俳 句 の 歴 史

10人の俳人とその作品

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第8章
杉田久女(1890〜1946)
すぎた ひさじょ

高浜虚子は女性への俳句の普及も志し、ホトトギスに
「台所雑詠」と名づけた女性専用の投稿欄を設けた。
この成果として、長谷川かな女(1887〜1969)、
阿部みどり女(1886〜1980)などのすぐれた女性
作家が俳壇に登場した。中でもとりわけ優れた才能を
発揮し、俳句に新しい可能性をもたらしたのが、杉田
久女であった。

原石鼎や飯田蛇笏など、大正ホトトギス作家の文体の
特徴の一つに、遠景と近景を組み合わせて、1句の中
で疑似遠近法的な効果を実現するという手法があった。例えば

 芋の露連山影を正しうす  蛇笏

 高々と蝶こゆる谷の深さかな  石鼎

といった句は

 「連山の影」(遠景)+「芋の露」(近景)

 「谷の深さ」(遠景)+「蝶」(近景)

という構図を作っている。これらの句で、作者の視線は遠景の方を向いている
ように私には思われる。彼らの主たる意図は、山の格調高いたたずまいや大い
なる谷の深遠を読者に提示することにあった。そして「芋の露」や「蝶」など
の近景は、祭壇の前に供えられた花のように、脇役として遠景を飾り、美しい
調和を作り出している。

ところが久女の句では、一句の中に近景と遠景が併存している場合、どちらの
要素も存在を主張し、決して一方が一方の引き立て役に回るということがない
のである。

 紫陽花に秋冷いたる信濃かな  久女

この句では、「信濃」という広い地域を示す地名と、「紫陽花」という近景と
が組み合わされている。そして古色豊かな地名である「信濃」と、鮮やかに咲
き満ちる「紫陽花」は、どちらも強烈に自己を主張しており、あたかも対立す
る主役が2人登場する芝居のように、2つの要素は火花を散らしている。

この結果として、久女の句は光と闇から構成されるのではなく、光と光によっ
て構成されているという印象を与える。読者に対して、気を休めることなく句
の隅々にまで神経を集中させることを強いるような緊張感が彼女の句にはつき
まとう。

久女は晩年精神を病み、俳句界に受け入れられないまま死を迎えた。だが俳句
の隅々に緊張感を漲らせる彼女のこのような斬新な手法は、水原秋桜子(1892
〜1981)に引き継がれ、新しい俳句運動が起きる端緒となった。


 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ

 羅を裁つや乱るる窓の黍

 夕顔やひらきかかりて襞深く

 朝顔や濁り初めたる市の空

 しろしろと花びらそりぬ月の菊

 菊の日に雫振り梳く濡毛かな

 春潮に流るる藻あり矢の如く

 板の如き帯にさされぬ秋扇

 谺して山ほととぎすほしいまま

 菱摘むとかがめば沼は沸く匂ひ


執 筆  四 ッ 谷  龍


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