編集長の独り言(97年4月20日更新)
本当に久しぶりです。みなさん忘れているのでしょうね。
お便り待ってます。(ココ)
- -97/4-
『ドイツ現代写真展《遠・近》』 (京都)、『マン・レイ写真展』(京都)、
『デイヴィッド・リンチ展−DREAMS』(名古屋)
- -97/3-
『12葉のスペイン−南部辰雄 写真展』(名古屋)、
『ヴェロリンの壁−写真同人ヴェロvol.6』(名古屋)、
『Ray Collection展』(名古屋)、『金城学院大卒展−徐々』(名古屋)、
『現代写真:失われた風景−幻想と現実の世界』(横浜)、
『ベレニス・アボット写真展−フローズン・モーメント』(横浜)、
『ユルゲン・クラウケ展−幻影の戯れ』(浦和)、
『モダニズムの光跡:恩地考四郎・椎原治・瑛九−写真作品を中心に−』(東京)、
『ハリー・キャラハン作品展』(東京)
- -97/2-
『水野英一写真展「こもれびの想いに花ほほえむ」』(名古屋)、
『若林奮1989-1996−鉄と記憶』(名古屋)、
『坂倉守写真展/遠い呼び声』(名古屋)
- -97/1-
『北川民次展』(名古屋)、『上機嫌展』(名古屋)、
『Ja-Neigh-Ro 写真展「1+1+1+1」』(名古屋)、
『常設展−ウイリアム・ウッグマン』(京都)、
『90年代の韓国美術から−等身大の物語』(吹田・大阪)
- -96/12-
『未来都市の考古学』(岐阜)、
『東海地区国立大学文化祭写真展示』(豊明・愛知)
- -97/4-
- 『ドイツ現代写真展《遠・近》』
(写真、京都国立近代美術館、3/18-5/11)
- ベッヒャー夫妻とその弟子たちによる作品は、
ドイツらしく徹底していて、冷たくもあった。
しかし、常識を超えた正確さ、大きさは、
現実とは違う何かを示しているようで、素晴しかった。
中でも、ベッヒャー夫妻の生の作品は、
やはり素晴しいものだった。
- 『マン・レイ写真展』 (写真、京都大丸、4/3-15)
- マン・レイのブレの正しさを初めて知ることができた。
しかし、あまりに不必要なリプリントやコンタクトが多すぎた。
このように、デパートの展覧会には、
まだ不要な作品の過不足がまだまだ多く見られるような気がする。
- 『デイヴィッド・リンチ展−DREAMS』
(写真・美術、パルコギャラリー、名古屋、3/19-4/13)
- やはり、映画監督の道楽なのだろうか、イメージ先行のようだ。
また展示全体の雰囲気もイベント的で、実際、
次の映画のプロモーションの域を出ないものなのだろう。
- -97/3-
- 『12葉のスペイン−南部辰雄 写真展』
(写真、クロス・ギャラリー、名古屋、3/21-31)
- 何の不足もない質のいい写真。しかし、何か感じない。
それは何なのだろうか。
それについて、コマーシャルで活躍してきたというこの人にも、
考えてほしいような気がした。
- 『ヴェロリンの壁−写真同人ヴェロvol.6』
(写真、愛知芸術文化センター・アートスペースH、名古屋、3/18-23)
- う〜ん。停滞ぎみ。
今回は特に、基本がない人との差が見えてしまった。
見ためのかっこよさだけでは、やはり保てないもの。
なんとか底上げの仕組を作らないと、、。
- (名古屋周辺の大学写真部の紹介へ戻る)
- 『Ray Collection展』
(写真、ハートフィールドギャラリー、名古屋、3/11-16)
- 名古屋造形芸大写真部の展覧会。前回は、表現の広がりを見たが、
今回は、写真回帰といったところか。
芸大らしさはみられるものの、
まじめな正面から写真を据えた作品が多かったのだが、
それはそれでいいものだった。
名古屋では、評価できる学生のグループの一つ。
- 『金城学院大卒展−徐々』 (写真、this is it、名古屋、3/4-9)
- ちょっと飾りに走りすぎの感はあるが、
自由に表現してきたこれまでの流れがそこにはあった。
これからも、ぜひ伸ばしていってほしい。
- 『現代写真:失われた風景−幻想と現実の世界』
(写真、横浜美術館、2/1-3/30)
- ドキュメントからアートまで、傾向がばらばらだった。
また、あまりにコンセプトが先行しすぎて、
その場を軽視しているものもあった。
ただ、たとえ編者の趣味であっても、風景という視点で、
今の写真を評価しようとした覚悟自体は評価していいのではないのだろうか。
- 『ベレニス・アボット写真展−フローズン・モーメント』
(写真、タワーギャラリー、横浜、2/21-3/30)
- やはり軽い感じがした。特に、科学写真はどうも...。
- 『ユルゲン・クラウケ展−幻影の戯れ』
(写真・美術、埼玉県立近代美術館、浦和、2/8-3/23)
- 写真を使うドイツの現代美術作家。初めの頃の、直接的すぎるが、
真直な性の表現は、心に刺さる。
それに引き替え、最近の奇麗な作品は、少し物足りなさを感じた。
- (antennaへ戻る)
- 『モダニズムの光跡:恩地考四郎・椎原治・瑛九−写真作品を中心に−』
(写真・美術、東京国立近代美術館フィルムセンター、2/11-3/29)
- 恩地考四郎の柔らかさ、瑛九の強さに心打たれた。
ただ、どうも椎原治は落ちる気がする。
なぜ、ここにあったのだろう。
- 『ハリー・キャラハン作品展』 (写真、P.G.I.芝裏、東京、1/28-3/14)
- やわらかく、静かな写真があった。時に、こういう時間もいい。
- -97/2-
- 『水野英一写真展「こもれびの想いに花ほほえむ」』
(写真、4GAT、名古屋、2/18-3/1)
- 今までの様々な写真があり、繁雑ではあった。しかし、
ここ何年間かの自然なこの人の姿が、何の説明の必要もなく、
そこに写し出されていた。さらに、写真が蓄積され、
もっとまとまった形で再びぜひ見てみたい。
- 『若林奮1989-1996−鉄と記憶』 (美術、名古屋市美術館、2/8-3/23)
- 硫黄の質感はよかったが、やはりこういった現代彫刻は、
もう一つわからない。
その辺りのコンクリーや鉄の塊とどう違うのだろう。
- 『坂倉守写真展/遠い呼び声』 (写真、4GAT、名古屋、1/21-2/1)
- 前回の個展より、作者に近い作品だったように思う。
しかし、まだそこには言葉が必要なようだ。私には、
それよりも写っているそのものに従った方がいいように思うのだが。
- -97/1-
- 『北川民次展』 (美術、愛知県美術館、名古屋、11/22-1/26)
- はるかに鮮やかな色がその油絵にはあった。しかし、
社会派とはいった何なのだろうか。私には、直接的なものより、
そうでないものに深みを感じた。
時に、直接発言することの必然を感じつつも。
- 『上機嫌展』 (写真、星が丘駅ギャラリー、名古屋、1/17-24)
- 名古屋と三重の大学生、女4人が開いた展覧会。小粒だが、
こういう横断的な企画はいい。
中では、山本の子供の写真がよかった。
- 『Ja-Neigh-Ro 写真展「1+1+1+1」』
(写真、名古屋市民ギャラリー、1/5-12)
- 写真部員、OB、4人の個展形式だが、
もっと全体に統一されていてもよかったのでは。個別には、
やはり名大の長田の作品のあやふやな光が、冴えていた。
三重大の大脇のモデルを使ったヌード作品は、
どうしても撮影会の感じが出てしまっていた。やはり、
そういう時のものは、自分のものにはなりえないものなのだろう。
- 『常設展−ウイリアム・ウッグマン』
(写真、京都国立近代美術館、12/25-1/19)
- ただ、犬をアルファベットや数字になるように並べて上から撮った写真だが、
なんだかいい。ちょっと、犬がかわいそうだけど。
- 『90年代の韓国美術から−等身大の物語』
(美術、国立国際美術館、吹田・大阪、12/5-1/26)
- 粗く感じるものもあったが、日本と違い、
よりシビアな韓国の現実が示されていた。
- -96/12-
- 『未来都市の考古学』
(建築、岐阜県美術館、岐阜、11/12-12/22)
- 死体となった未来の都市があり、少し怖かった。
- 『東海地区国立大学文化祭写真展示』
(写真、豊明市文化センター、愛知、11/29-12/1)
- あんまりいい展示のないこの文化祭にしては、まあまあだった。
気を引いたのは、国立大はお固い写真の多いのだが、
静岡大に最近のセルフカラースナップが見られるたことと、
名大の池田の不思議な色のカラーと高原のフィルム作品だった。
特に、後者は、常にいい作品を作り出している。
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1997年4月20日(日) 12時00分00秒 JST