Sep.1997  最新 過去 「世界ひしゃげ発見」に戻る

19.Sep.1997 (Fri.)
 8進法なら不惑 (イヤすぎ; 笑)>ぴっぷさん
 佐藤長官はいよいよ辞めさせられそう。これを書いている間にも辞任、もしくは罷免かもしれない。

「ここで辞めたら私の政治生命は終わってしまう」

って、大臣になった時点ですでに終わってたんですけど (笑)。

「私は信念を貫く」

というからどんな信念かと思ったら、「辞めないこと」が信念なのだそうな。 いい年して何言ってるんでしょうねぇ。

 それにしても、中曽根元首相はこんな人を推してどうするつもりだったんでしょう? もしかして、

こんな奴でも私が推せば大臣になれる」

という実力を見せつけたかったのかな? だとすると長官が醜態を晒せば晒すほど好都合? なのか。

 でも結局辞めさせられるんじゃ逆効果か? うむぅ...わからん (汗)。

17.Sep.1997 (Wed.)
 とうとう二十歳 (まだ言うか) になってしまった。トホホ...
 某ページで書いた「未知科学の扉を開く(平野勝巳 著・河出書房夢新書)」をつい買ってしまった。

 この著者、前書きで「科学的知」に対する「物語的知」の優位を高らかに宣言するのだ。

 例えば、人生に絶望し、自殺さえ考えた翌朝、水平線から昇る太陽を見て、 再び生きる力を取り戻した体験を持ったとき、あなたにとって太陽が意味するものは、 「科学」の言葉では表現しようがないだろう。

 もし、そこで「太陽とは一つの恒星で…」と考えでもしたら、 悲しいほどに貧弱な理性としか言いようがない。

優位性はともかく、私も「物語的知」と著者が呼んでいるものを否定するつもりは毛頭ない。 私からみれば両者は対立させてどちらが優位だ、などというものではなくて並立可能なものなのだが。 そう思うのは私が SF 読みだからだろうか?

 それはともかく、この本が素晴らしいのは、 前書きの高らかな宣言と本文で紹介された個々の事例との間にほとんど何の関係も見出せないことである。

 唯一「悪くない」と思ったのは遺伝子生物学者の村上和雄氏 (筑波大学教授) の話で、氏は「遺伝子暗号を書き込んだ何者かが存在するに違いない」と信じ、 それを「サムシング・グレート」と呼んでいるという。

 もちろんその主張自体を私は信じるわけではないし、氏が挙げている論拠も甚だ不十分なものである。

 だが、別に科学者が宗教的信念を持って研究にあたってはいけない、などという法はない。 もちろんもし氏が、「遺伝子の暗号に組み込まれたハルマゲドンの予言を解読した」 などと言い出せばそれは困ったことだが、別にそういうわけではあるまい。

 この話だけは (その主張に賛同するかどうかは別として) そう悪くはないと思ったが、 後はもう、どうにもならない話ばかりである。

 念のためもう一度言っておくが、 この本の著者が紹介するここの事例が現代科学で説明できないからけしからん、 などと言っているわけではない。「科学的知」に対する「物語的知」の優位が云々、 という前書きでのご立派な宣言とのあまりの落差に呆れているのである。

 たとえば、

ラットが死ぬと体重が 70μg 軽くなった。 だからラット一匹の「生命」の重さは 70μg だ。

などという話のどこが「物語的知」なのか。著者の言う「気品」も「英知」もありはしないではないか。

 まあ、

この地点で取れる石に特別なパワーがあるのは、 ここが「ガイア」のツボだからに違いない。

という話は「漫画的知」なのかもしれないが。

 この本には他に、やはり某ページで言及した飯田史彦氏の話も紹介されているのだが... これについてはまた日を改めて書くことにしよう。

14.Sep.1997 (Sun.)
 もう 9月 も 14日 か。10代 (謎) 最後の夏も終わってしまったな。 前回の日記から一月間が開いてしまった上に、先月は一回しか日記をつけていないではないか。はぁ...
 さて、今日は無謀にも WWW に関する講釈などを一つ。

 URL とは何か、を今更説明する必要はないと思うが、例えばこの日記の (絶対) URL は

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary/

である。このように、最後が '/' で終わっている URL は、サーバ上のディレクトリを表している。 URL としてディレクトリを指定したとき、どのようなデータが返されるかはサーバの設定次第だが、 通常そのディレクトリに "index.html" があればその内容が返ってくる。この日記でもそうである。 つまり、上記の URL は、

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary/index.html

と書いても結果として表示されるデータは同じである。ただし、URL としてはあくまでも別物であって、 区別しなければならない。

 さて、Web 上のリンクや、ML、ニュースなどでのページ紹介などで、 ディレクトリを指す URL であるにもかかわらず最後に '/' をつけていない事がたまにある。 例えば、この日記であれば、

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary

といった具合である。確かに多くの場合、これでもアクセスできるが、これは望ましくない。

 この URL でアクセスした場合、ブラウザはこれを

http://www.big.or.jp/~isaacrc/ というディレクトリの下の diary というファイル

だと考えてサーバに要求を出すのである。

 さて、そういう要求を受けたサーバ側は、当然「そんなファイルはないよ」と応答してもいいのである*2。 いいのであるが、大抵の場合、親切にも

「http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary/」でもう一度アクセスし直して

と応答するのである。そこでブラウザは改めて '/' をつけて要求を出し、めでたく日記が表示されるわけのである。 つまり、'/' 無しでもアクセスできるのはたまたまサーバが親切であるからであって、 しかも無駄なアクセスが発生していることになるわけだ。'/' をつけない URL を使うのが望ましくない理由がおわかりいただけるだろうか。

 ここまで書くと、あるいは次のような疑問が湧いてくるかもしれない。

「http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary/」 に対するアクセスはサーバによって自動的に /~isaacrc/diary/index.html に対するアクセスと解釈されるのであるから、それと同じ理屈で、 「http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary」に対するアクセスもサーバが勝手に /~isaacrc/diary/index.html を返すようにすれば良いのではないか。 それなら二度手間にならなくて済むではないか。

しかし、残念ながらこの方法ではうまくいかないのである。 なぜなら、

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary

を要求して返ってきたデータはブラウザにとってはあくまでも

/~isaacrc/ というディレクトリの下の diary というファイル

と認識されているのである。例えばこの日記のソースをみればわかるが、冒頭の「ひしゃげ日記」 のロゴは <img src="logo.gif"> と記述されている。ブラウザはこれを 「同じディレクトリの logo.gif」と判断する。つまり、正しい URL を指定してあれば、

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary/ と同じディレクトリの logo.gif

つまり

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary/logo.gif

を正しくアクセスできるが、'/' を省略した URL でアクセスされていると、

http://www.big.or.jp/~isaacrc/diary と同じディレクトリの logo.gif

つまり

http://www.big.or.jp/~isaacrc/logo.gif

になってしまう。これはトップページのロゴである。

サーバから 「'/' をつけてもう一度アクセスしてね」と知らせてくる二度手間の方法であれば、 ブラウザは本当の URL が '/' つきであることを知ることができるので、そういう問題は起こらない。 つまり、二度手間になるのは仕方がないことなのである。

 もちろん、サーバがさらに気を利かせて、

 「要求されたのは /~isaacrc/diary だけど、これは本当は /~isaacrc/diary/ だからそっちのデータを送るね。だけど、次からは '/' をつけてね」

とやれば二度手間を防げて、かつブラウザも正しい判断ができるはずである。 が、今のところそのような手順は HTTP には定義されていないし、今後もおそらく定義されないであろう*3

 長々と書いてきたけど、ようするにディレクトリに '/' をつけなくてもアクセスできるのはサーバが気を利かせているからで、 ディレクトリには必ず '/' をつけましょう、という話であった。

(*1) リンクは「張る」ものなのか、「貼る」ものなのか、という議論はさておくとして。
(*2) 実際、設定次第でそうできる
(*3) 定義したところで、現行のブラウザがそれを解釈できない以上混乱を招くだけである。

最新 過去 「世界ひしゃげ発見」に戻る