どういんほうし
道因法師

   ●(一〇九〇年〜没年不詳)
    俗名は藤原敦頼、治部丞清孝の息子です。崇徳院に使え、最終官位は従五位上左馬助です。
    八三歳になった承安二年(一一七三)に出家しました。

   ●逸話
    道因法師はかなり逸話の多い人物で知られています。仁平元年(一一五一)には、市中で
    刃傷沙汰を起こしたり、永暦元年(一一六〇)七月の『太皇太后宮大進清輔家歌合』では
    判者の清輔の判定に承伏せず陳状を書いたりと血の気の多い人物でした。『無名抄』には
    七、八十になるまで「秀歌読ませ給え」と徒歩で住吉神社に月詣でをした話や九十を過ぎ
    耳が遠くなりながらも歌会に出席し、講師の座にわけより耳を傾けていた話、道因の死後
    『千載集』に十八首撰ばれたのを喜び、撰者の俊成の枕元に立って涙を流して感謝の辞を
    述べたことに俊成は感じ入り、さらに二首加えて二十首収めた話など、和歌の道に対する
    情熱が深かったことが逸話から伝わってきます。

   ●この和歌は『千載集』恋三・八一七に収められています。






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