精神鑑定
精神に何らかの作用を受けて犯罪を起こす可能性があることを、既にエルモア地方の人間は認識しています。これは過去に変異現象や術法の作用によって犯罪を起こした者が多数存在するためで、それに対応する法律や対処法は若干ながら存在しております。
変異現象による精神異常というのは、法的な裁決を下す意味では非常に重要な要素となるものです。実際、ロンデニアには『犯罪者現象』とまで言われる変異現象が起こり、何の悪意もない人間が犯罪を起こしてしまうこともあるのです。また、術法によって操られて、心ならず犯行に及んでしまうというのはさらに重要な問題です。
ここで問題になるのは、実際に変異現象や術法のために精神異常を起こしているのかという判別と、そうであった場合の責任能力の有無です。法律は国家や地域によって異なりますので、一概に基準を語ることはできませんが、共通の目安は存在します。そして、それは宗教機関の判断が大きな影響を与えているのです。
○精神鑑定
変異現象や術法の影響による犯罪であることを特定するのは、専門家にとっても非常に困難な作業です。また、専門家の意見というのは参考意見に過ぎず、法的処罰を下すために考慮する一要素でしかない、ということをよく覚えておかなければなりません。
▼鑑定者
鑑定を行うのは精神科医であることもありますが、これはほとんど先進国にしか存在しません。また、より信頼を置かれるのは術法による鑑定結果であり、精神科医は予備鑑定者という位置づけで、参考意見程度にしかならないようです。近隣に精神に関連する術法を使う者が存在する場合は、その者が鑑定を行うのが一般的です。
鑑定役は協会術法師や夢使いといった組織に属する術法師が担うこともありますが、信用と公正さという点においては聖職者が適任とされています。もっとも、それに適した能力を持つ術法師が必ずしも存在するとは限りませんので、通常は手近にいる者が最初に呼ばれて鑑定を行うようです。より詳細な鑑定が必要となれば、より権威のある者や実力のある術法師が遠方から呼ばれて鑑定を行います。
▼許可と同意
精神鑑定における一連の作業や資料というのは、取り扱いに慎重にならなければなりません。というのは、鑑定を受ける対象はその時点ではまだ犯罪者ではなく、容疑者の1人でしかないからです。そのため、鑑定には法務執行機関の許可を得る必要がありますし、容疑者の同意を得てからでなければなりません。なお、精神的に錯乱しているなどの状態にあって、容疑者の同意が得られない場合でも、家族や近親者の許可を必要とします。
術法師による精神探索などは、さらに慎重さを要する鑑定となります。これは秘匿しておきたい個人情報をのぞき見る可能性を持つものであり、容疑者の地位によっては鑑定を行うこと自体が、より大きな問題の火種となりかねません。
しかし、容疑者にとっては鑑定を受けた方が裁決に有利になることは明らかであり、よほどのことがなければ拒否することはありません。むしろ、進んで鑑定を要請することの方が多いくらいです。特に、ロンデニアのような地域的に変異現象の影響を受けることの多い土地では、自分の意志で行った犯行を変異現象のせいにしようとする場合もあるようです。なお、こういった土地では、状況から見て変異現象の影響である可能性がある場合は、正式な認可を得ずに現場の判断で調査や予備鑑定を行ってしまうこともあります。
▼鑑定場所
法的な許可を得た正式な鑑定は、多くの国家では予備審査院という非公開の場で行われることになります。これは容疑者の人権問題を考慮した上での処遇ですが、それ以前にどこからかニュースソースが漏れてしまうこともあり、必ずしも意図した通りには機能していないようです。
しかし、予備審査院は容疑者を一時的に隔離する場所でもあり、再犯を防ぐという意味では有効です。これは一般に中間監獄と呼ばれる監視施設で、ここで犯罪の重さに応じた期間を過ごし、様々な検査を受けることになります。
鑑定を行う前に調査されるのは、それ以前に精神異常を示す兆候があったかどうかで、多くの場合はこれによって通常の精神異常と外的影響(術法や変異現象)によるものを区別します。というのは、術法や変異現象によって犯罪を起こす場合は、長期的な兆候というのは見られないのが通常で、突発的に犯行を起こすことが殆どであるからです。
次に考慮しなければならないのは、犯行当時の記憶の有無です。酒類の飲用や薬物の摂取はまた取り扱いが異なりますが、そういった影響が見られない場合は外的要因によって犯罪を起こした可能性が考慮されます。ここに至って、初めて専門家による鑑定を受けることになります。
▼鑑定時間
精神鑑定は非常に時間がかかる作業であり、術法師を呼んだ場合でも数日の期間を要し、慎重に鑑定結果を判断します。複数の専門家が異なる結果を提示した場合は、さらに時間を費やすことになります。
容疑者はこの間、予備審査院に付設される施設で生活を送ることになり、外出は禁じられます。これは保護や鑑定を名目とした軟禁状態なのですが、監視人の監視のもとでは面会なども行われますし、検査を受けた上であれば差し入れなども自由です。ただし、他の鑑定対象者との接触は行われないのが通例で、1日の大半を個室で過ごすことになります。
○処罰
変異現象と特定された場合は、大方の場合は減刑となります。術法によって犯罪を強制された場合は、無罪となることが殆どのようです。もちろん、こういった外的要因による犯行が事実であったとしても、必ずしも鑑定によって正しい結果が得られるとは限りません。
▼放免
無罪となった場合は罪歴とはなりませんが、警察や法的機関が保持する書類には備考として記載されることになります。また、しばらくは執行猶予に似た状態に置かれる場合もあり、監視や外出の制限、あるいはその後の状態の報告が義務づけられる国家も存在します。
また、術法によって操られた場合など、完全に無罪として判決が下された場合は別ですが、多少なりとも責任が問われる場合は、いずれの国家でも被害者に対する賠償は行わねばなりません。なお、これは民事事件扱いとなるようです。
▼社会の反応
しかし、特別な刑罰を科さなくても、社会的には様々な不利益を被る場合が多いのが実状です。変異現象というのは、魔神の呪いという位置づけがなされており、その影響を受けるということは魔に侵されているということでもあります。前科を持つことと同様か、あるいはもっと冷たい目で見られることになるのです。
仮にそれが変異現象のせいでなくても、たとえ法的に無罪となったとしても、実際にその手で何らかの犯罪を行ったわけですから、当然といえば当然のことでしょう。時にはそれが原因で周囲から迫害を受けたり、住む場所を変えることもよくある話です。また、監視も兼ねて宗教機関が身柄を引き受け、そこで精神修養に励んで疑いを晴らすということも行われます。
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精神病質
変異現象とは別に、実際に病気として精神に異常をきたし、犯行に及ぶ者も存在します。ここで定義される精神病質の患者というのは、倫理観に乏しく反社会的な行動を取る者、衝動的に周囲に対して攻撃を加えるもの、罪の意識の稀薄なもの、意志薄弱にして判断能力の乏しい者、などが含まれます。彼らは他人の示唆や暗示などの要因によって犯罪を犯す可能性が十分にあり、それは学術的に認識されている事実です。このような人物は再犯率も高く、社会的には危険視されています。
(註:ここでいう精神病質とは、現代社会で定義されているものとは異なり、この世界での一般常識概念から見た場合の判断に過ぎません)
○鑑定と対応
▼心理学の実状
しかし、心理学の世界というのは学術的な用語の統一もまだなされていない状態であり、精神異常者の鑑定においても規格化されたテスト方式はなく、複数の専門家で異なる見解を出すのは珍しいことではありません。精神科医の中にはそのことを問題とする人もいますが、それらをまとめ上げるほどの権威ある人物もいないために、雑然とした規格が乱立しているような状態となっています。当然のごとく鑑定ミスも多数起こっているのですが、こういった問題は当人や家族の側でも隠しておきたいものですから、往々にしてうやむやのまま処理されてしまうようです。
▼処遇
鑑定の真偽はともかくとして、精神病質と判断された者の処遇は、いずれにせよ明るいものではありません。精神病質の患者と鑑定されても、犯罪そのものは基本的に当人の責任として処罰されることが殆どで、減刑されることはあっても刑を免れることはまずありません。また、減刑されても異常と見なされているうちは、教会や自治体が運営する更正院に引き渡され、事実上の収容生活を送ることとなります。
こういった者が刑に服している間、精神科医による治療を受ける場合もありますが、よほど設備が整った近代国家でもなければ、放置されるか他の服役者から隔離されて監禁されることが殆どです。場合によっては、独房で一生を終えることもあります。しかし、それでも教誨師と呼ばれる聖職者が訪れて、集団あるいは個別に相手をする程度の処置はとられています。
▼更正院
更正院に引き渡された後は、監獄にいるよりはずっとましな生活を送れるようになります。特に教会が引き取る場合は、付き添いなしで外部に出ることは禁じられていますが、それ以外はわりと自由な暮らしを送ることが可能です。教育程度の低さや認識能力の不足によって精神病質患者と判断された者は、ここでの暮らしによって社会へ適応できるようになる場合もあります。しかし、それでも更正できない者は、更正院で一生を過ごすことも珍しくはないようです。
これらの施設も結局は金銭的な問題から逃れることはできず、生活費は家族が支払うことになったり、あるいは単純労働をさせることによって、収容者自らに費用を負担させるようです。なお、自治体が運営している場合は監獄と同じで、院長や職員が経費をごまかして私腹を肥やしたり、患者を虐待することも少なくありません。時には患者を死に追いやることもあるようですが、それが表向きになることは滅多にありません。
このように様々な問題を抱えてはいるものの、精神科医というものが登場する以前に比べれば、治療の意識があるだけ向上したといえるでしょう。しかし、社会や文化そのものがより成熟しなければ、こういった問題は改善されないままで終わってしまうことになります。
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