じゅうにいいえたか
従二位家隆

   ●(一一五八〜一二三七年)
    藤原光隆の四男。はじめ雅隆と言いました。嘉禎二年に出家をしました。法名は仏性。
    最終官位は非参議従二位です。寂連法師の娘婿となって、俊成に歌を学びました。

    定家と並び称され『千五百番歌合』などの作者です。和歌所寄人となり、『新古今和
    歌集』の撰者の一人です。後鳥羽院から厚く遇され、院が隠岐に遷御された後も便りを
    欠かさず、嘉禎二年(一二三六)の『遠島御歌合』に十首送るなどして、音信を断ちま
    せんでした。壬生に住んだことから壬生二位と呼ばれました。

    この歌は藤原道家の娘立奠子(そんし)が後白河天皇の後宮に入内したときのもので、 十二カ月
    風物を月三題づつ描いた屏風絵に合わせて貼る三十六首のうちの一首です。このときは
    当代の代表歌人六人の歌が数首づつ採用されました。家隆のこの歌は「六月祓」の絵に
    合わせたもので「みそぎ」は六月にかかわります。
    詞書には「女御入内の御屏風に 三位家隆」としてあります。
    

   ●この和歌は『新勅撰集』夏・一九二に収められています。






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