| 相模 |
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●(生没年未詳) 正暦末年(九九四、五)頃の生まれ、康平四年(一〇六一)以降に没しました。 義父は源頼光、母は慶滋保章の娘です。初め乙侍従として裕子内親王に仕えていました。 相模守大江公資との結婚で相模と呼ばれるようになりましたが、宮中から退きました。 やがて公資と離婚し、再度宮中に出仕して一品修子内親王家の女房となりました。 この頃から赤染衛門らと並んで当代を代表する女流歌人として名前が高かったです。 数多くの浮き名を流し、その恋の相手には権中納言定頼をはじめ数々の遍歴しました。 長元八年(一〇三五)『賀陽院水閣歌合』を初め多くの歌合に参加しました。 永承六年(一〇五二)『内裏歌合』で詠まれたこの歌は、相手の源経俊に勝った歌です。 ●この和歌は『後拾遺集』恋四・八一五に収められています。