1-3. 千代島理論は止まらない
 さて、千代島氏はこのような珍妙な考察のあげく、

 「人間」は、観測される系のいろいろな状態の中から、 特に低エントロピー状態を出発点として「自由」に「選択」する。

 そしてこの出発点の由来の問題を故意に「無視」する。 ----人間のこういう自由な選択と無視によってのみ、熱力学第二法則が成立するのである。

という素晴らしい結論に達します。本人はこれを「熱力学におけるコペルニクス的転回」と自画自賛します。

 もし、千代島氏の言うように、「低エントロピー状態から始めるからエントロピーが増大するように見える」 のだとしたら、「高エントロピー状態から始めればエントロピーは減少することもある」ということになります。 (実際、千代島氏はそういっています)。

「風呂に入っていたらお湯がひとりでに氷と熱湯に分離して大火傷&凍傷」
「自分の周りの空気がひとりでに酸素と窒素に分離して、窒息死しかけた」
「数年前に某宗教団体がばらまいた毒ガスがひとりでに一個所に集まって中毒事件が起こった」

という経験がある人がいたら教えてほしいものです。千代島氏によればそういう事が起こる可能性がある*1ということになってしまいます。

(*1) 10.Sep.1997 :「頻繁に起こりうる」という表現は不適切との指摘を受け、修正した。

 もちろん千代島氏は上記のような珍妙な出来事が頻繁に生ずると主張するほど愚かではありません (それじゃ愚かというよりキ○○イですね)。 エントロピーが勝手に減少するようなことは「滅多にない」ということは認めています。

 実のところ、現代の熱力学でも「エントロピーが勝手に減少すること」が厳密な意味で「絶対にない」 とは主張しません。上記のような出来事が起こる確率は 0 ではありません。ただし、「0 ではない」 だけです。つまり、実質的には「絶対起こらない」といっていいほどの確率です。

 だから、千代島氏の主張が、

「熱力学の第二法則は『エントロピーは絶対に減少しない』といってるけれども実際には (わずかな確率ではあるけど) 減少することもある」

ということであれば、単に熱力学をちょっと誤解している (つまり、「絶対減少しない」 を文字どおり厳密に解釈してしまっている) だけで、 千代島氏の理論自体はごくまっとうな主張だということになります。

 ところがそうではないのです。もしそうであれば、

エントロピーの法則 (修正版)
外部とエネルギーや物質の出入りがない系 (孤立系) のエントロピーは減少する事はほとんどない(多くの場合増大する)

という風に修正した第二法則であれば「客観的な物理法則」として受け入れられるはずです。 ところが、このように修正した法則ですら千代島氏によると、

(「世界を欺いた科学10大理論」p.278から引用)

 確かにこのような考えは完全には間違いではない。しかし、 私はそこに一つの重大な欠陥が潜んでいることを指摘せざるをえないのである。

なのだそうです。その論拠はまたしても「初期状態」です。

(引用の続き)

 なるほど、C のような大きなゆらぎによる低エントロピー状態*1(引用者注)はほとんどありえない。 しかし、もしそうだとすると、 いつも物理学者によって初期状態として選択される時刻 O の低エントロピー状態*2(引用者注)はどうやって生じたのであろうか?

 やはり、ほとんどありそうもないのではなかろうか? 一方の低エントロピー状態 (C) はありそうもないという理由で無視し、他方の低エントロピー状態 (O) は当然のこととして前提するのはあまりにも手前勝手な思考法だと言わざるをえないのではなかろうか?

 自分の好みや都合だけで勝手に拒否したり受け入れたりする破廉恥な態度を認めるわけにはいかないであろう。

(*1) ここでは先ほどとは少し違う例で考えているが、本質的には違いはない。 要するに C、とは孤立系の中で自然に生ずる低エントロピー状態、つまりぬるま湯が勝手に氷と熱湯に分離したような状態のことを指している。
(*2) こちらは実験の初期状態としての低エントロピー状態。つまり、最初に熱湯に氷をほうり込んだ状態である

 要するに、また同じ勘違いの繰り返しです。つまり、

外部からの介入なしに、ひとりでに低エントロピー状態が生じる

ことはほとんどないけれども、

外部から介入すれば、低エントロピー状態を作ることができる

逆に言えば、

低エントロピー状態を作りたければ外部から介入するしかない

ことこそが、熱力学第二法則の主張するところなのに、それが全然わかっていませんね。

 この程度の理解しかないのに、人の理論は「破廉恥な欺瞞」で自分の理論は「コペルニクス的転回」なのだそうです。 実におめでたい思考様式、といわせてもらいましょう。

 さて、このように書くとあるいは千代島氏は以下のように反論してくるかもしれません。

 人間もまた物理法則に縛られた存在であるのに、 人間が介入したときだけエントロピーが減少することを認め、 人間が介入していないときはエントロピーが減少することを認めないのはおかしいのではないか。

 熱力学第二法則が正しいならば、自然界には低エントロピー状態は滅多に存在しないはずである。 なのに、人間だけがその滅多に存在しないはずの低エントロピー状態を自由に作り出すことができるという、 人間だけが特別だ、という勝手な理屈を私は批判しているのだ。そんな事もわからないで、 言葉尻だけを捉えて批判するな。

 実際にそういう反論を受けたわけでもないのに先回りしてこんな事を書くのはあまり趣味のいいことではないですが、 私は悪趣味な人間なので、あらかじめこういう下らない反論は封じておくことにします。

 人間が外部から介入することによってコップの中のエントロピーを減少させることができるのは、 別に人間にエントロピーを減少させる超自然の能力があるからではないのです。

 たとえば氷を作るためには普通冷蔵庫を使いますね。冷蔵庫は電気を使います。 電気を作る方法はいろいろありますけど、代表的なのは火力発電ですね。 火力発電は石油・石炭・天然ガスといった化石燃料を燃やして使います。

 熱湯を作るのも、たいていは化石燃料を燃やしますね。

 燃料というのは、化学エネルギーが凝縮した物です。それを燃やす、 というのはそのエネルギーをまわりの環境にばらまく、ということで、 これはまさにエントロピーが増大する過程の代表なのです。

 つまり、人間にできるのは、エントロピーが増大する過程にほんのちょっと介入して、 ごく一部の限られた範囲でエントロピーを減少させることだけなのです。

 しかもそれは別に人間の専売特許ではありません。他の生物もごく当たり前にやっていることですし、 非生物でも、例えば大気の循環は、太陽のエネルギーが宇宙へ拡散していく、 という大規模なエントロピー増大過程の中で、 地球の大気圏というごく一部の範囲でエントロピーを減少させる現象なのです。

 つまり、私が言っていることは別に人間を特別扱いした考えでもなんでもないのです。

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