が天を表し、下の罫線が地を表し、間の人という字が 踊る(祈る)人で、縦の線は天と地を結ぶ・繋ぐ神の降臨を表す。 この巫女の存在は各地から出土している「埴輪(はにわ)」から、その存在が証明されている。 ●中国道教との関わり では卑弥呼が身につけた鬼道は中国道教から伝わったものなのでしょうか? 明確に伝承されたとされる記述はないが、1992年12月京都・椿井大塚古墳から出土された 「鉄製の冠」によって可能性を見いだされています。 この鉄製の冠にある花弁形の立ち飾りが中国神仙思想における「神の冠」と類似していて 「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」の神がかぶっている冠とほぼ同型で、 いわゆる「三山冠(さんざんかん)」に似ている。 この古墳は三世紀末の古墳で卑弥呼の時代より40年くらい後ではあるが、卑弥呼もこのような 神仙思想に関わる古代中国道教の流れを身につけていたと考えてもおかしくはないのかもしれない。