塔頂の大鎌の謎





法隆寺五重塔、塔頂の九輪の宝輪の一番下の輪は、かまきりが前脚を持ち上げて攻撃をする時に威嚇するような格好をした大きな鎌が東西南北に向かって四本取り付けられています。
これは再建された時からあるのですが、何のために取り付けられたのか今日でも謎とされています。

今日の塔は宝永四年(1707)十月四日の奈良地方を襲った地震で傷んだ部分を修理された時のものである。
全体の姿は慶長九年(1604)片桐且元を奉行として、大工の中井正清が数年掛かりで大修理した時のままである。

問題の大鎌については、昔の人は雷を魔物と考え、鎌を構えると魔物が恐れて近寄らないだろうと考えたことに端を発します。

ところが法隆寺の落雷記録を見ると永保元年(1081)西室が雷火のために北一坊を残して焼失し、保元三年(1158)二月に塔の修理を始め十月九日に相輪を改鋳しています。
建長四年(1252)六月十八日に塔に落雷があり、弘長年中(1261〜63)にもあり、このときには四末寺(中宮・岡元・近堂・北堂)の大工が消火にあたり、功績があったという記録が残っています
弘安六年(1283)春に塔が修理され、今までの鎌では雷を避けられないと考え、六月九日に避雷針を取り付けたことが記録として残っています。
現在の塔の各層の四方の通肘木に雷除けの木札が四枚づつ打ち付けられています。


日本民俗文化体系によると、風切鎌に関する説明書があり、東北地方から中国地方に」かけて、屋根の上とか、庭先に立てられた竿先に草刈鎌を縛りつけ、風を切るというお呪いにしていることが記録されています。
この説から考えてみると、この塔の大鎌が、矢田山麓に建ち、四方から風の影響を受けるので、吹いてくる強風を切って、塔が倒れないように護ろうとする創建した時代の人々の願いを表しているともいえるのかもしれません。
風もまた妖怪の仕業だと考えていたのでしょうか?


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