表紙カット(職場の風景)

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〜1997年分

 日本科学者会議の私の職場の分会が毎月発行している雑誌「新しい風」の表紙カットを依頼され、描いています。1993年5月から始めましたが、ここでは、96年11月号のものからご紹介いたします。

なお、「新しい風」は年間1000円(郵送の場合は1500円)です。ご購読くださる方は、若松(wakamatu@big.or.jp)へご連絡ください。

【96年11月号】 とり壊し工事中の音研棟

 今月は締め切り直前の昼休みに1号館の屋上に上って、ようやくこの絵を描きました。季節の植物を入れた風景ではありませんが、この胸つぶれる光景を避けてはとおれないと思ったからです。ブドウやキウイの棚はもちろん、かまぼこ形の研究棟もほぼ姿を消し、これから給水塔にかかろうとするところです。

[ 96/12 ] 切り倒されたシラカシの大樹

 1号館前の2本のシラカシの大樹は通研を訪れる人々が思わず見上げる、いわばシンボル的存在でした。ナチュラリストサークル制作の「自然ガイドブック」の表紙にも使われています。根回しや布巻きも行われていたので、当然、構内に移植されるものと思っていました。ところが、工事用の囲いで隠されてしばらく後に覗いてみたら、なんと切り倒されてこの無惨な姿。1号館屋上から描きましたが、描き終える頃にはなぜか膝にふるえがきてしまいました。

[ 97/1 ] 移植されたシラカシの大樹

 1号館前の2本のシラカシの大樹の1本は先月号で書いたように切り倒されましたが、もう1本はこの絵のように10号館東に移植されました。昨年秋まで小魚が泳いでいた水槽に土を入れた場所です。根の拡がりを抑え新棟完成後に再度移植しやすくしているのでしょうか。シンボルツリーであるから、何人たりとも触れてはならないと書かれたプレートをみつけて、先月号に「シンボル的存在」と書いた私の気持ちと何か通い合う感じで、嬉しくなりました。

[97/2]  移植されたウメが咲いた

 新棟建設のために音研南からウメが数本、野球のバックネット裏に移植されている。そのなかで一番早く咲いたのがこの白梅、移植される前もいこいの小径でいち早く咲く木だった。背景は電波暗室、雲一つない青空の小春日和('97.1.28.)。

[ 97/6 ] テニスコート脇のアジサイ

 6月といえばアジサイ。通研ではまだまだあまり色づいていませんが、締め切りが近い27日昼休み、一番早く咲き始めたテニスコートの金網ぎわで描きました。

[ 97/8 ] 新棟工事現場の不発弾処理用土盛り

 7月8日に2発目の不発弾が発見され、27日に処理。1回目は土嚢を積み上げが、今回は土盛りをした上からセメント吹き付け、頂上の穴には屋根が造られていた。

[ 97/9 ] 昼休みのサッカー練習

 通研グランドで、お昼休みにサッカー部が、練習をしている風景です。いつもはもっと人数も多く、野球、ソフトボール、ラグビーなどの部も練習をしているのですが、このときはお盆休みだったのでサッカーだけでした。

[ 97/12 ] 北門のケヤキ

 通研の樹木のなかで一番背が高いといわれているのが、この北門のケヤキです。ビラを運んできて配り始める前、私一人だけのときにふと見上げる愛着の深い木です。新緑のころ、うっそうと茂る真夏、そして今の紅葉のとき、さらに裸になった寒空のときと、それぞれに美しい姿を見せてくれ、またいろいろな小鳥が羽を休め、さえずりを聞かせてくれます。ひどく剪定されたこともありましたし、今は太いワイヤーで建物に結びつけられていますが、それでもいつも堂々と立っているこの木には元気づけられます。

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