用明天皇・穴穂部間人皇女





用明天皇

●『日本書紀』には橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)『古事記』には橘豊日命(たちばなのとよひの
 みこと)とある

 欽明天皇の子で第三十一代の天皇であり、聖徳太子の父に当たる。

 敏達天皇の死後即位するが、在位当時は大連(おおむらじ)の物部守屋と大臣(おおおみ)の蘇我馬子の対立
 が激しい時期でした。
 特に天皇が疱瘡(ほうそう)の病で倒れ、仏教への帰依を願ったとき、賛成した馬子と神を守り反対した守屋の
 対立は、それぞれが兵を集める騒ぎにまでなっています。
 在位期間は短く二年(古事記では三年)でした。

穴穂部間人皇女

●『日本書紀』で泥部穴穂部皇女(はしひと)ともあり『古事記』には間人穴太部王とある。

 欽明天皇の皇女で、母は蘇我稲目の小姉君(こあねぎみ)。
 用明天皇の皇后となり、聖徳太子らを産む(用明紀元年正月壬子条)。
 日本書紀の中で活躍は見られないが、夫(用明天皇)が早世した後に、同母弟の穴穂部皇子と崇峻天皇(すし
 ゅんてんのう)とが次々に政争に敗れて世を去った事から判断すると決して穏やかではなかったように思えま
 す。

※参考までに

 用明天皇の母:堅潮媛、穴穂部間人皇后の母:小姉君はともに蘇我稲目の娘で、蘇我馬子とは兄弟です。
 また聖徳太子妃の一人、刀自古郎女は蘇我馬子の娘です。


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