●一般的に五重塔・七重塔等々と呼ばれている塔は【多重塔】の一種です。
●そもそもこの多重塔(仏塔)つまり仏教の塔は、古代インドで【仏舎利(釈迦の骨)】を祀るストゥーパ(墳墓)が
中国に伝わり、中国の楼閣建築と融合して多重塔の形式になったと云われています。
また、他方では古代インド周辺で、すでに高楼閣形式のストゥーパがあったとする説もあります。
●我が国へは朝鮮半島を経て飛鳥時代になってから、伽藍建築を構成する重要な建築物として伝わり以後各地
で建立されました。
我が国の多重塔は内部空間をもつ建築として全て木造で造られていますが、中国では木造の他、石造りや
壇造り形式もあります。
●多重塔の形式は各重とも軸部を明確にに造る層塔と、二重以上を軒・屋根だけを積み重ねたような
簷塔(えんとう:ひさしの様にでているもの)とで構成されていますが、我が国で建てられた多重塔は
ほとんどが層塔形式で、簷塔形式は少なく現存している建築物は奈良県談山神社の十三重塔唯一
だけである。
また、層塔形式の建築物は古代・中世においては七重塔・九重塔なども建立されていましたが、現存するもの
は三重塔・五重塔だけである。
法隆寺の五重塔や京都、海住山寺の五重塔は初重に、薬師寺は各重に裳階が設けられています。
●多重塔の平面は中国においては六角形・八角形・十二角形などの多角形平面がありますが、我が国では
四角形がほとんどです。
そしてこの四角形平面は各重とも方三間とすることが基本になっていて、法隆寺・薬師寺・法起寺などの
奈良時代の建築物は最上重を二間としています。
法隆寺・法起寺の組物は雲斗雲肘木で軒が一軒となっていて、これは飛鳥時代の様式を踏襲したからです。
●多重塔は外部からみると三重・五重になっていますが、内部は初重だけが室内として造られており、
二重以上は構造材料が入り組んで組み込まれているだけで、人が上がるようには造られていません。
しかし、中国では各重に床を張り、仏像が祀られ階段を設けてあって最上重まで人が登れるように
なっています。
これは我が国に伝来してきた際に中国的な楼閣という観念より、古代インドでの仏舎利奉安の要素が
強調されたと考えられています。
あくまで仏塔は仏舎利を奉安するための聖なる建物であって、伽藍の中で最も神聖な場所・空間という
位置づけにより、たとえ僧侶といえども、みだりにこの多重塔の内部に入る事などは許されないこと
とされていたと思われます。
よって上重へ上がるというような発想はなかったと考えられています。
●いかにこの多重塔が神聖な位置づけと考えられていたかについては、各寺院の伽藍配置からも推察できま
す。
塔と金堂が左右に並ぶ法隆寺・法起寺、金堂の前に塔が建っている四天王寺、塔と金堂が向き合っている川
原寺、塔を中心として金堂が左右後ろに配置されている飛鳥寺など、塔と金堂を中心に伽藍配置がなされてお
り、それを護るかのように周囲を回廊などが囲んでいます。(飛鳥・奈良時代前期まで)
奈良時代後期にはいると、寺院の中心は金堂になり、塔は脇役になっています。
例えば金堂の前方に2基の多重塔を持つ薬師寺、2基の多重塔が金堂から離されて回廊の外にまで追いやら
れている東大寺・大安寺など明らかに塔の位置づけが金堂より下になってきました。
これに伴い今まで一番神聖であったはずの仏舎利の奉安は形式的なものとなり、釈迦のお姿をかたどった
仏像の安置が主流になっていきました。
もとに戻る