俳 句 の 歴 史

10人の俳人とその作品

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第9章
高野素十(1893〜1976)
たかの すじゅう

昭和期に入ると、ホトトギス派の俳句は新しい展開
を見せはじめた。

大正期のホトトギス派は、ロマンティックな想像力
を働かせた香り豊かな俳句を数多く生み出した。し
かしこの傾向が極まった結果、耳に心地よく響く大
袈裟なことばを乱用して、表面的な効果のみを追う
俳句が流行しはじめたことも否定できない。

虚子はこうした行過ぎを是正するために、師の正岡子規の精神に立ち戻り、
写生の手法が重要であることを説くようになった。事物の正確な観察と的確
な描写に基づかない表現は、読者を動かすことが難しいと主張したのである。
描写にセンチメンタルな情感が持ち込まれることを拒絶するために、虚子は
特に「客観写生」という語を創造して指導上の指針とした。

こうした虚子の新しい指導のもとに登場した作家が、水原秋桜子(1892〜
1981)、高野素十、阿波野青畝(1899〜1992)、山口誓子(1901〜
1994)、中村草田男(1901〜1983)等であった。これらの作家は、それ
ぞれ「客観写生」という語を自分なりに咀嚼して、独自の文体を生み出して
いった。中でも最も注目すべき作品を残した作家、高野素十を、ここでは取
り上げる。

素十の作品の重要な特徴は、彼が近景の描写に意を尽くしたところにある。
彼の俳句はしばしば近景のみによって構成されている。これは、大正ホトト
ギスの作家の作品の多くが遠景と近景の組み合わせによって構成され、彼ら
の創作の主な意図が遠景の描写にあったことと、きわめて鋭い対照をなして
いる(杉田久女の項参照)。

高野素十の対立者であった水原秋桜子は、素十の近景描写を、美学を欠いた
無味乾燥な科学的描写にすぎないとして、激しく批判した。だが今日の目で
見ると、秋桜子のそのような批判は的を射ているとは言えない。素十の俳句
を注意深く読めば、一見単純な情景描写にすぎないと見える表現の中に、き
わめて独特な空間認識が盛り込まれていることに気がつく。

素十の俳句は、一般に客観写生のおしえを忠実に実践したものと考えられて
いる。だが彼は近代的な意味でのリアリズムの作家ではない。彼はことばが
(特に季語が)内包している象徴的なニュアンスを尊重し、それらのニュア
ンスの作り出すスクリーンの上に事物の映像を映しだすような創作態度をと
った。そのため素十の俳句は、近景を描いている場合でも、どぎつく事物を
浮き上がらせるのではなく、自分の視点をどこか遠くに置いて、そこから逆
に近景を見つめ直しているような淡々とした印象を与える。これは、素十の
同時代人である中村草田男が、徹底したリアリストであり、ことばからニュ
アンスをはぎ取ることに精力を費やしたのと、好対照をなしている。

日本語の象徴機能を最大限に活用した素十の俳句は、ホトトギス俳句がたど
り着いた頂点の一つと見ることができる。


 蟻地獄松風を聞くばかりなり

 おほばこの芽や大小の葉三つ

 甘草の芽のとびとびのひとならび

 夏山に向ひて歩く庭の内

 春の雪波の如くに塀をこゆ

 夕霰枝にあたりて白さかな

 桃青し赤きところの少しあり

 くもの糸一すぢよぎる百合の前

 ばらばらに飛んで向ふへ初鴉

 泡のびて一動きしぬ薄氷


執 筆  四 ッ 谷  龍


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