宇治・上林記念館の記

林屋辰三郎

宇治は、天領と御茶師の町であった。その町を代表するのは、宇治郷代官であり御茶師の頭取である上林家であった。豊太閤のころ上林掃部は、千利休の点てる茶を造ったのである。そして掃部久茂の弟竹庵が慶長五年(1600)伏見城で軍功を挙げたところから、その家流において長男峯順家、四男又兵衛家が、交互に天領と御茶師の支配に当ることになったという。

宇治の歴史は古い。古代は応神天皇の離宮があり、王朝には平等院鳳凰堂が営まれ、中世には山城国一揆の議場ともなったところだ。その波瀾の歴史と明媚な風光を併せもって、近世いらい京を訪れる人々が必ず訪れる名所の地として、現在に至っている。

その宇治の上林家において、祖先伝来の重宝を公開するために、記念館を設立されることになった。この地に住む人々はもとより、この地を訪れる人々にとって、この上ないよろこぴである。禁裡・幕府や大名家に茶を運んだ呂宋渡りの嶋物茶壺の数々は、そのうちに風雅な銘もあって、当時の茶壺の親しみを感じさせ、ふかい興味をそそられる。また利休・織部・遠州などの茶匠からとどけられた消息のさまざまは、茶を愛した人々の素直なこころを伝えて、きわめて感動的である。

その記念館に充てられた店舗そのものが、実は歴史的記念物である。そのなかの什宝とともに永く保存されることを祈りたい。

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