ミャンマー2004 勝三郎 60年後のビルマ
2004/12/24

シッタン橋
↑ 「再びシッタンを渡る。かつて前線への途として渡ったシッタンの渡し。…わずか数か月、虜囚の身で再びこの河を渡るとはまさかにも思はざりき。」  (パヤジー収容所へ送られる途中の図)
 橋を渡るのは今回が初めてである。進軍の時とパヤジー収容所へ行く時はどちらも橋が破壊されていたため、少し上流を舟で渡っている。
 敗走中に渡河したのはもっと上流のピューに近いところである。当時は雨期のさなか、河口に近いこのあたりは毎日何百という遺体が流れ着いたという。河のそばには行けなかったが、橋の見えるところで日本から持ってきた線香をたく。
↑ 現在のシッタン橋を東岸より見る。めったに通らないという列車がちょうどバゴー方面からやってくるところだった。ゆっくりゆっくり渡ってくる。人や車がそばを追い越していく。
↑ 貨物係の車両
↑ 「シッタンを渡河すると外板もない貨車がかなり離れたところに待機していた」貨車はペグー(バゴー)へ向かう。ペグーらしい駅で降り、2-3日、駅前の樹林の中の天幕収容所ですごした。その後、パヤジーに収容される。

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