月読の命ツクヨミのミコト





読の命は月神で 天照大神アマテラスオオミカミの弟です。

日本書紀には「昼と夜の分離の起源」としてツクヨミのミコトと
アマテラスオオミカミの話しがあります。
天照大神が月読の命に「ウケモチという食物神がいるので、
見てきてほしい」と頼みました。月読の命が見に行くと
ウケモチは陸に向かって口から飯を吐き出し、海に向かって
魚を 吐き出し、山に向かって獣を吐き出しました。
ウケモチはこの吐き出したモノを月読の命に饗したので、
月読の命は怒って「汚い!!何故この吐き出したモノを食
べさせるのか!!」とウケモチを殺してしまいました。
これを聞いた天照大神は「お前は悪い神だ。もう二度と
会いたくない」と怒ってしまいました。
そのために天照大神(太陽)と月読の命(月)は昼と夜とに
別れて住むようになったのです。
MOON
月兔


インドのジャータカ神話に「うさぎ」「さる」「きつね」が
その昔仲良く暮らしていました。
前世の行いが悪かったので、今は動物の姿にさせられている。
そこで三匹は何か世のため人のために良いことをしようと
話し合っていました。

帝釈天がこの話しを聞いて、三匹に良いことをさせてあげようと思って、
老人の姿になって三匹の前に現れました。
「さる」は木に登って木の実・果物を採り「きつね」は川の魚を採った。
でも「うさぎ」はこれといった特技がなかったのです。

「うさぎ」は老人(帝釈天)にたき火をしてもらい「私には何の特技も
ありません。せめてこの身を焼いてその肉を食べてください」と言うや、
火の中に飛び込んで黒こげとなってしまいました。

老人の姿をしていた帝釈天は本来の姿を現して「お前達三匹は、
とても感心なもの達だ。次に生まれ変わったら人間として
生まれ変われるようにしてあげよう。特にうさぎの心がけは立派だ。
この黒こげになった姿は永遠に月の中においてあげる事にしよう」と
言ったそうです。

こうしての中には黒こげになったうさぎの姿が見えるように
なったそうです。




かぐや姫(竹取物語)

        昔、あるところに、竹取の翁と呼ばれるお爺さんが住んでいました。
        ある日お爺さんがいつもの様に山に竹を切りにいくと、光り輝く竹をみつけました。
        中を覗いてみると、三寸ばかりの美しい女の子がいました。連れて帰って育てることにしました。
        三ヶ月ほどで女の子は成人し、この女の子は「なよ竹のかぐや姫」と名付けられました。
        この噂を聞きつけた五人の貴公子達の求愛に「燕の子安貝」「龍の頸(首筋)の玉」「火鼠の皮衣」
        「蓬莱の玉の枝」「佛の御石の鉢」という贈り物が欲しいと無理難題を要求して、求愛を断りまし
        た。
        この五人の貴公子は実在の人物であった事をみなさんは御存知でしたか?

        それから三年の歳月が過ぎ、月を観ながら悲しみの表情を浮かべる姫をみて、お爺さんが尋ねると
        「私は月の都の人間で次の十五日に迎えが来ます」と答えました。
        帝に相談してはみたものの、月人にはかなわず、彼らの乗り物「飛車」によって天上に連れ去られま
        した。
        このときかぐや姫は「月の羽衣」を纏、月に帰る際に「薬の壷」を残していきました。
        この薬は不死の薬だったのですが、姫に会えないのなら役に立たないと、天に一番近い山で焼いてし
        まいました。
        この山は不死の薬を焼いた山として「ふじの山」富士山と名付けられました。

        霊峰冨士山が別名「香具山」という由来もこのかぐや姫伝説から来ているのかもしれません。

        「日本書紀」

        富士山の守護女神として木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)がいます。
        また不死の薬は月世界にあるとされていました。
        中国の伝説にも西王母(せいおうぼ)・・コンロン山に住む最高位の絶世の美女、仙女から不死の薬
        を貰ったゲイの妻が薬を奪って月へ行きそこに月の都を建てたとされています。

        またこの翁はその名を「讃岐造」と言い、讃岐の一族が竹を朝廷に献上するために四国から移り住ん
        だと云われています。


        ◎木花佐久夜姫

        木花(桜を指すと云われています)の様に美しい姫、霊峰富士山の守護女神とされています。
        高天原から日高の高千穂に降臨したホノニニギは一人の美しい女性に会い、この女性が木花佐久夜姫
        でした。
        求愛をうけ彼女の親であるオオヤマツミは喜んで承諾し彼女の姉イハナガヒメと共に献上しました。

        しかしホノニニギはイハナガヒメの醜さを嫌い親元に送り返しました。父親はこれを恥じてこう言い
        ました。
        「石のごとく雪、風が吹いても微動だにしない命(イハナガヒメ)。木の花が栄えるかのごとく繁栄
        (コノハナノサクヤビメ)という意味を込めて贈った」
        姉を送り返した事で彼の命は花のように美しいけれど、儚い命になった・・
        歴代天皇の命が長久のモノで無くなったのはこのせいであると云われるようになりました。







[総目次へ戻る]