■サービスとはなんだ


 欧米の普通のホテルとか行くと大雑把な掃除をしているところがある。埃がまだまだかぶっている。バスタブとタイルの間をつめてあるシリコンも適当だったり、水がちょぼちょぼしか出なかったり。トイレが流れにくかったり、塗ってあるペンキははみ出てたり、そもそもはがれてたり。立て付けの悪いたんすやシャワー浴びると必ず床が水浸しになるようなつくりだったり。ついこの前泊まったところなんか、最高級ホテルと言われていながら、ポットの電源は入らないは、トイレの便器カバーはボルト取れてるは、ダニに噛まれるは、ルームサービスにコーヒーはないは、シャンプーはあるけどコンディショナーはないは、メタメタでした。

 それに引き換え日本のホテルの掃除はなかなかなものだ。結構隅から隅まできれいにしてる。座敷ならちゃんとテーブルを中央に、まわりに座布団をきっちり。電話や灰皿や歯ブラシやスリッパや、何から何まで整然と並べられている。壁がはがれてたり、立て付けが悪かったりあんまりしない。そういう気の使い方が日本らしい。

 じゃあ、欧米のホテルはサービスが悪いのか。欧米のホテルは何よりも間取りが広い。広さだけでも心にゆとりができる。日本の部屋はこじんまりしているというより、時にはウサギ小屋かと思ってしまうホテルや旅館がある。和食はヘルシーなグルメといわれているが、最近泊まって出てくる会席料理は大抵作り置きでもう食えませんと言わせたいかのように問答無用で次から次へと出てくる。出てきたものが冷めていたりすることさえもある。朝食は大広間に来させられてプラスチックのようなハムと冷めたたまご。着色保存料バリバリのおしんこと栄養価なさそうなキャベツがたまごの下に敷かれて。

 さらに日本の旅館でいやなのは、上っ面の笑顔とうっとうしいまでの接待。ちょっとは放っておいて欲しい。嫌ってほど食わされた会席であわびをまんま残したら何度も何度も「食べないんですか」「おいしいのに」「残念だわー」と絡みまくる給仕の人。ちょっとは放っておいて欲しい。何度も何度も部屋に訪れては何やらかんやら伝えにくる。わざわざ遠いところまで来てゆっくりしようと思って来ているのにこれではぜんぜんゆっくりできない。必要なときには呼ぶからそれまでは邪魔しないで、と心で何度も叫んだ。その点欧米のホテルは放っておいてくれるから気持ちがゆったりできる。

 心のゆとりは物だけじゃない。人の気遣いをしっかり感じ取れれば心は安らぐ。気持ちがいい。押し付けがましい接待や気持ちの無いありがとうはあるだけうっとうしい。

 レストランのウエイターやウエイトレス。にこやかに料理を出してきてくれるだけで、おいしく食べられる。そんなに料理の味がズバ抜けて無くても満足して帰れるが、いくら料理が一流でも給仕の仕方が嫌な感じだと、どんなに鉄人の料理でも不満に思って帰りたくなるはず。

 ちょっとお水を頼んだときににこやかに「少々お待ちください」と言われれば、引き続き料理をエンジョイできるし、頼んでよかったと安心する。そこでいやーな顔や怪訝そうに振舞われると、何か悪いことでもしでかしたかと思うか、むかついて料理を楽しむどころじゃなくなる。

 よく成功するラーメン屋だとかレストランを指南する番組があったりするが、やっぱり真のサービスとはなんだということがわかっていない店がわんさかあるってことだろう。自分がその店を使う身になってみることはすごく大事だと思う。めったに自分の店の客になったことが無いだろうから、お客が店の接待をどう感じているかなんかわかるはずが無い。全然気づかないことが結構客には気になったりするのだ。

 たとえば、看板。10年も前に取り付けた看板。店の主にしてみれば毎日見ている看板。何一つ毎日の中では変わり映えしない。でもはじめて訪れる人にとって見ればそれは小汚い、すす汚れた、はたまたペンキのはがれた看板かもしれない。月に一度は洗ったらいい。はがし忘れたビラ。何ヶ月も気にしてないことがばればれ。厨房の中に並べられた化学調味料。これもいただけない。化学調味料使って料理するなら、誰だってできる。

 店に入って出迎える店員。アルバイトかもしれない。安く上がっていいかもしれないけど、彼ら彼女らが店主に変わってお金を払ってくれるお客様を店に迎え入れるのだ。レジの打ち方を教えるよりも先にお客の迎え方を教えるべきである。普段挨拶もしたことの無い若者を雇ってるならなおさらだ。ただ頭を下げれば客は喜ぶかというとそうではない。そんな挨拶は気づきもしない。本当にお客を迎え入れる挨拶は、心の底から「来てくださってありがとう」という気持ちの感じられる笑顔と出迎えの言葉だと思う。それはマニュアルだけでは出来やしない、一人一人の言葉で一人一人の心から出るものであれば、お客はそれを感じ取り、その店をお気に入りの一つに入れることだろう。

 服を買いに行くと、決まって店員がついて回るところがある。なんだか万引きでもするのを見張ってるかのように付きまとわれる。お客が聞きたいときにすぐそこにいるようにというのが意図なのかもしれないが、客にとってジロジロ見られてたらゆっくり品定めなんかできやしない。ちょっと服を触ろうものなら、「サイズお出ししましょうか」「これ今売れ筋なんですよ」「その色よくお似合いですよ」とくる。そんな質問など聞いてやしないのに勝手に答えてくる。ほっといてくれ!と心の中でいつも思う。何度かそれが重なると自分はすぐに店を出る。ゆっくり品定めなんて出来やしない。サイズを出して欲しければ聞く。その時に答えてくれればいい。似合うかどうかなんて万一聞きたくなったら聞く。押し付けがましいサービスなんて無い方がいい。

 客が店に来なくなる理由はいくつもある。回転すし屋の匂いが魚くさくても嫌だし、ハイターくさくても嫌だ。ラーメン屋が油たぎってるのは年季だと思ってる主人はあほだ。店員が死んで腐ったようにだるそうなのを感じとったり、汚そうな格好で喋くってるのもやっぱり嫌だし。よくあるのは店員のしているエプロンや制服が汚れているのはいただけない。食べ物扱うところはもちろんのこと、そうでない店でも黒く汚くなったエプロンをするくらいならしない方が見た目よい。バイトをするとわかるが、大抵そういうエプロンは帰る時には店においていって、来たらそこに置いてあるやつを何の気なしにつかんでつける。いつ洗ってるんだろうと自分も何度も思ったことがある。せいぜい月に一度ぐらいだろう。自分の服を月一度しか洗わないやつがいるか?そんなことさえもわかっていない店はわんさかある。

 ホテルチェーンだったら、従業員は自分のチェーンのホテルならどこでもただで泊まらせてあげたらいい。ちゃんとした客としてお金払って泊まらせてあとで清算してあげるのが良い。連れもただ。その代わり泊まったホテルのサービスについてレポートを書かせる。従業員としてではなく、何時ものしがらみは全く考えずに、正直に客として至らないところはどこなのか。どんなところを変えないとお客は満足できないのか。逆にいいところはどこなのか。いいところは続ければいい。嫌なところはすぐさま直そうと図るべきだ。従業員だからこそ真剣に隅々まで観察できるはずだし、客となって自分の至らないところもわかってくるはずだ。

 お客が満足するということは、得意客化するということで、お得意様が増えればそのビジネスは拡大するはずだし、口コミでお客も増えるはずだ。値段でもない、物の価値でもない、動線でもない、本当のサービスでの差別化ができるのだと思う。お客は千差万別だ。マニュアルで数は捌けてもサービスのクオリティーは保てるものではない。すべてのお客に臨機応変にベストな形で対応できるようになると真のサービスとなって、本当の顧客化ができるのだろう。心から出てくるものが本当のサービスだと客としてつくづく思う。


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