自由劇場ものがたり−−−(3)[躍動期篇]

六本木の小劇場を拠点に多彩な展開


”オンシアター”がつき、連続10本公演

 1975年4月公演の[遥かなる鼓笛](串田和美作・演出)より、それまでの[自由劇場]から現在の[オンシアター自由劇場]と改称した。この経緯について串田は雑誌のインタビューにこう答えている。

 その前は「アンダーグラウンド」だった。佐藤信や斎藤憐たちと劇団を始めるときにみんなで考えてそうつけたんてすけど、当時、アングラという言葉はまだあまり使われてなくてね、「アングラ」にもそれなりの魅力があったというか、イメージの広がりがある言葉だったんです。

 ところが、そのうちに”アングラ”という言葉が一人歩きしだして、逆に僕らがそのイメージに引っぱられ出した。世間でいう”アングラ”が逆にすごい弊害になりだしたのね。なにか、こう、そういうんじゃないのになあ、という気持ちが僕の中にずーっとあった。で、佐藤信たちと集団としてはいったん解散するというカタチになったときに、新たに出発するのだから、じゃあ、自由劇場という小屋は変えないけれど、気持を変えよう、そんな気持になって、「アンダーグラウンド」に対して「オンシアター」というものを考えたんです。

([広告批評]81年10月号より)

 こうして自由劇場の〈第2次〉ともいえる[オンシアター自由劇場]がスタートしたわけだが、もちろん拠点は六本木の地下劇場[自由劇場]。ここで75年の4月から1年間に20日間公演を10本、連続上演するという、文字どおり劇場そのものが芝居という発想のレパートリーシステムを貫いた。しかもいずれも新作、串田和美はじめ竹邑類、田槙道子、家高勝らの書き下ろしを中心にシェイクスピア作品([リチャード三世])も1本加えて、毎月1月が初日で20日が千秋楽というパターンだった。ちなみに、このシリーズの入場料は、前売・予約が1000円、当日売が1200円。

コンビ マクベス12

 ミュージカル・コメディあり([コンビ])、今日のシアターコクーンての数々の舞台の下敷きになったと思われる阿呆劇あり([マクベス12])、ほかにもレビューの愉しさを小劇場で存分に見せつけた[東京レビュウ][どしゃぶり皇帝]、さらには新型時代劇レビューと銘打った[幕末ちんぴら遊侠伝 新式・木偶]と実に多彩なおもしろさに満ちたレパートリーが並んだ。どの作品も千秋楽は追加公演をやるほどの人気で、なかには[東京レビュウ]のように千秋楽に3回やった例もあった。

 当然、翌月の上演のために午前中は稽古、夜はその月の本番、その合い間をぬって次の次の作品の準備という芝居漬けの1年間だった。串田は10本全部に出演、加えて作・演出という作品も4本という大車輪の活躍ぶり。吉田日出子も9本に出演した。

幕末チンピラ遊侠伝 新式・木偶

 出演者でいえば本稿前回で紹介した綾田俊樹、柳原晴郎らのほかに、笹野高史が柄本明と名コンビを組み、芸達者ぶりの片鱗をすでにのぞかせていたし、萩原光男(現流行)、北見敏之らもこの頃の[オンシアター自由劇場]が俳優としての第一歩となっている。また女優陣では秋川リサが再三客演で出演、のちの[もっと泣いてよフラッパー]の『お天気サラ』に通じるキュートな魅力をふりまいた。

 これらの作品のなかで[幕末ちんぴら遊侠伝](作・演出/串田和美+竹邑類)の新聞評を紹介しておく。

 時は幕末。江戸の町を舞台に、まず時代の激変ぶりが町人笹野高史と柄本明のコンビで描かれる。次々と二人の前を通りかかる人物がユニークで、特に吉田日出子のおいらんが昔の恋人、串田に出会った時、ほとんどセリフのないままに、スーツとひと筋涙を流す場面は情感あふれて出色だ。展開される江戸庶民風景は笑いも多く楽しい。

 そうした中で「武士も町人も同じ人間じゃ、ふんどし一丁になりゃ平等だ」という坂本龍馬らしい男・家高勝のもとで町人や浪人の串田、柄本、笹野や田村連、萩原光男、大森博らが倒幕隊風組を結成、結局は挫折していくまてが描かれる。自由をつかんだと思いながら、世のしがらみの中で流されていく個々の運命は現代にも通じていて、ドッシリとした手応えのある舞台となった。(花)

(スポーツニッポンより)

[上海バンスキング]の誕生

 さて、連続10本公演が終ったのもつかの間、76年の秋10月には[幻の水族館](串田和美作・演出)を上演。
 これは9年後の85年に博品館劇場で再演されている。

 続く11月の[お化粧銀次 紅葉鳥恋浮橋](家高勝作・演出)では『串田和美改め藤川延也襲名披露興行』と銘打たれ、これからしばらく串田は俳優としては藤川延也を使い、作者や演出家としては串田和美で活動した。ちなみにこの時の音楽は岡林信康が手がけている。

 翌77年は話題作が多かった。
 まず5月、ダンサーの殿岡ハツエに秋川リサ、文学座の林秀樹、8年ぶりに古巣に戻った樋浦勉らを客演に串田がリア王を演したシェイクスビアの[リア王](家高勝潤色・演出)、この舞台では吉田が演じる道化が異彩をはなっていた。

異説のすかいおらん

 10月の[異説のすかいおらん]は斉藤憐が[オンシアター自由劇場]のために初めて書き下ろした作品([トラストD・E]から8年ぶり)だが、これには今は亡き岸田森が[鼠小僧次郎吉]以来、8年ぶりの舞台復帰、銀粉蝶もキャストに名前を連ね、また小日向文世が『首姓・黒子』で本公演初舞台を踏んでいる。

もっと泣いてよフラッパー上演リスト
上演リスト

 そして[もっと泣いてよフラッパー]の初演がこの年の12月だった。翌年2月の[ハムレット]をはさんで5月にはフラッパーの[銀色の陰謀編]が上演され、あらたにこれも故人となってしまった草野大悟が加わっている。

 そして、そんななかの1本に[上海バンスキング]があった。79年1月25日初日。100名も入ればいっぱいになる六本木の地下劇場にその日、集まったのは半分より少し多いぐらいだったか。自由劇場は通常いつも出足が遅く、後半になると入りきれなくなるのだが、この芝居も例外ではなかった。

上海バンスキング上演リスト
上演リスト

 その後、ギリシャ悲劇[エレクトラ]が『若手公演』と名づけられ、平林恒茂演出で行われたり、[妖しい風よララバイ 夏の夜の夢][マクベス]とシェイクスピア劇が2本続き、さらに[おいでゴンドラ]などを経て、1年後の80年2月には[上海バンスキング]が再演されている。同作品は第14回紀伊国屋演劇賞(団体賞)や作者の斎藤隣が第24回の岸田戯曲賞を受賞したり、この時点ですてに圧倒的な支持を得て、開場の数時間前から劇場前に行列ができたり、切符が手に入らないという現象もおこった。

三度目の正直[黄昏のボードビル]

 前出の[おいでゴンドラ]は本来は斎藤燐による書き下ろし作品[黄昏のボードビル]が上演されるはずだったが、串田が「このホンは、もっと練って上演しよう」という提案で急遽、串田の作・演出で上演したものだった。

 さて、その斎藤の昭和初期の浅草の群像を描いた[黄昏のポードビル]は80年11月にようやく上演されたが、その年の4月が公演予定だった。が、この時点でも最後の景が書けず、結局大入りを続けていた[上海バンスキング]を続演したという経緯がある。

 また[黄昏のボードビル]は当初斎藤の演出の予定だったが、串田の大胆なテキストレジーもあり、『潤色・演出 串田和美』で公演された。そのへんの事情は、『斎藤隣戯曲集3』のあとがき(解題)に著者が記しているし、また同作品の上演チラシに串田もこう書いている。

(前略)今回の「黄昏のポードビル」は、斎藤氏にとっても、僕にとっても、集団にとっても、実に長い、苦行のような時間を必要とされてしまった。彼がこの題材を提案したのは、「上海バンスキング」の初演の時だから、もう一年と十カ月にもなるがその間、三度書き直しがあり、二度の上演延期があった。それはもちろん我々集団の未熟さのせいでもあろうが、又、斎藤氏の、さらに不可能なるものへ挑戦して行く姿勢の結果かもしれない。

 今回の上演台本は、その三つの原稿と、集団によって集めたさまざまな資料をもとに、集団によって話し合い作り上げたものだ。その結果主要な人物の何人かが消え、新たなる登場人物が登場したり、まったく別のシーンがいくつも挿入されたり、それはいわゆる演出家のテキストレーシの範囲をはるかに越えたものになってしまった。

 しかし僕としては、あくまで斎藤隣の原作から触発されたものを出発点とし、演出としての仕事をしたつもりでいるし、又、このような無謀で失礼極まるこころみを、寛大なる斎藤氏が赦してくれたことを心から感謝している。実際、こういうものの作り方は、そうそう赦してもらえないものなのだ。そして、今回も又、斎藤氏のおそろしい崇高なる挑戦を、あまりまともに受とめられなかったのではないかと、心細くなっている。(後略)

 同じチラシで〈それにしても、これほど楽しみな初日ははじめてだ。〉と、斎藤が書いた公演は、連日大入り満員、11月11日初月で当初12月4日まての予定が急遽続演決定で12月16日まで上演された。串田は出演しなかったが、吉田は7役を演しるなど奮闘した。

 なお、演劇公演ではないが、”[上海バンスキング]人気”で『自由劇場オリジナルバンド』が横浜港氷川丸でジミー原田率いる『オールドポーイズ・オールスターズ』と競演してジャズコンサートを行なったり、吉田日出子がホテル・ニューオータニ、クリスタルルームてショウを行ない、演劇ファン以外の広範な観客の熱い支持を集めるようになったのは81年夏のことだったことも付記しておく。

(敬称略・構成/編集部、写真提供/オンシアター自由劇場) [91.07.13-91.07.28 「もっと泣いてよフラッパー」(五演)公演パンフレットより採録]
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