ほうしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん
法性寺入道前関白太政大臣

   ●(一〇九七〜一一六四年)
    藤原忠通。父は知足院関白忠実、母は右大臣顕房の娘。兼実・慈円の父です。
    鳥羽・崇徳・近衛・後白河の四朝に仕え関白を歴任しました。従一位。
    応保二年(一一六二)に出家、法相寺殿と呼ばれます。父忠実と不和となり
    氏の長者の地位を奪われますが、保元の乱で崇徳院と弟頼長を倒して再び
    氏の長者の地位に戻ります。書の方では法性寺流の祖と言われます。

    『類聚歌合』の編纂に力を尽くし、源俊頼朝臣、藤原基俊を庇護しました。

   ●この和歌は『詩歌集』雑下・三八〇に収められています。






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