■寿命


死というものを意識し始めたのは十代の頃であったろうか。自分にとっての死は自ら絶つ死ではなく、いずれやんごとなき事情で訪れる、ただぼんやりと遠くから迫ってくるもののように捉えていた。

43にもなり、体のあちこちが若い頃のように伸びて、それまでできなかったようなことまでできるようになる喜びを感じる事よりも、今までできたことがふとした躓きや足りなさに失敗してしまう衰えを感じることが出始め、そのうちにその体験が頻度を高めていく。周りを見渡して、生き物という者は皆そうであることに気づき愕然とする。大人になるということは、身体的な成長は終わり、緩やかに衰えを迎えるという意味であり、だがそれは社会における人間の「成熟」なるものにすり替えられている。そんな中で死という、誰にでも平等に1度だけ起こりうる出来事にしばし思考を取られていくことがある。

私の父がこの世から去ったのは彼が63歳の時。年齢的には若い部類であろう。癌を克服した後も体は弱り体力は衰えていたところに、ふとした事から入院して2週間で亡くなった。亡くなった後の身辺整理のなかで見つけたアルバムにいた父の30代の姿は、当時近い年齢だった私に自分で見比べてもよく似ていた。その変な感動とともに自分は長く生きたいなとぼんやりと思っていた。

そもそも、最近では周りのみんなに「120まで生きたい」と触れ回っている。それくらい生きた人がいたんだから不可能ではない。時代をいくつか跨いで、長い間この人生を生きてみたいと思っている。そう見れば自分はまだ人生の1/3にしかたどり着いていない。人生70年と思えば35で折り返してしばし経ったことになってしまうが、120と思えば、まだ十代の頃に暮れても暮れても学校に行かなきゃ行けなくて、「人生まだまだ先が長いなあ」と感じたのと似た気持ちになれる。

まあ、それはあくまで外向きに虚勢を張っているに過ぎない。心の中ではもちろん自分も63で死ぬ可能性が高いんではないかと考えていたりする。父とよく似た顔つき、血液型、体つき、写真の中の父のようにたばこは吸わないけれどもアルコールは飲んでも強いわけではない。身体的にも似てるところがある上に、子供の頃、家に帰ってきた時の父の物静かで口数少ない装いは何となく理解ができるようになってきた。今の自分と重ね合わせて、きっとただ口数が少ないのではなく、ただぼーっとしていたのではなく、きっと静かな時を過ごすのが好きで、でも頭の中で色んな事を思って考えていたのだろうなと。要点だけぽろっと話すので、会話としては華やかでもなくどちらかというと口下手なんだろう。心身的にも、ふとしたつまんないことでカッとしてしまうこととか、我流の健康管理みたいなところとか。それが自分に取って一番いいと信じてやっていたに違いない。わかる。それでも若くして患い人生に一度きりのタイミングを早々に迎えてしまったのだ。

ならば、まあどう生きても長生きするか短命かなんかは誰にもわからない。そもそもの体の出来が長生き向きではないのかも知れない。それでもできるだけ120に近づけたいという気持ちに変わりはない。あと80年ほどのうちに何が起こるだろう?世界にはものすごい進歩が訪れるかも知れない。今のネットを使えないご老人たちに歯がゆく思ったりするようなことが、今度はこの私にも降りかかってくる時が来るのは間違いない。きっとその時の機器を使いこなせないおじいちゃんは歴史の生き字引でしかないだろう。もしかしたら戦争も起こってすごいことになってるかも知れない。もしかしたら、人はもっと長寿になってるかも知れない。みんな世界言語が話せているかも知れない。何にせよ、色んなものを見てみたい。

どうせ死ぬのは一度きり。それならもっともっと色んなものを体験したい。

心配事は沢山あるだろう。けれどもまだ来ぬ心配事はしても仕方ない。生きていれば喜怒哀楽すべてが起こる。怒りたいことがあるからこそ、嬉しい時はもっと嬉しい。悲しい体験があるからこそ、楽しいことも素直に楽しめる。きっと誰しも死ぬ瞬間は辛いものだろう。ほとんどの場合は痛いだろうし。はたまた、何も後に残る者の事を心配する間もなく意識を失いそのまま去っていくことになるかも知れない。ほとんどの人は人生の幸せを気持ちよく感じつつその時を迎えるなんて贅沢な往生はできないはず。ならば、その心配をして今身を絶つ意味は全くないし、早く死にたいなんて思うことも何の得にもならない。同じすべてを失うならば、せっかくだからできるだけ長く沢山のことを体験したい。そんな気合いで生きていきたい。たとえそれがあと20年で息絶えることになる運命だったとしても。生きることを楽しんでいたい。


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