りょうぜんほうし
良暹法師

   ●(生没年不詳)
    康平七年(一〇六四)頃没しました。母は実方家の女童で白菊といいます。
    天台宗祇園別当を務め、橘俊綱(藤原頼通の息子。伏見修理大夫と称されました)の伏見
    邸にしばしば参会したり、長暦二年(一〇三八)九月一三日に催された『大納言師房歌合』
    などの数回の歌合に出席しています。源経頼、素意法師、橘為仲らと親交がありました。

    良暹法師が洛北大原に住んでいたことは、『詞花集』に「大原に住み始めけるころ」と
    詞書のある歌によって明かです。大原は古くから比叡山の別所でしたが、比叡山が俗化
    するのに従って、まじめに修行しようとする僧侶の隠住の地となっていきました。

    この歌は、『三夕の歌』を先取りしたものとして有名です。

   ●『三夕の歌』
    西行法師、寂連法師、藤原定家の歌で、いずれも最後の句が「秋の夕暮れ」となっている
    歌で『新古今集』の幽玄を象徴する歌として有名です。百人一首には西行法師と寂連法師の
    歌が収められています。

   ●この和歌は『後拾遺集』秋上・三三三に収められています。






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