みんなの思いがお空に届いてピカピカのお天気の下で開催できました。
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思いは叶うよ
先月の下旬辺りから、夕方には気温が下がり、夜もクーラーなしで快適に眠れ、朝も涼しく、おひさまが真ん中に上がるまでは、過ごしやすい季節になりましたね。 9月22日のほほえみ祭りでは、保護者の皆様におかれましては、お仕事のご都合をつけご参加いただき、ありがとうございました。お天気が危ぶまれる状況でしたが、みんなの思いが、お空の神さまに届いて無事に屋外で開催出来たことを嬉しく思います。卒園生たちも遊びにきてくれて、成長した姿に、巡る季節の歳月が心に沁みました。今月 7日(土)はほほえみ運動会です、ぴかぴかのお空の下、みんなの笑顔が溢れるように、お空の神さまの涙が降ってこないように、みんなで当日の、快晴の青空を想像しましょう、 思いは叶うよ、つよく願えば願うほど…
9 月は長月(ながつき)、日増しに夜が長くなって、季節は仲秋ですが、まだまだ暑い日も ありますけれど、空の雲に秋の気配を感じるようになってきました。行合の空(ゆきあいのそら) という言葉があり、夏から秋に移る頃の暑気と冷気が行き合う空のことで、入道雲が湧き上がって いる空に鰯雲や巻雲が見える時があります。ゆく季節と訪れる季節が一つになった、風情を感じる 空のことを言い表わします。小学校では夏休みも終わり、新学期が始まりますが、保育園でも気分を 新たに、金木犀(きんもくせい)の花言葉のように謙虚で気高く、振舞いを律して行こうと考えます。 ほほえみ祭り、運動会と続くドキドキワクワクのイベントが、みんなの心に染み込む物語の 1 ページ になれたなら、職員一同、幸せです。
お兄ちゃんお姉ちゃんのいるおともだちは「保育園には夏休みはないのかなぁ?」と考えてみたり、赤ちゃんがいるおともだちは「あつくてねぐるしそうだよ」と心配したり、 暑さに負けず元気なおともだちは「今日はプールあそびできるかなぁ?」とセミの鳴き声が ハートを揺さぶるオーガスト、暦月の英語の語源は、ローマ時代にさかのぼります。ローマ皇帝の アウグストゥス(Augustus)が、8 月に自分の名前を付けたところからAugust となりました。ちなみに 7 月はジュリアス・シーザーから July。和風月名(わふうげつめい)は葉月(はづき、はつき)です。 由来は木々の葉が落ちる月、旧暦だと 8 月はもう秋なのですね。西洋は偉い人が自分の名前を勝手につけて、日本は 自然の営みの季節感から月名が生まれてくるなんて、先人たちの感性豊かな DNA をちょっとでも受け継いでいたら幸せです。
織姫様へ
空の果て
離れ離れの
僕と君
心はいつも
隣にいるよ
彦星より
6月30日現在、6羽の雛たちは無事に巣立って行きました。巣立ってもしばらくは親鳥から餌をもらって生活します。雛たちが独り立ちできる目処がついたら、親鳥は2回目の繁殖を始めます。残念ですが、無事に巣立ったヒナの殆どが、渡りや越冬中に死んでしまいます。親でさえ帰還する確率が50%を切っているのですから、巣立ったばかりのヒナはもっと困難であることが容易に想像できます。「命の価値」の話は現代社会ではタブー視されますが、長年の生物学の進歩により繁殖価に基づいて行動してることが分かってきました。20歳を過ぎるまで死を意識することがあまりないヒトと違って、多くの生き物はそれほど簡単にはいきませんし、死ぬことが当たり前の中で生きています。それでも、なんとか一人でも子孫を残そうとして、燕の親は出来る限りの繁殖戦略(子孫繁栄)を採用しているそうです。(引用 長谷川 克 ツバメのひみつ)
雨の日も晴れの日も
♪ ぴかぴか晴れた日がいい、しとしと雨の日はいやだよ。でも水と光で花が咲くんだよ、片方だけじゃつまらない ♪ おひさまの光が降り注ぎ、雨が地面を湿らして植物が育ち、その植物を動物が食べ、人間はその両方を頂いて生きています。何十億年という植物と生物の営みがCO2とN2だらけの大気中にO2(酸素)を排出して4億年前に現在の環境になりました。人間の一生なんて地球の歴史の中で、ほんの一瞬の出来事ですよね、でもその一瞬をキラキラに輝いて、次の世代に受け渡して行ける生き方こそ、愉快な人生ではないでしょうか。雨の日も晴れの日も、小さな幸せを見つけて、ほほえみを振り撒いて歩いて行きましょう。
夜の有料国営放送のニュースを見ていたら、国の頂点に立つ政治家の人が、誇らしげな笑顔で海外の要人たちと、広島で記念撮影してました。ニコニコしているのは隣のおじいちゃんだけ、他の人たちは、なんだかシレーっとした表情。誰かは判りませんが、その中の一人の、心の声が聞こえてきました。「全くアイツは何を考えているんだ?いや何も考えてないからヘラヘラしてるだけなんだな」仰る通りで御座います、「米国の御機嫌取りと、中国の御用聞きさえやってれば、今の地位は安泰だぜ」というオーラが出まっくています。最近よく新聞にロシアの戦争犯罪のことが記事になっていますが、広島と長崎に投下されたものこそ、戦争犯罪ではないのでしょうか?ソビエトの北方領土進行は米国が支援したとか、中国の権力者と米国の資本家との繋がりとか、carbon neutral・SDGs・LGBTとか横文字標語の胡散臭さ、無償という名の国民負担、糖質制限やサプリメントの欺瞞、私の頭皮の問題とか、そういう事を真剣に話し合う時期が来ましたね。国の頂点に立つ人は、まずは、この国の未来を、子ども達の笑顔を、一番に考えて頂きたい。
この国に生まれて
57年が経ちました。高度成長期、バブル経済と世界第2位の経済大国の時代を私は知っています。スマホは無かったけれど、周りは活気に満ち溢れていました。その後のバブル崩壊、失われた30年、そして今、未来。子どもを保育園に預けて、お父さんお母さんは一生懸命働いているのに、貰える給料は30年前と同じ額。さらに税金、社会保険料が本来貰える額の3割を国に納めさせられて、実質の賃金は30年前より下がってます。たぶんこのままだと、国に納めるものはもっと増えるでしょう。それでも老後に支給される年金だけで、優雅に暮らせる未来なんて、想像出来ますか?何かおかしいと思いませんか?何でこんな事になっているのでしょう?それは戦勝国の都合による戦後教育の影響で、テレビや新聞の流す情報を鵜呑みにして何も考えずに生きてきた、私たちの責任もあると思います。このままでは、今の子どもたちが大人になったときのことを考えると、生きた心地がしません。何かを変えなければ何も変わりません。今からでも遅くはありません、子どもたちの未来のために行動しましょう。
3月13日(月)からマスク着用は個人の判断に委ねられました。(それ以前は強制だったのですか?)銀座でホリスティック医療の診療所を開業している医学者の方が面白いことを仰っていました。「マスクとウイルスの関係は、無人のサッカーゴールにピンポン球を投げ入れているようなもの、ゴールバーに当たって弾かれるかもしれないと考えている方がまだ沢山いらっしゃいます」ウイルスに感染している人がマスクをするのは、飛沫粒子の飛散を防ぐので効果はあるでしょう。しかし健康な人がマスクをしても、感染拡大防止の効果は疑問に思います。私の思いは、子ども達を早くマスクから解放してあげたいだけです。残念ながら子ども達は大人を見て育ちますから、マスクを外したがらない、というかマスク着用が当たり前の日常と思ってる子どもが沢山います。このままでは、お家以外の場所では、食事する時以外は一生マスクを着ける、素顔を出すのはお家の中だけ、友達の顔も先生の顔もよく分からない、という空恐ろしい人生を送っても良いのでしょうか?お母さん方はマスクをしてた方がお化粧が手抜き出来て楽なのかもしれません。でもここはひとつ、子ども達の素敵な未来の為に、健康な大人の皆さんはマスクにお別れを告げましょう。