ペルソニア/遺跡

基本情報A:北東部B:北中部C:西部D:中東部G:南東部その他


 

基本情報


 ペルソニア大陸はエルモア地方より早く大変異現象の被害から回復したようで、奥地の遺跡でその痕跡が幾つも見つかっています。南方の山岳地帯には、現在も未発見のままの遺跡が多く眠っているといわれ、これを目指す探検家たちも少なくはありません。


○呼び名

 エルモア地方ではペルソニアで興った文明や時代について、以下のように区別して呼んでいます。


▼古代ペルソニア
 空白期の頃にあった古い文明やその支配時代を全般にさす言葉としては、『古代ペルソニア』という呼び方をします。

▼始原ペルソニア
 空白期に南部の未踏地(X地域)で発展したと考えられる巨石文明は、『始原ペルソニア(文明)』あるいは『(高度)始原文明』と呼んで区別されています。ペルソニア全土に残る伝承では、その文化圏を支配したという巨大国家を、『プシュケシュ王国』(始原王国、始まりの祖国、始祖の王国の意)という名で伝えているようです。

▼巨石文明
 ペルソニアの南方を中心に発展したと考えられる、高度な石造文化を持つ文明のことです。これは始原ペルソニアだけでなく、それを起源とする文明を全て含んだ言葉となります。

▼旧王朝/旧国家/旧文明
 前聖歴以降に現われた王朝、国家、文明のことを指す言葉です。これはエルモア地方の基準での時代区分によるもので、その起源や系統に関係した分類ではありません。


○古代ペルソニア文明

 空白期の頃には、既に幾つもの国家が存在していたと推測されています。特に巨石文明の遺跡が多く発見されておりますが、それ以外の系統の国家も存在していたようです。


○始原ペルソニア文明

 空白期の頃に南部の未踏地(X地域)に存在したと考えられている古代文明で、石造建築や金属製錬に関する優れた技術を持っていたようです。ペルソニア全土に残る伝承では、その文化圏を支配したという巨大国家を『プシュケシュ王国』という名で伝えています。
 プシュケシュ王国の遺跡を発見した者は今のところおりませんが、その周辺(G・H)では巨石文明の遺跡が発掘されておりますし、西部や北部でも同じ系統の建築物や文字が発見されています。そのため多くの研究者は、プシュケシュ王国が実在したことは間違いないだろうと考えています。
 ペルソニアに残る伝承や発掘品の状態から推測するに、この文明が発達したのはおそらく空白期の頃だという説が有力です。それ以後に周辺領域への侵略を行なった痕跡や、交易の記録が確認されていないことからも、この国家が現存するとは到底思えず、既に廃れてしまっている可能性が高いでしょう。


○旧王朝

 前聖歴の頃には、始原ペルソニアから派生した国家や、新しく興った王国が各地に存在しており、その遺跡も様々な場所で発見されています。一般に、これらの遺跡は南へ進むほど古い時代のものとなることから、ペルソニアの起源は南部にあった始原ペルソニア文明だと考えられています。


○巨石文明

 巨石文明の遺跡は主に山岳地帯に残っており、大半はペルソニアの東部地域で発見されています。そのため、始原ペルソニア由来の技術は、主に赤人に受け継がれていたのではないかと考えられています。実際、D地域のレオール山脈では、幾つもの巨石建造物が見つかっています。
 しかし、アデン人が住むH地域でも巨石文明の遺跡が存在しますし、B地域に住むレグラム人の石造建築にも同系統の様式が見られることから、始原ペルソニアは複合人種の文化圏だった可能性もあります。


▼発掘物
 巨石文明の遺跡からは、以下のような発掘物が出土しています。

・仮面、石像、彫像、ミイラ、棺、書物、武器、金属製品、装飾品、宝石、食器、陶器、職工道具、農機具、衣類、霊石、霊砂、聖砂、儀式物品など


▼言語

◇始原ペルソニア語
 主に南方(G・H地域など)の遺跡で共通に見られる古代語です。現在使われているペルソニア語に近い文字もあるものの、未だ十分な解読には至っておりません。これは未踏地(X地域)にあったとされる、プシュケシュ文明(始原ペルソニア)と呼ばれる巨石文明を起源とするようですが、その根拠は原住民の間につたわる伝承のみで、実際のところは誰にもわからないままです。

◇始原聖刻語
 主に南方(G・H地域など)の遺跡の神殿や祭壇などで発見される、神聖文字と考えられている文字です。多くは石壁や石碑に刻まれているため、聖刻語と呼ばれています。これは始原ペルソニア語と同じくプシュケシュ文明(始原ペルソニア)を起源とするようで、仮面文字はこれから派生したものだと推測されています。しかし、仮面文字は読解できる言語ではなく、仮面使いと呼ばれる技術者にのみ継承される文字であるため、現在のところは誰も解読に成功しておりません。

◇仮面文字
 霊的な力を持つ呪装仮面を作製するために使われる、仮面使いと呼ばれる技術者にのみ継承される文字です。古代の神殿や祭壇でも同じ様式の文字が見られるので、始原聖刻語から派生した神聖文字の1種だと考えられています。なお、これは霊的な力を引き出すための模様であり、読解できる言語ではありません。


○ラガン帝国

 ラガン帝国によるペルソニア侵略の歴史は古く、聖歴84年に大侵攻が開始されています。彼らが建設した都市や砦の中には、地理的要因や戦略的価値の喪失、あるいは水不足といった理由から放棄されたものもあります。また、古い建築物の上に新しい建物を造ることは珍しくはないのですが、最近になってその痕跡が発見されたり、埋め立てられた地下などが見つかった例もあります。その他、古い時代に建設された闘技場、図書館、大浴場、橋といったものも、文化的遺産の1つとして考えてよいでしょう。


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北東部(A地域)


○タイプ

 旧王朝の遺跡とラガン帝国の植民地時代の遺跡が存在します。


▼旧王朝
 旧王朝の遺跡には南方の巨石文明の影響が見られ、独自の建築様式のものが幾つか発見されています。東端の方の遺跡には破壊されたものが多く見られますが、西へ進むにつれて無事な遺跡が多くなります。

▼ラガン帝国
 ラガン帝国時代の遺跡は現在もたくさん残っており、巨大都市の全体が遺跡となったものもあれば、水道橋、浴場、劇場、闘技場、図書館といったものも見つかっています。今も利用されている石造建築もありますが、その多くは壁材などが補修してあるため、ラガン色は消されてエルモア風の装飾が施されています。

▼混合型
 それほど数は多くありませんが、ラガン入植当初の時代に多く見られる混合型の遺跡も存在します。これらは旧王朝の建物の基礎にして、その上からラガン風に改装したり装飾を行ったものです。なお、これらの建物の地下から旧王朝の遺跡が発見されたり、ラガン時代にも知られていなかった石室などが見つかる場合もあります。


○ロンデニア植民地(A-1/A-6)

▼バスラ市/州都(A-1)
 ラガン色を一掃するため、ロンデニアが新たに州都として選定した都市で、ザップ川(A-1)の下流域にあります。もともとは、文化都市として栄えたラ・トゥール王国の旧王都が置かれていた場所で、有名なデルカナ学院やヴァスクル図書館などの遺跡が存在します。

▼ヘズリア市(A-1)
 アニム川の河口にある港湾都市で、ラガン植民地時代に経済の中心として繁栄しました。最初はペルソニア侵略の拠点として置かれた軍港でしたが、後に貿易港として発展を遂げ、ラガン文化の拡散の拠点ともなりました。このため、現在もこの都市の建物には、ラガン様式のものが多く残っています。


○カルネア植民地(A-2/A-7)

▼ロイドメリー市/州都(A-2)
 ラガン帝国の支配時代に大ラシャンの中心部に置かれたペルソニア最大の都市です。この都市は上空から見ると緑で覆われていますが、これはラガン時代から伝わる文化となります。なお、当時は屋上庭園にマイエル教の神の姿をかたどった像を飾っており、祭壇としても利用されておりました。しかし、その支配時代が終わると神像は砕かれ、郊外の廃棄場にまとめて捨てられてしまい、今は土砂の中に埋まっています。

▼フェシス市/旧マハローニ市(A-2)
 大ラシャン川から延びるクトラ運河の河口にある植民都市です。もともとはラガン帝国の退役軍人のために造られた都市ですが、波の穏やかな遠浅の海水浴場に人が集まるようになり、後に保養地として発展してゆきます。そのため、数多くの施設・設備が充実しており、交通網や上下水道はもちろんのこと、広場、集会所、劇場、図書館、大浴場といった建物が次々と建てられてゆきました。こういった建築物の中には既に遺跡となっているものもありますが、頑丈に造られた公共施設や貴族の別荘は、現在もそのまま利用されています。


○ルワール植民地(A-3)

▼海中遺跡群(A-3)
 トリバステ市の沖合いには石造建造物が幾つも沈んでおり、少し潜ると円柱や階段などの遺跡が目視できます。これはラガン帝国に征服されたドゥモア王国が造った建物のようで、この地域に伝わる民間伝承やラガン帝国が残した記録から、祭祀場として使われていた施設だと考えられていますが、正確なところはまだわかっておりません。というのは、本来ならば存在するはずの聖獣の巨像や、頂上にあるはずの祭壇が失われているためで、建造途中に島が沈んでしまったという説が有力です。
 祭祀場らしき施設の周囲には、窓穴のついた不思議な形の小建築物が幾つも並んでおり、これらは良い魚礁となっています。そのため、周辺ではいつも魚食性の鳥が上空を飛び回り、その下では地元の漁師たちが漁に励んでいます。


○エリスファリア植民地(A-4/A-5/A-8/A-9)

▼マ・バンバ遺跡(A-5)
 聖歴720年代にワーズ山脈の北東部で発見されたもので、大量の岩石や土砂に埋まっていたドゥモア王国時代の遺構です。この遺跡の存在が明らかになったのはまったくの偶然で、地震によって山腹の土砂の一部が崩れ、その隙間から石碑の先端がわずかに露出しているのを、近くの炭坑で働く鉱夫に発見されました。これが現在、オルシア市の凱旋門広場に戦勝記念碑として飾られているマ・バンバ石碑で、フォークト博士が率いる調査隊が掘り出してみると、巨石建造物の一部であることが判明しました。
 周辺部族の言い伝えなども含めて最終的にわかったことは、これはドゥモア王国時代につくられた聖獣信仰者の神殿らしいのですが、ラガン帝国が侵攻を開始する直前(聖歴90年代頃)に起こった大地震によって、大量の土砂や岩石の中に埋もれてしまったようです。その後、ドゥモア王国はラガンの支配下に置かれてしまうのですが、彼らが神殿が破壊されることを恐れてこれを秘匿したため、発掘される日までは現地の聖獣信仰者たちにも、伝承の中で語り継がれるだけの幻の存在だったようです。
 発掘されたのは神殿だけでなく、それを守護するための聖職者や戦士たちの住居、彼らが日用品として使っていた器や武具、そして祭祀で用いられていたと思われる仮面なども一緒に見つかっています。これらの発掘品はオルシア市にある古代史博物館に収められておりますが、ルワールの支配時代に紛失したものや、エリスファリア本国に持ち帰る途中で船が沈没するなどして、散逸した品も少なくありません。また、聖歴750年前後の戦乱期には遺跡の管理体制が整わず、自然現象や盗掘によって破損したり、幾度か発生した地震で再び埋没した区画も存在します。
 
◇戦勝記念碑(A-5)
 州都オルシア市の凱旋門広場にある記念碑は、マバンバ遺跡の巨石建築物に飾られていた石碑を移設したものです。基部は黒大理石のような外見をした不思議な円柱ですが、中間部から緩やかに角張った形へと変わってゆき、先端部は細く尖った八角錐になっています。また、継ぎ目はまったく見当たらず、塗装を施した形跡もないのに、先端に向かって少しずつ白く変わってゆき、頂点は純白の石となっています。構造はもちろんのこと、表面に彫られた文字の意味も未だ解明されていないため、考古学者や科学者がこの遺物に強い興味を示しています。しかし、これはエリスファリア植民地の象徴であり、凱旋門や広場も含めて有名な観光名所となっているため、詳しい調査・解析は現状では不可能となります。


○ラムティア山地(A-10)

▼ダートストーン(A-10)
 ラムティア山地の北西部にある奇岩地帯では、ラガン帝国による鉱産物の採掘が行なわれておりました。しかし、聖歴709年のことですが、1つの坑道が巨石でつくられた遺跡に偶然繋がり、1体の巨大な石像が発見されます。後に『冒涜の王』と呼ばれるこの怪物は、蜘蛛の胴体にねじれた人間の上半身をくっつけたようなおぞましい姿をしたもので、邪神の姿を象ったものと思われておりました。しかし、調査隊の1人が体に触れた瞬間、まるで化石のように眠りについていた怪物は隊員を体内に取り込み、その5つの眼を見開いて動き出したのです。
 その後、ラガンはこの1体の怪物によって植民地を失うことになり、未知の遺跡が存在することは知られているものの、内部の様子について詳しく語られることはありませんでした。平らな壁面で囲われた空洞の中に、巨石建造物が存在したことは間違いないようですが、詳細な調査が行なわれる前に怪物が活動を開始したため、素性も含めて一切が闇の中となっています。また、この周辺は不死者や怪物が出没したり、奇妙な現象が多発しているため、現在は誰も近寄らない土地となっています。


▼墓標都市メレジア(A-10)
 ラムティア山地の西麓にある長い洞窟を下ってゆくと、やがて地底都市へと辿り着きます。しかし、そこは死者のための街で、中央に建てられた地下神殿の回りには、無数の墓標が立ち並んでいるのだそうです。
 この都市を建造した人々は独自の装飾文化を持つ集団だったようで、中にある構造物や装飾模様は殆どが円や曲線で出来ています。円形の祭壇の周囲には巨大な円柱が均等に並んでおり、床には曲線で構成された魔法陣が描かれておりました。また、墓石も円柱に文字が刻まれたもので、神殿から放射状に広がるように置かれています。
 しかし、この遺跡が本当に存在するのかは誰も確認しておりません。というのは、発見してからさほど経っていない時期に、少し離れたダートストーンという場所から冒涜の王が出現したからです。ラガン植民地に残されていた詳細な記録資料と、探検隊が持ち帰ったとされる出土品の数々から、その報告は本物だと考えられています。しかし、不死者や奇怪な怪物が出没する不浄に地に足を踏み入れるのは困難であるため、やがてこの巨大な墓地は永遠の眠りについたまま忘れ去られてしまうのかもしれません。


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北中部(B地域)


○タイプ

 旧王朝のものとラガン帝国の植民地時代の遺跡が存在します。


▼ラガン帝国
 B-1〜B-2地域は、古くはシュパイト=ダハグ氏族同盟という、10を超える有力氏族による連邦国家が支配していた地域です。しかし、聖歴125年にラガン帝国に征服され、その支配は約600年の間続きます。そのため、この一帯にはラガン帝国時代の建物が今も多く残されており、様々な遺跡も各地に存在します。

▼旧王朝
 B-4地域にあったファルザ王国は、聖歴531年代に入ってラガン帝国の侵略を受けるまで、長く独立を保ち続けてきました。その後、ラガンの支配は聖歴720年代まで続き、聖歴734年にはソファイアの支配下に置かれますが、ファルザ王国時代の建物が現在も一部に残っています。
 同様にルクソン王国(B-5、B-6、B-7)も、聖歴530年代に征服されるまでは独立国家であったため、植民地内の各所で当時の姿を残す建築物を見ることが出来ます。


○ライヒスデール植民地(B-1)

▼ウンダーヴィルト市/州都(B-1)
 フルネル海岸にある州都で、ラガン帝国がペルソニア西部攻略の拠点として建設した軍事都市の1つです。ソファイア、ライヒスデールと支配者が変わっても、地域の中心都市として栄えてきました。ラガン時代につくられた公共施設が数多く残っており、現在もそのまま利用されているものがあります。野外演劇場や音楽堂といった娯楽施設も有名ですが、特に知られているのはアーチ式の巨大水道橋とダムで、飲料水や農業用水を供給するために使われています。

▼廃都ラーソーン(B-1)
 ナザルレシュト市から少し離れた高台にある遺跡で、石積みの城壁で守られた小都市です。これはシュパイト=ダハグ氏族同盟に加盟していたヒスニム族が建設したもので、崩れたままの石造りの家が並んでいます。
 ラガン帝国との戦いで追い詰められたヒスニム族は、ここに篭城して抵抗を試みたのですが、大軍に破られ多くの現地民が虐殺されました。その後、ラガンはこれを改装して砦として利用するつもりでしたが、建設途中に大地震に見舞われ、岩壁が崩落して大きな被害を出すことになります。
 この地震の直前に、山頂に無数の火が灯るという怪現象が発生しており、兵たちの間では原住民の呪いだという噂が広まりました。というのは、この前の戦いでウルザ氏族を征服した際に、イステアという王女がラガンへの抵抗の意思を示すために、焼身自殺を図っていたからです。兵の動揺から軍の規律が乱れることを恐れた帝国は、この場所を放棄することを決定し、現在も町は無人のまま放置されています。


○ソファイア植民地(B-2/B-3/B-4)

▼イルマ・ノーザ市/州都(B-2)
 ワーズ山脈の北西を流れるベイメル川沿いにある都市で、アルロー小州の州都となります。もともとはラガン帝国の植民都市として建設された街であり、その時代の建物や遺跡も存在しています。


▼ティフィナ遺跡(B-2)
 ワーズ山脈の北西にある台地につくられた古代の街で、空白期の時代にこの地域に移住してきた民族の住居と考えられています。高度な技術でつくられた石組みの建物が並んでおり、きちんとした石畳も整備されておりました。
 その後、南からレグラム人系の黒人部族があらわれ、麓の平地を開墾して農耕生活を送るようになります。この移住者たちは後にシュパイト=ダハグ氏族同盟の一員となるダーダル氏族なのですが、彼らが山地の方まで生息域を広げる頃には既に先住民の姿はなく、その行方は現在も明らかになっておりません。
 
◇破壊
 聖歴125年のラガン帝国の侵攻時、ティファナ遺跡はダーダル族の最後の逃げ場となりました。しかし、結局は圧倒的な軍力の前に屈し、建物に使われていた石材の多くは、麓につくられた植民都市(現イルマ・ノーザ)の建材として用いられます。戦いで破損した建物や割れた石畳は、現在もそのまま放置されておりますが、長く風雨にさらされたことによって風化したり、土砂や植物に覆われて見えなくなっている場所もあります。

◇限定情報:大壁画
 ティフィナ遺跡はダーダル氏族が聖地としていた場所で、彼らの埋葬地としても使われておりました。その理由は遺跡のさらに奥地にある石組みの祭壇に隠されています。この建築物は多角形の石が隙間なく積み上げられたもので、当時の技術では考えられないほど精緻な造りとなっています。しかし、さらに驚くのは巧みに隠された祭壇内部の空間で、複雑なからくりによって隠し扉が開くようになっています。
 隠し扉からは緩やかに下る長い通路が伸びており、奥へ進むとやがて一辺が10m程度の五角形の部屋へと辿り着きます。この部屋の入り口を除く壁には、聖獣信仰者たちが崇める4体の神獣(始祖神)と、彼らが起したとされる奇蹟の数々が描かれています。そして、天井にはこの4柱の神と、複数の頭と足を持つ異形の怪物との戦いを描いた絵があり、聖獣信仰者たちが神話を伝えるために残したものと考えられています。
 それから、この部屋の中央には立派な体格をした男の彫像が置かれており、右手には精緻な装飾が施された銀の錫杖が握られ、顔には黄金のマスクがつけられています。錫杖とマスクは彫刻ではなく本物で、それぞれ取り外すことも出来ますが、なぜこのような仕組みになっているのかはダーダル族も分かっておりませんでした。
 この部屋へ続く隠し扉はラガン帝国の侵攻時にも発見されることはなく、祭壇も異教の信仰ということで彫像が破壊された以外は、殆どの部分が当時の姿のまま残っています。そのため、壁画の部屋は数百年のあいだ1度も開かれることなく、今もひっそりと眠りについています。


▼ベルソナヴァル遺跡/仮面遺跡(B-3)
 ワーズ山脈の南西の麓で発見された、おそらくシュパイト=ダハグ氏族同盟によってつくられた石室です。ここは仮面遺跡とも呼ばれているように、3000枚以上の仮面が発見された非常に珍しい場所です。材質や細工は非常に多様で、現在では民芸品として売られているような木製の仮面や、全体に文字が彫り込まれた石仮面もあれば、呪装仮面と思われるものも大量に飾られておりました。また、金属製の品も多数出土しており、青銅、鉄、銀、黄金などの精緻な彫刻が施された仮面なども存在したようです。
 しかし、探索を行なったのがラガン帝国の植民地軍であったため、このうちの一部は本国に送られてしまい、残りの殆どはエルモア地方の国家による侵略の際に行方不明となっています。また、わずかに残った品のうち、半数はソファイア王に献上されているため、現在この植民地に存在するのはわずか十数枚しかありません。


○アポルト山(B-10)

 東西に連なるウェイクル、ロギン、バラバスの3つの高峰と、北のレ・ドゥーア峰の4山からなる山群です。アポルトというのは、この周辺で暮らす人々に共通して伝わっている巨神の名で、その神霊が宿る山として崇められています。標高5500mを超えるロギン峰の山頂は、時に傘のように広がる濃密な雲塊で完全に覆われてしまいますが、これはアポルト神が降臨している際に起こる現象だと考えられています。


▼廃都ナポト(B-10)
 レ・ドゥーア峰にある足掛け岩のうち、特に大きくせり出した1枚の岩盤の上に、ナポトという名の都市が建設されたことがあります。現在は廃都となっておりますが、カルネアの調査隊の記録によれば、当時の人々の生活の痕跡がそのまま残されており、突如として人が消えたかのような状態だったそうです。周辺部族の言い伝えでは、天に近づこうとした人間に神が罰を与え、都市の住民は1人残らず消されてしまったと言われていますが、実際のところは謎のままです。どこかに移住したにせよ行き先もはっきりとしておりませんし、この都市の文化様式は周辺部族のものとは大きな違いが見られ、そもそもどの系統の人種・民族が建設した都市なのかも判明していないようです。


○ネナン砂漠(B-7/B-11)

 南方をアポルト山とストラ山脈に塞がれた乾燥地帯で、様々な伝説が残る地として知られています。実際、ここでは古来より奇妙な現象が多発しており、夜に砂漠が青白く光ったり、砂そのものが生き物のように動くといった話が語り継がれてきました。また、砂漠の中にはデザート・ローズという鉱物によく似た、クリスタル・ローズあるいはデザート・ブルーと呼ばれる、花弁のような層状構造を持つ青白い結晶石がよく落ちています。こういったことから、ここは天地信仰者の聖地の1つとしても有名で、巡礼のためにこの砂漠を目指して旅をする者もいます。


▼失われた王国(B-11)
 原住民の伝承ではここはもともと砂漠ではなく、熱帯雨林の生い茂る湿った大地だったといいます。しかし、奥地にあった古代の王国が施した秘術が失敗し、一夜にして砂漠に変わってしまったのだそうです。その時、王国の民は都市ごと砂に飲み込まれ、今も砂漠の下で眠りについていると伝えられています。なお、砂漠には蜃気楼が時々あらわれることがありますが、この土地では失われた王国が幻像として姿を現わすと言われており、実際に古の都を見たという目撃談は少なくありません。


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西部(C地域)


○タイプ

 ラガン帝国の植民地が存在しなかった地域で、巨石文明や旧文明の遺跡のみとなります。


▼土遺跡
 内陸部では土や泥を使った建築方法が一般的であるため、遺跡もまたそういった手法を用いてつくられています。これらは思ったよりも丈夫な構造をしており、泥を固めて造った数百年前の祭壇が残っている場合もあります。

▼巨石建造物
 過去に山岳地帯に建てられた石造りの建物は、長い時を経ても朽ちることなく残されており、ペルソニアの奥地で発展した巨石文明の建築様式について学ぶことが出来ます。こういった遺跡では、現在の建築技術を超えた非常に高度な技法が用いられている場合があり、稀に学会に衝撃を与えるような研究結果が報告されています。


○ライヒスデール植民地(C-1/C-2)

▼サン・ゴート王国(C-1)
 古くに植民地とされた地域は別ですが、聖歴783年まで独立を維持したサン・ゴート王国では、他国の影響をあまり受けていない遺跡が数多く残されています。町並み自体も他の植民地とは違った趣があり、それ自体が文化遺産と言っても過言ではありません。


○ルワール植民地(C-3/C-4)

▼クルメイア市/州都(C-3)
 マルティア小州の州都であり、エスファ川の支流の1つであるソム川の河口に位置します。河川の東側はペルソニア色を残した旧都と呼ばれる町で、メイオール王国の都でもあったことから、遺跡も数多く存在しています。


○ヒナ山地(C-3/C-5/C-10)

 標高1500mほどの山々が連なる山岳地帯で、奥地には最高峰となるヒナ山がそびえています。この山は古の王国に仕えていた巫女が逃れてきた場所で、ヒナというのはその巫女の名だと伝えられています。
 昔から金や宝石が発見されていたのですが、これは神からの賜わり物と考えられていたため、あまり積極的な採掘は行なわれておりませんでした。特にヒナ山は特別な場所とされ、ドーン・ミーヴァ王族のみが立ち入ることが出来る不可侵の聖地として、長く禁足地のまま崇められてきたのです。このような伝承が残る地ですから、現在まで遺跡や遺構は発見されておりませんが、何かが存在していてもおかしくはないでしょう。


○岩壁街(C-10)

 原住民たちがグラン峡谷の岩壁を掘ってつくった家々のことで、狭い岩棚にへばりつくようにして、たくさんの住居跡が並んでいます。いつの時代の建築かは明らかになってはおりませんが、現在は廃虚となってしまっているようです。しかし、これはウルリ砂漠側の谷にあるため、誰もそこまで赴いて確認した者はおらず、実際に無人となっているかどうかはわかりません。



 
▼屍谷
 峡谷の入り口付近のことで、聖歴692年に起こった局地地震で崩落したといわれる、岩壁街の残骸が散らばっています。この地域の調査は終了していますが、瓦礫を見たところ高度な技術で造られた建築物らしく、平らに磨かれた壁材に精巧な彫刻が施してあったり、防腐用の塗料を塗った給水設備らしき木管も発見されています。幾つか発見されている宝飾品などからも、周辺部族よりも高い知識・技術を持った人々が住んでいたことは間違いないようです。しかし、装飾模様や文字らしき刻印を比較しても、近隣に住む部族の文化とはあまり関連性が見られず、かつてペルソニア奥地に存在したといわれる、巨石文明の末裔ではないかと考えられています。


○マハ砂漠(C-7/C-12)

▼宝石の谷
 キラーラ高地の麓のマハ砂漠で、聖歴690年代に宝物が発見されたことがあります。ルビーやエメラルドを豪華にあしらった宝飾品や、見事な細工の銀製品などが埋まっていたため、地下に何らかの遺跡が存在するのではないかと期待されたのですが、かなり深くまで掘り進めても何も出て来ることはありませんでした。しかし、この発見によってキラーラ高地の調査が本格的に行なわれ、ロンデニアは新たな鉄や石炭の供給地を手に入れることになります。
 なお、この場所は正確には砂漠ではなく、砂が吹き溜まった峡谷だったようで、他にもこのような大きな亀裂が幾つも地下に存在することが確認されています。これらをロンデニアの人々は『砂谷』と呼んでいますが、新たな発見を夢見て砂を掘る人々の姿を、今でもこの付近で時々見ることができます。


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中東部(D地域)


○タイプ

▼ラガン帝国
 過去に植民都市が置かれていた土地には、現在もラガン帝国時代の遺跡が残されています。しかし、自力で独立を勝ち取った地域の場合は、ラガン色を払拭するために過去の建造物を破壊したり、基礎だけを残して新しい建物として再利用していることもあります。


▼巨石文明
 レオール山脈(D-1)の南部には、石組みの宮殿や祭祀場などの遺跡群が点在しています。この地域は、文化圏としては河川で繋がる北東部(A地域)と同じ系統になりますが、建築様式や出土品の加工法、あるいは使われている文字や紋様などに、南部(G・H地域)で発見された遺跡との類似性が見られます。また、墓所から発掘された遺体から、これらを建築したのは赤人部族であることが判明しているため、彼らの出自がペルソニア南部由来だという説を裏付ける証拠の1つに挙げられています。
 
◇地下都市
 遺跡群が発見された山中のどこかに、ラガンの侵略から逃れるために建設された地下都市が存在したといいます。これは赤人の間で語り継がれている話で、旧バンデミア王国と並ぶ大集団であったらしいのですが、いつしか記録から消え失せてしまったそうです。現在もその都市は痕跡さえ発見されておらず、手がかりは各地に残る伝承のみとなります。

◇石人形
 南部で発見された遺跡から、数百体にも及ぶ人間大の石人形が発見されたことがあります。これらは1体ずつ違う体格、異なる顔を持っており、まるで生きた人間を石に変えたようだといいます。
 石は永遠を象徴するものであることから、不死を願ってつくられた彫像だという説が有力です。しかし、ペルソニアの一部には、石人形は封じられた咎人で、善行のために神に使役されることによって罪を清められるという伝承も残っています。なお、これらは装飾もない粗末な部屋に無造作に置かれており、そこへ通じる扉が厳重に封じられていたこともあって、後者の言い伝えに由来するものだという研究者も少なからず存在します。


○砂漠周辺(D-5/D-6)

▼円穴集落
 岩砂漠や礫砂漠に見られる建築様式で、窪地の斜面を真直ぐに縦に削り取り、その壁面に横穴を掘った集合住宅です。これは風避けと暑さ対策のための工夫で、砂地の近くでは殆ど見られません。
 3〜8家族ほどが暮らす集落が一般的で、大きいものでも12〜15家族程度となります。しかし、クレーターのような巨大な穴に、さらに複数の縦穴を掘って建設した円穴都市の遺跡が見つかっているため、他にもこのような大集落が存在する可能性もあります。


▼ポルトナ
 ティトナ砂漠の南の入り口にある隠れ里のような街で、その存在は殆ど外部の者には知られておりません。ここに辿り着くためには、隠れ谷と呼ばれる迷路のような崖地を通り抜ける必要があります。街は数十mほどの高さのある崖の合間につくられており、分厚い石の扉が備え付けられた大きな門の向う側に、石窟建築や岩にへばりつくようにして建てられた家々が並んでいます。岩石地帯の奥にあるためか、街に砂は殆ど入り込んでおりませんが、嵐や竜巻きによって巻き上げられた砂が降り積もることがあるようです。
 
◇無人都市キトエバ
 隠れ谷の奥地には、ポルトナと殆ど同じ配置でつくられた無人の街が隠されています。この場所は墓所として使われており、ポルトナの住民が死んだ時はキトエバにある家に葬られ、そこでミイラとなってやがて朽ち果ててゆきます。つまり、キトエバは死者の住む街であり、住居などの用途で利用されることはありません。


○洞穴都市(D-5)

 D-5地域の山中には、巨大な洞穴都市で暮らす集団がいたといいます。これは防御に適した岩山の洞穴を繋げてつくったもので、集合洞穴とも呼ばれていました。真実かどうかは確認されておりませんが、中には数千もの出入り口と部屋が存在し、大きなホールには集会場や礼拝所が設けられていたそうです。また、山上にある巨大な溜め池から水道を引いたり、斜面につくった畑で作物を栽培していたという話も伝わっています。
 この都市に入るためには、石柱が並ぶ複雑に入り組んだ谷を抜ける必要があります。しかし、どのような仕組みかは分かりませんが、短い時間で石柱の形状や地形が変化して、侵入者を迷わせたといいます。また、途中ですりばち状の舞台のような開けた場所に出るそうですが、そこを取り囲む岩壁の上の方には、洞穴都市から繋がる無数の穴が開いており、侵入者を上から攻撃できる構造になっているということです。この都市が現在も存在するかどうかはわかりませんが、おそらく住民は石皮病を患って滅んでしまったのではないかと考えられています。


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南東部(G地域)


 この地域にはかつて高度な文明が栄えておりましたが、そのルーツは未踏地(X地域)のプシュケシュ王国(始原ペルソニア文明)だと考えられています。その根拠の1つとなるのが、ウィノー川の水源となるグレボロ山地にある、ラガン帝国の探検隊が発見した巨石文明の遺跡です。


▼ナクラム遺跡(G-1)
 グレボロ山地の西側に広がる密林には、ウィノー川という河川が流れています。この上流域で聖歴707年に発見されたのがナクラム遺跡で、これは空白期の頃に未踏地(X地域)で発展したものと考えられている、始原ペルソニアの系譜に連なる文明とされています。
 山地の斜面に建てられていた巨石神殿群には、聖獣信仰の神とされる神獣らしき姿の像が祀られておりました。また、地下に隠されていた玄室には2つの石棺があり、中には様々な装飾品で飾り付けられた、赤人系人種の男女のミイラが眠りについておりました。
 この遺体の最も変わっている点は、全身余すところなく金箔が厚く貼られ、その表面に奇妙な紋様が描かれていたことです。さらに彼らの顔の上には、宝飾品で飾られた黄金の仮面も被せられておりました。なお、この棺のあった手前の部屋には、数体の木棺に同じくミイラが横たえられていたのですが、彼らの体に金箔は施されておらず、つけられていた仮面も陶製の質素なものでした。
 これらの他に副葬品も多々発見されており、水晶を磨いてつくった王や妃のものと考えられる像、宝石を贅沢にあしらった装飾品、技工の粋を凝らした金銀の器などが、ラガン植民地に持ち帰られました。しかし、研究者の目を引いたのは、建築物や埋葬品に刻まれていた文字や紋様の方でした。これはペルソニアの人々が使う仮面文字によく似たもので、それまでに発見された他の地域の遺跡にも、これと類似する文字が残されていたからです。
 この文字は始原聖刻語と呼ばれるもので、これまで解読に成功した者は誰も存在しなかったのですが、今回の発見で研究は大きく進むものと期待されました。しかし、聖歴709年に冒涜の王が出現したことがきっかけで、ラガン帝国はペルソニア植民地を失うことになります。そして、その混乱の最中に調査資料は散逸し、出土品の多くも略奪にあってしまいました。一部の品は皇帝に献上するために本国へと送られていましたが、これも中央地方が結界にとらわれてしまった今では、どういった状態にあるのか誰もわかりません。残されたのはわずかな副葬品と、今も密林の奥地で眠るこの遺跡のみで、研究を行なうためにはこの地を訪れるか、失われてしまった資料を探し出さなければならない状態です。


▼第二調査隊(ロンデニア)
 聖歴784年のことですが、ピエール=ドゥナシス率いるロンデニアの調査隊が、この地を1度訪れています。彼らの目的は遺跡の再捜索と、巨石建造物を造り上げた人々の都市を発見することでした。残念ながら、密に生い茂る熱帯雨林やそこに住む野生動物に阻まれ、住居の方は遂に見つけだすことはかないませんでしたが、現地人の案内のおかげでナクラム遺跡には無事辿り着き、内部の再探索を行なうことが出来ました。これによって新たに入手できた宝物の一部は、本国のペルソニア博物館にも展示されています。
 
◇限定情報:霊石
 調査隊は玄室に向かう途中に、もう1つの通路が隠されていることを発見しました。そして、その奥にあった部屋で見つけたのが、人の頭ほどもある幾つかの霊石です。
 この霊石は宝石のようにカットされ、4体の黄金の女性像に抱え上げられるような形で置かれていました。美しく磨かれた霊石の周囲は、黄金の精巧な細工で飾られておりましたが、最も目を引いたのは石の表面に彫り込まれた始原聖刻文字です。また、特徴的なのはそれだけでなく、石の内部には白く細い糸のような筋が透けて見えており、角度によって様々な模様を描きながら光を反射していました。
 この霊石は儀式に用いられたのではないかと考えられていますが、素性・目的ともに現在も謎のままとなっています。検知器での調査では単なる霊石であり、その破片と思われる石で霊子機関を動かしてみたところ、通常と同じように起動しました。しかし、内部に見える筋は時おり自ら白光を放っているようにも見受けられ、単なるヒビというわけではないようです。優れた技術をもってパズルのように霊石のパーツを組み立てたか、あるいは全く新型の霊子物質ではないかと考える研究者もいますが、まったく根拠のない憶測に過ぎません。
 これらの石の半分は本国に持ち帰られ、現在も研究が続けられています。なお、この霊石の存在はごく一部の者しか知らず、表向きには全く明かされていない情報ですが、その特徴から『刻印霊石』と呼ばれているようです。


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その他


○中部(E地域)

▼ヤンワナ遺跡(E-1)
 ズマ山地の北麓には、シュパイト=ダハグ氏族同盟の一員であったウロンク族の廃都が存在します。彼らはラガンの侵略を受けた際に、北のワーズ山脈から逃れて来た集団で、優れた石造建築技術を持っていました。
 奥地にある小さな岩山の上に1つの街を形成しているのですが、その下には雨水をたくわえる貯水池と高さ1mほどの水路が整備されており、少し離れた平野部にある耕作地まで水を引いていたようです。また、水道システムには石や砂利を敷き詰めた濾過装置もついていて、縦横無尽にはり巡らされた水路から、樋を使って各家庭にも水が供給されておりました。
 街の一番高い場所には部族の墳墓である石窟神殿が置かれておりますが、現在は荒々しく装飾や壁画が削り取られた石室の中に、壊れた石像の破片が無惨な姿で転がっているだけです。おそらく周辺部族との戦いに破れ、彼らは殺害されるか別の場所に移ったのだと考えられていますが、襲った側がこの街や水路を利用した痕跡は見られないようです。また、今では地下水路の中に危険な野生動物が住み着いているらしく、この周囲に近づく者は殆どいないようです。


▼オアシス遺跡(E-3)
 過去にはカナデ砂漠の奥地にも都市が存在していたらしく、通商の拠点となるオアシス都市の記録があります。しかし、やがてオアシスの水が失われたことで、それらは人の住まない廃虚となったという話です。これらの都市の建物の殆どは砂に埋もれてしまったようですが、そもそも交通の少ない地域であることから、ごくまれに痕跡となる建物がわずかに発見されるだけとなります。


▼リャナル・ポガ遺跡(E-4)
 メノップ川の上流域の斜面には、遥か昔にリャナル・ポガという名の王国が建てられていたのですが、現在は壊れた石造りの建物の痕跡を残すのみとなっています。伝承によれば巨大な漆黒の獣に襲われ、数日のうちに滅びてしまったといわれていますが、その真偽のほどはわかっておりません。
 石塔が立ち並ぶ王宮や方形の神殿跡が残されていますが、これらの周囲は現在では木々で覆われており、一部は水没しているところもあります。また、ここには危険な野生動物も住み着いていることから、周辺に暮らす部族の者たちも訪れることはありません。なお、過去にこの遺跡を訪れたことのある原住民の話によると、どうやら聖獣を信仰していた王国らしく、王宮の壁一面に獣の彫刻が施されていたということです。しかし、めぼしい宝が眠っているということはなく、単なる廃虚となっているそうです。


○南西部(H地域)

▼白巨人の石窟寺院(H-2)
 マハ砂漠を抜けてベラフィム山脈の中腹まで到達したロンデニアの探検隊は、そこで無人の巨大な石窟住宅を発見します。大きくせり出した岩の下に掘られた穴の中には、回廊のようなテラスとその奥に続く数十の部屋があり、金属食器や家具などの生活の痕跡が残されていました。また、水路の跡から灌漑農業を行なっていたと考えられ、周辺地域に住む原住民たちよりも発達した技術を持っていたようです。
 探検隊の興味を引いたのは、おそらく礼拝所だと思われる部屋の壁に描かれた、白い巨人たちの絵です。シルエットで描かれてはいるものの、4体の巨人は翼や角などを備えているため、これは聖獣信仰者たちに伝わる神話の一幕なのでしょう。気になるのは彼らが戦っている相手なのですが、その敵は冒涜の王と呼ばれる怪物の姿によく似ているため、神々の時代の出来事は真実の断片を伝えているのではないかと考える者もいます。


▼金石混合文化(H-2)
 本当かどうかはわからないのですが、リュヤンナ山地の奥地には黄金の都があり、そこには壮麗な巨石建築が並んでいるという者がいます。彼の名はファビアン=ディビーシュといい、その遺跡を発見したのは彼の父親なのだと話しています。
 それらの建物は金箔で装飾されており、黄金や銀でつくられた豪奢な食器や、様々な宝物が見つかったのだといいますが、ファビアンはその証拠を示すことが出来ません。というのは、探険隊を率いていた父ノーマンとその一行は、宝を手にして帰る途中に原住民に教われ、それらの殆どを奪われてしまったというのです。
 瀕死の状態でただ1人戻って来た父親の手記には、確かにその手がかりとなる記録が残されていました。しかし、それまで探険家としての実績が殆どないノーマンは、皆にただの詐欺師だと思われており、いつも探索資金をかき集めるのに苦労していた男です。ファビアンはそんな父の汚名を晴らすべく、協力を募って奥地の探索へ赴こうとしていますが、同行を申し出る者や資金を提供する支援者は誰もおらず、最近では安酒場で飲んだくれる毎日を送っています。


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