じゃくれんほうし
寂蓮法師

   ●(一一三九年頃〜一二〇二年)
    俊成の兄醍醐寺の僧阿闍梨俊海の息子で、俗名は藤原定長です。俊成の養子となりましたが
    定家ら実子が生まれると養子縁組を辞退して、承安二年(一一七二)頃に出家しました。
    最終官位は従五位上中務少輔です。
    左御子家の有力歌人として、安仁二年(一一六七)の『平経盛朝臣家歌合』など多くの
    歌合に出席しました。建仁元年(一二〇一)に和歌所寄人となり新古今和歌集の撰者と
    なりましたが、撰歌途中の建仁二年に病没しました。

    詞書には「五十首歌奉りし時 寂蓮法師」とあります。この五十首歌とは建仁元年二月の
    「老若五十首歌合」のことで、当代一流の歌人十人が一人十首づつ出して五十番の歌合が
    催されました。

   ●この和歌は『新古今集』秋下・四九一に収められています。






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