茶壺には、信楽焼・丹波焼など、国焼きのものが多い。だが、海外から渡来したものは各種の銘が付けられ、大名や茶人の間に殊に珍重されるところとなった。
『山上宗二記』の「大壺の次第」のなかに、
一、四十石御壺……関白様(豊臣秀吉)に在り、昔は真壺百疋・弐百疋する ときに、千本の道拙、米四十石とる田地に替えたれば、四十石と云う……などと、名器命名の由来がみえている。一、捨子……東山殿(足利義政)初めて御覧じて御物になる時、能阿弥を召 して、〃是ほどに見事成る壺に名を付けぬは、捨子か〃との玉(宣)う、 その御詞に依りて則ち、捨子と云う…・
この「清香」の大壺も、呂宋壺と呼ばれる舶載の壺の一種で肩に「清香」の押印がある。 安土桃山時代、貿易品はルソン、すなわちフィリッピンを経由して 渡来したため、総じて呂宋と祢されていたが、多くは中国南部産のもので、 東南アジア諸島産のものは僅少であったと推される。