こうたいごうぐうのたいふしゅんせい
皇太后宮大夫俊成

   ●(一一一四〜一二〇四年)
    俊忠の息子で定家の父です。はじめ顕広と名乗ってました。非参議正三位皇太后宮大夫に
    至ります。安元二年(一一七六)六三歳で出家し、法名釈阿覚、略して釈阿と言いました。
    和歌を藤原基俊に学び、源俊頼に私淑して、歌学の「左御子家」を歌学を創立しました。
    寂蓮法師や息子の定家を率いて歌壇を指導して、『六百番歌合』など多くの歌合の判者を
    務めました。『千載集』の撰者です。式子内親王に『古来風躰抄』を著して献上しました。

   ●この和歌は『千載集』雑中・一一四八に収められています。






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