2005年5月4日(水)  晴れ

つつじ祭りと谷中、根津、千駄木散歩

予てから行こう行こうと思っていた谷中、根津、千駄木のいわゆる「谷根千」を訪れた。ちょうど桜が終わったこの季節満開を迎えるつつじの花を愛でるべく根津神社つつじ祭りを見に行くという口実もつけた。

いつものように出るのが遅かったので、ひとまず軽く考えたコース通り、前日会社の人に教えてもらった湯島天神前の天庄で2時ごろてんぷら定食を食す。久々に揚げたてをカウンターで食べさせてもらった。最初に出てきた海老天の柔らかいこと。感動する。その後出てくる端から摘んでいく。自宅で作るてんぷらは揚げたてを食べられないし、こうからっと揚がらない。満足して店を出る。

本当は天神様をお参りしにいきたかったのだが、時間もないので本駒込の方へ向かう。お墓参りをした後、その足で根津神社方向に歩いていった。細い裏路地にまわる。どの家も軒下に沢山の植木鉢が並び、思い思いの花を植えている。そのいくつかがこの季節を主張するかのように白やピンクや赤や黄色に咲き乱れる。一見、まとまりのないように見えるこの小さな花壇たちも、下町を彩る無くてはならない要素なんだと気づく。

兄妹で金魚すくい 根津神社は盛況を極めていた。表通りは見物客の車で渋滞、つつじがこぼしたペンキのようにあちこちでどさっ、どさっと白やピンクの花を咲かせた歩道では神社へ向かう人の列が途絶えなかった。門を入ったところから所狭しと屋台が並ぶ。金魚すくい、射的、お好み焼き、たこ焼き、カキ氷、スーパーボールといった昔からの屋台に加えて、じゃがバタ、シュラスコ、チヂミといった最近仲間入りしたようなメニューも立ち並ぶ。

どれ狙うかな 何だろう。この屋台の窮屈な並びなのか、子供たちのはしゃぎようなのか、険しさを感じさせない人通りなのか。自分がいつも出くわす屋台村とはちょっと違った和やかさがある。

奥へ進むと右側に鳥居が何重にも立ち並ぶエリアが見える。左には社殿のようだ。どうやら裏から入ってきてしまったらしい。ひとまず社殿の方へ入ってみる。どうやら徳川綱吉が建てたらしい。神社なれどあちこちに卍が施されている。京都のお寺ほど古くは感じないが、朱の赤と青銅の青、そしてところどころの緑と金色とが絡み合いぴしっと締まった感じがする。重要文化財だそうだ。

根津神社本殿 行列をなした参拝者を見て、並ぶのはやめた。そのまますごすごと唐門をくぐり社殿を後にする。と同時に見えたのが楼門と右奥につつじの丘。入園料が200円。とはいえ、下から一望できるのに加え、さして圧倒されるほどの満開ではないのかお金を払ってまで入ろうと思えなかった。 鳥居 結局、そのまま素通りして、右の方にある稲荷さんを目指して幾重もの鳥居をくぐっていく。ところどころに現れるお稲荷さん。片足が欠けてるのは古くなって崩れたのか、誰かに壊されたのか。京都などと比べるとこういう細かいところへの保存への意識が低いように思える。多分、これらを持つ人よりも見に来る人たちの方の意識なんだろうが。

反対側をまわってみると、猿回しをやっていた。以前、銀座のど真ん中で見たことがある、ちょっと素人がかった猿回しコンビのようだ。○○猿回し軍団みたいなのとはちょっと違う修行中なのか、とも思うような感じだが、見てて楽しいことには違いない。周りを子供たちとその親たちが囲う。階段と階段の間をジャンプする。拍手喝さい。どうやら最後の方に来たみたい。もう最後の演技だそうだ。

猿回し 竹馬に乗る 竹馬に乗る
竹馬に乗る 竹馬に乗る 竹馬に乗る

長い竹馬にお猿さんが自分で立てて乗るらしい。そこから2・3分間延びした会話があり、いよいよクライマックス。うまくずらしながら棒を立て、もう一方も立てた。つかんだ端から足の指で挟んで少しずつ上に登っていく。これにはみんな驚き拍手。最後に上まで登りつめ歩き回る。ここでまた拍手。なかなかのフィニッシュだった。演技が終わればお決まりのご祝儀タイム。大きなざるを持ってまわる。「今時100円じゃジュースも買えません」。確か銀座のときもそんなことを言われたなあと思い出しながらも握っていたのはポケットにあった小銭53円。まあ、あの最後の演技を評価してということで、1000円を入れておいた。これで弁当ぐらいは二人(一人&一匹)で買えるだろう。

つつじ つつじ つつじ

丁字屋で買ったバッグ 丁字屋はレシートもおしゃれ その後は谷中方面に出ようということで、不忍通りの方へ抜ける。途中小倉アイス最中を買い、横丁を曲がったところあたりからところどころに下町らしい建物がぽちぽちと見られる。すぐに目に付いたのが丁字屋。手拭いや染物を扱っている。小さな店だが創業は明治28年だそうな。ここで見つけた茶色に染めたかばんが気に入った。聞いてみると、昔は酒袋がいい感じに染まった頃にこういうのを作っていたらしいが、最近ではないので似たような染料で染めているそうな。裏地も柄や色が何種類かあったが赤いのにした。

さらに歩いていく。折角なので下町の象徴とも言える裏路地を抜けてみる。ここもどの軒先にも植木鉢が所狭しと並んでいる。中でもつつじがその存在感をアピールしていた。庭の無い下町の家々にとって、軒下は欧米の裏庭に匹敵する癒しのスペースなのだろう、自分の家の一部ではないが、家の前の道は自宅スペースの一部、近所のみんなのスペースなんだろう。屋根を見上げると鯉のぼりが舞う。歩いていくと、道路にチョークでこどもの遊びの跡が残っている。何年ぶりだろう、チョークの跡を見るのって。子供の頃下町に住んでいた頃の遊びを思い出した。狭い路地でさえも、子供にとっては広いキャンバスであり、あまり遠くへ行っちゃだめよと親に言われる子供にとっての公園にもなっていた。それは過去じゃなかったか?と古い記憶を目の前の今に引っ張り出してきて重ね合わせた瞬間だった。

ねんねこ家 三浦坂を上がり始めるとすぐ左側にねんねこ家があった。猫ファンには知られた店らしい。あらゆるものが猫グッズ。普通の家を店にしたようで、店に入るのに靴を脱ぎスリッパを履く。するとすぐそこに猫が何匹もうろついていた。猫好きにはたまらん店だ。戯れつつ、グッズを見つつ、奥には喫茶スペースもあり、畳に座り猫と遊びながらお茶をするのだろう。ちゃんとコロコロ粘着ローラーも常備され、遊んだ後、猫毛を取ることもできる。

坂を上がり詰めるといくつかの選択肢に分かれる。どこを行ってもここら辺はお寺が並ぶ。車もあまり通らず、子供たちが思い思いに遊んでいた。また下町を思い出させてくれた。確かに裏通りの道端で鬼ごっこをしたり缶蹴りをしたり自転車に乗ったり。全く自分が子供の頃にしていた遊びを今もしている子供たちがいる。でも、それを目の前にしたのはもう何年もない。山の手の方の子供たちを見かけるのは、道端じゃなく、店の中でゲームをやったりおもちゃを見ているか、どこかへ移動している時か。自宅の周辺で遊んでいる子供を見かけることは滅多に無い。何かすごく新鮮で遠い子供の頃を思い出させてくれた。道端で親子が近所の人と話している。ドアを開けっ放しで近所の人が玄関先で雑談する。端では子供が思い思いの遊びに講じている。そんな夕方のシーンが懐かしかった。

柏餅と道明寺 三崎坂を下り、谷中小を過ぎたあたりで曲がり、谷中と根津の裏通りを歩いていった。屋根上の猫やレトロな建物の花屋、曙ハウス、昔ながらのクリーニング屋、街並みにマッチした店や家の間を通って、また元のアイス最中屋の芋甚に戻ってきた。根津の駅前で柏餅と道明寺をお土産に家路を辿り、今日の谷根千周りは日没を迎えた。