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↑ マンダレー国際空港からマンダレー市街にむかって北上する。
パヤジー収容所での作業のあと、ほどなく35マイルキャンプというところへ移された。35マイルというのはマンダレーからピンウールィン(メイミョー)へ向かって35マイル(約56キロ)地点にあるという意味である。 マンダレーの手前から右にわかれてメイミョー方面へむかうとやがてカーブの続く山道になる。道路は上り、下りの2車線に分かれている。
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↑ ここでの作業は石切場での石の切り出しと、それを使った道路の舗装であった。
← 監督のインド人技師、ガネーションさん
彼の似顔絵を描いたことが、後に絵の仕事を与えられるきっかけになった。
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↑ 標識ではここがマンダレーから35マイルの地点だというのだが。 |
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↑ 当時の記憶で2か所あった石山は既に見あたらない。
食料はやはり少なく、皆空腹だった。作業所から監視の目をくぐり、トイレへ行く振りをして近くの民家へよく米をもらいに行った。また、キャンプからぬけだしては、食料の足しにヤマイモを掘った。
上の図の右下:「ご馳走になってお米をもらって帰る」 |
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↑ ピンウールィンに行く道筋のあちこちにはまだ石切場がある。この石山はもっとマンダレーの近く(マンダレーから15マイル)、トンボという村にある。現在は刑務所で受刑者が働いている。かつてここにもやはり日本兵の収容所があった。 |