山背大兄皇子





聖徳太子と刀自古郎女(とじこのいらつめ)の間に生まれ、推古天皇の皇位を継承する最有力者と目されていました。
しかし推古天皇は自分の死の直前に田村皇子(後の舒明天皇)を推す遺言を残しました。
この遺言を聞き蘇我蝦夷は山背大兄皇子と親しかった境部真理勢を殺し舒明天皇を即位させました。
舒明天皇崩御の後、山背大兄皇子に人望が集まると蘇我入鹿は攻め滅ぼそうとしました。
皇子は一度は攻め手を退けたものの、東国で平氏を集め再起しようという三輪文屋の勧めを断り家族と共に斑鳩の地で自害しました。(皇極二年十一月丙子条)



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