ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん
後京極摂政前太政大臣

   ●(一一六九〜一二〇六年)
    
    忠通の孫で九条兼実の次男です。詩歌をこよなく愛し和歌を俊成に師事していたばかりか、
    御子左家を後見していました。「花月百首」「六百番歌合」などを催しました。後鳥羽天皇
    の信任も厚く、新古今歌壇の醸成に力を尽くす一方、漢詩文を親経に学んで優れた才を示し
    ました。書にも優れていて後京極樣といわれます。

    建仁元年(一二〇一)和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者の一人で、新古今集の
    仮名序を書き、関東の作者となりました。摂政となってわずか四年後の元久三年(一二〇六)
    寝所で何者かに槍で刺されて急死してしまいます。様々な憶説がありますが、新古今集に
    入選しなかった人の恨みをかってのことだという説もあります。
    

   ●この和歌は『新古今集』秋下・五一八に収められています。






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