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← ↑ 「行軍の終点は我々のための輸送貨車が待つ小さな集落だった。すでに薄暮の村では夕べの生活が始まっていた。
窓からもれるほのかなランプの灯りがなぜか心に遺るのだった。」
「各分隊ごとに民宿みたいに彼らの家で彼らと同じ屋根の下で一緒に数日をすごした。皆非常に親切で、全く思いもよらぬ快適な虜囚の宿であった」
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↑ 村の入口。村の名前と、人口などを記した看板が立つ。数字もミャンマー文字なので皆目見当がつかない。村の中心部まではここからまだかなりある。
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↑ 村の家々。 現在のシュエレーは決して小さな集落などではなく、広い地域にまたがる大きい村になっていた。
お世話になった家の場所はもうわからなかった。
注:車は私たちが乗ってきたもの。日本の中古車だった。
右は村の裏を流れる川。 →
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↑ 村役場を訪ねてかつて世話になったお礼を言う。勝三郎の向かって右の82才のご老人は村に日本兵がいた時のことを覚えているという。いわく「俺たちは日本兵をいじめなかったよ」。 |