宇治・上林記念館


京都は平等院鳳凰堂のほど近く「宇治・上林記念館」を、 主に蔵品図録からご紹介いたします。
記念館には、貴重なお茶の資料が沢山保存されておりますので、 京都を訪れた際はぜひお立ち寄りください。
後少し、掲載できるものが手元にあるのですが、、、、

宇治・上林記念館 周辺図
〒611 京都府宇治市宇治橋通り一丁目
TEL: 0774-22-2513 FAX: 0774-22-4962

茶問屋 有限会社上林春松本店
〒611 京都府宇治市宇治妙楽 38
TEL: 0774-23-8855(代) FAX: 0774-23-5434
(最終更新日:2000.01.15)

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はじめに -- 宇治茶と上林 --

上林家は、もと丹波上林郷(京都綾部市)に居住する土豪であった。 永禄年間に、初代久重が宇治に移住し、茶業に携わったのが、 宇治茶と上林家の結びつきの始まりである。 久重の4人の子息はそれぞれ一家を興し、上林久茂、上林味ト、 上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師として、 生産流通に重要な役割を果たすことになる。 桃山時代には豊臣秀吉に重用され、茶頭取として上林一族に 宇治茶の総支配を命じ、また、宇治郷の代官にも任じた。 徳用三代将軍家光の時代になると、将軍家御用のお茶の調達を 宇治茶師に当らせ、茶壺の往還には豪華な行列「茶壺道中」 をもって行なった。 明治維新後、宇治茶師の各家は相次いで転、廃業したが、 上林春松家は唯一宇治茶師の後裔として現在に至るまで茶業を 営んでいる。

chikuan.gif上林竹庵は、 上林又兵衛家の始祖、上林久重の四男で若年より徳川家康に仕え 三河土呂郷の支配に当って百石の知行を受け、三河茶の栽培に 関与したと伝えられる。
のちに宇治に帰り茶業に精励したが、関ケ原役に際して、 旧主家康の恩に報じて伏見城に籠って鳥居元忠とともに奮戦し 城内において戦死した。
この像は竹庵の百年忌に際して宇治平等院に祀られたもの、 その功を讃えて建立された顕彰碑は平等院境内にある。

宇治・上林記念館蔵品図録(第一輯)

宇治・上林記念館の記 林屋辰三郎
宇治茶と御茶師 若原英弌
図版1 葉茶壺「清香」 (96.6.30 掲載)
図版2 沢庵宗彭筆 狂句短冊 (96.7.5 掲載)
図版3 穎川 色絵鉢 (96.7.6 掲載)
図版4 永楽妙全 青交趾寫 菱形水指 (96.7.6 掲載)
図版5 茶師の長屋門 (96.7.20 掲載)
図版6 小堀遠江守消息(切紙) (96.7.20 掲載)
図版7 古田織部重然消息(折紙) (96.7.20 掲載)
図版8 後楽園御庭焼 黒茶碗 (96.7.20 掲載)
図版9 高麗/朝鮮 茶碗 (96.7. 28 掲載)
図版10 尾張大納言知止斎作  一重花入 「磨墨」 (96.7.28 掲載)
図版11 今日庵玄々斎作 茶杓 「五節句」 (96.8.4 掲載)
図版12 一入作 赤茶入 「東雲」 (96.8.10 掲載)
図版13 志野茶碗 (96.8.17 掲載)
図版14 信楽茶壺 (96.8.17 掲載)
図版15 伊賀耳付花入 (96.8.17 掲載)
図版16 朝鮮 三島鉢 (96.9.8 掲載)
図版17 古丹波水指 (96.9.8 掲載)
図版18 朝鮮 大高台茶碗 (96.9.8 掲載)
図版19 九朗造 志野八寸 (96.9.8 掲載)
図版20 古信楽水指 (96.9.22 掲載)
図版21 柏葉形手付鉢 (96.9.22 掲載)
図版22 南蛮掛花入 「へちま」 (96.9.22 掲載)
図版23 備前 水指 緋手透 (96.9.22 掲載)


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