聖徳太子の名前 |
厩戸皇子 |
敏達天皇元年(572)元旦元日、皇女が宮中の役所を巡回監察していたとき
馬官(うまのつかさ)のところで急に産気づき、厩戸で赤子を産み落とした。
陣痛がなく皇女は自分が産み落としたこともわからなかったという。
赤子は片手に小豆ほどの仏舎利(ブッタの遺骨)を握っていた。
このために厩戸皇子と名付けられた。 -『日本書紀・推古紀』出-
●「厩戸に出でましし時、たちまち上宮王を生みましき」 -『上宮聖徳法王帝説』記-
厩戸という地名の土地に来ていた時に産気づき、かのちで出産した・・・と記されている。
※いずれにしても名前の由来を説明する説としてはイエス・キリスト誕生伝承と似通っている。
西洋の故事が西域→中国→八世紀初め(つまり日本書紀・上宮聖徳法王帝説が書かれるころ)
伝来したと考えられている。
この学説は明治の歴史学者久米邦武が唱え、家永三郎氏に受け継がれている学説である。
上宮王 |
豊聰耳命 |
「10人の訴えを聞き分ける耳と聡明さをもっていた」この伝承が根拠になっている
これは『日本書紀』に記されている話しで『上宮聖徳法王帝説』では何故か8人になっている。
いずれにしても初めに「豊聰耳」あるいは「豊耳聰」の名前があり、あとから名前の由来を説明するために
このような伝承がうまれた可能性があります。
注)聖徳太子という名称は太子の死後、かなり経ってからつけられた名称で
仏教を興隆した功績を称え「聖徳」の名称が与えられ、皇太子であったため「太子」がつけられ
聖徳太子という名前になった。
この呼び名が一般化したのは平安時代半ば以降であり
『聖徳太子伝暦』という書物が流布してからのことです。
「聖」は知徳が高く、万人の師範と仰がれる人を意味示す。
「徳」は心が清く全ての行いが人の模範とするに足りる、また精神的・物質的に人を救済する善行を意味示す。
聖徳太子と陰陽道 |