冬 野 虹
草の箒が、さーっと通りすぎるように
わたしの眼はひらきました。私の瞳の中に、
傾いた、白っぽい、まがりくねった道があります。
その坂を、
あわてものの兎が降りてきます。
両の手に、フランボアーズ(木莓)の入った籠を持って。そして、
兎はすすんでゆきました。あれ?
道の端の、草の葉っぱの上に、
兎は露の玉をみつけたのです。
兎のふたつの瞳は、このちいさな、すきとおった玉に質問しました。「こ、これは、なに、かな ? 」
兎のまわりの空気は、ゆっくり、あけぼの色に染まりはじめていました。
オーブ(あけぼの)は、兎に答えました。
「これはね、露というの。エフェメールという名なの。フランボアーズのおともだちよ。」
兎の心は、とてもはやく搏ちはじめました。なぜなら、こんなに澄みきった、大発見をしたのですから。
兎は言ったのです。「まあ、なんてうれしい ! 」
兎は、その露の玉を、籠の中のフランボアーズのとなりに、そっと、大切に、大切に、置いたのでした。
霧が .........
だんだんと、その羽根をのばして近づいてきました。梢の中では、ひとりのリスが、さっさっさっと、小枝をいそいで揺りうごかしていました。
リスは樹から駆け降りながらたずねました。兎にむかって、「これは、なあーに ? ほら、それ、そこにあるの、あなたの籠のなかに。紅くて、よい香りがしてる、ちいさな玉、は ?
ほら、きらきらして、揺れてるのは .........」兎はリスに、フランボアーズを数個と、エフェメールという名前の露の玉をあげました。
リスは、もううれしくて、うれしくて、たまりません。リスのこころは、よろこびでいっぱい、花ひらいて、あちこち走りまわりました。柏の葉をたくさんあつめてきて、兎は、フランボアーズと露の玉のエフェメールのために緑の遊び場所をこしらえました。
さいしょ、リスは、フランボアーズとエフェメールを、じぃー っ と眺めておりました。けれど、すこしずつ、リスは退屈してきたのです .........
そこで、
リスは、ちょっと、フランボアーズを取って、食べてみたのでした。
ひとりの狐が、それを見ていました。
彼は、リスに近づいてきて言いました。「ねえ、その、ひかっている玉はなんだい ? 」
エフェメールは、柏の葉っぱの上で、かたむきながら、ふるえながら、ほほえんでいました。
リスは、というと、もう、フランボアーズのおいしさに夢中になっていました。
もうそれは、いっしょうけんめい食べておりました。
だから、リスは、なーんにも答えませんでした。ところで、
狐は心の中で、自分に問うていました。「これは、 な ・ に ・ か ・ な ・ ???」
そして、
狐は、おそるおそる、露の玉のエフェメールに、ちょっと、触ってみました。
はじめのうち、狐の二本の手は、とてもやさしく、しずかに気を配っていました。けれどもだんだんと、荒々しくなり、エフェメールに向って、嵐のようになってゆきました。狐の嵐の手は露の玉のエフェメールを、こわしてしまったのです。
はじきとばし、遠くへまきちらしてしまいました。
狐の手が、エフェメールを追いはらってしまったのです。リスは、とても、とても、悲しかったのでした。
なぜなら、
エフェメールは、もう、消えてしまったのですから。リスは、エフェメールのことを、おもいうかべました。
オーブは、リスに、告げました。
「エフェメールはね、お空にのぼったのですよ、おひさまのひかりといっしょに ......... ほら、このように、ここに、柏の葉っぱの上に、千のことばを残していったのです ......... 見てごらん ! 」
風が、すぎてゆきました。
リスは、瞳をこらして、柏の葉を、いっしょうけんめいちからいっぱい、みつめました。
狐は、やっと、わかったのでした。
どんなに、大切なものを、自分は、こわしてしまったのか、と、いうことが。
そして、同じ時に、狐の心の中に、深く、しずかに沁みこんできたものがありました。それは、”失う”ということは、こういうことなんだ、という答えでした。狐は、受けとりました、リスから。
広々としていて、ひかりかがやいている一枚の葉を。
私、このあわてものの兎、は、しずかに、雨の色に染まった空を内にもっている目蓋、を、ゆっくり閉じます。
わたしは、ときはなたれはじめ、さまよいはじめます。
それから、
わたしは、水路を流れはじめます。
夏の、鏡のように映っている
あかるい庭の方へと。それいらい、
狐は、もう、けっして、リスをいじめませんでした。
そして、狐は、とても善い人になり、ものしずかな読書家になったのでした。
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