大臣(おおおみ)





大和朝廷の最も高い官で大連(おおむらじ)と並んで政治に当たる。

武内宿禰(たけしうちにすくね)が大臣に任命されたのがその起源である(成務紀三年正月己卯条)と伝えられていますが、実際には仁徳朝ごろ葛城氏から大臣が出るようになったのが、その起源だとされています。

葛城氏についで平群(へぐり)氏、巨勢(こせ)氏、蘇我氏が大臣を出しますが、蘇我氏の権力があまりにも大きくなりすぎたので、大化改新時に大臣は左右にわけられ、左大臣右大臣となりました。



大連(おおむらじ)





大和朝廷の重要な官。
連のカバネをもつ有力豪族を代表し、大臣と並んで政治にあたる。

垂仁朝の物部十千根(とおちね)がその初見ですが(垂仁紀二十六年八月庚辰条)、あくまでこれは伝説です。
雄略朝に大伴室屋、物部目(もののべめ)が並んで大連と成って以来、大伴・物部両氏が大連となることが恒例となりましたが、大伴金村の失脚で大伴氏が六世紀中葉に大連の地位を失い、六世紀末の物部守屋の滅亡で物部氏が没落したことによって、この大連も姿を消しました



もとに戻る