(A)北東部/全体 

基本情報文化・生活


 

基本情報


 ペルソニア北東部(A地域)では、古くから現地民によって農耕を中心とした暮らしが営まれてきました。そのため、旧王朝時代に繁栄した王国の遺跡も多く残っておりますが、それらの国家は後に中央地方のラガン帝国に支配されることになります。その後、聖歴700年代に入ると、ラガン軍は冒涜の王と呼ばれる怪物によって壊滅的な被害を受け、その植民地時代は終わりを迎えるのですが、代わってエルモア地方の国家が次々と入植を果たし、現在もその支配下に置かれる状況が続いています。


○地勢・気候

 ペルソニア北東部域は亜熱帯から熱帯に属しています。この地域は海から吹く風によって湿潤な気候となり、気温、雨量ともに安定しています。夜間を除いて、気温は1年を通じて20℃を下回ることはなく、平均気温は25度近くになります。
 もともとこの一帯は熱帯雨林や草原などが広がっていた場所で、野生の動物が多く見られました。しかし、前聖歴には既に赤人たちが移住し、ラシャン川やザップ川といった大河の下流域に農地が開墾されるようになります。そして、聖歴に入ってラガン帝国の植民地になると、さらに南へと開拓は進められ、それまでの大自然の景観は殆ど失われてしまいました。
 河川の上流域(D地域)では、まだ未開発の草原や密林が多く存在しますが、こういった場所でも少しずつ木材の伐採や焼き畑による耕作地の拡大が行われ、大規模な農場が開かれるようになっています。しかし、密林の奥地になると河川も急で、少し進むと幾つもの大きな滝に遭遇するので、舟での移動もままなりません。猛獣や変異体も多く出現することから、かつて探険に出かけた人のほとんどが逃げ帰るか、2度と戻って来なかったかのどちらかです。


○人種・系統

 前聖歴の古くに赤人がこの地域に移住し、幾つかの国家を建てました。その後、聖歴80年代になるとラガン帝国の侵攻が行われ、この一帯に黄人が入植を開始します。これによって赤人と黄人の混血が多く見られるようになり、また、西部では赤人と黒人の混血も行われるようになります。さらに聖歴700年代に入ると、エルモア地方にある国々の植民地へと変わり、白人の血もこの地域の人々に混じるようになりました。
 ここはエルモア地方の人々が行き来できる場所の中でも、最も混血の多い地域となっています。しかし、以上のような経緯から、彼らの祖先を正確に辿るのは不可能な状態です。


▼種類
 バウンシャ系民族と呼ばれる赤人が主体となりますが、混血民も数多く住んでいます。
 
◇バウンシャ人(赤人)
 古くからこの一帯を支配してきた赤人民族で、褐色あるいは赤銅色の肌と、赤みがかった髪や瞳を持ちます。エルモア北方に住むレプラッド系赤人と同系統の民族だと考えられていますが、華奢なレプラッド人より全体的に体格がよく、肌や髪の色もやや濃いのが特徴です。

◇レグラム人(黒人)
 前聖歴の頃よりペルソニア北中部(B地域)から中部(E地域)の一帯に住んでいた黒人で、多くは南西地域で暮らしています。

◇クルゼイア人(混血:赤人+黄人)
 バウンシャ系赤人とラガン由来の黄人の混血で、この地域全般に住んでいます。

◇レバンド人(混血:赤人+黒人)
 バウンシャ系赤人とレグラム系黒人の混血で、多くは南西の方に住んでいます。

◇黄人
 聖歴に入ってから入植を果たしたラガン帝国由来の黄人です。ソロニア人、ドゥーガル人、マステュス人、セル人、クリントル人など、数多くの黄人民族やその混血が存在します。なお、ラガン帝国が滅んで以来、ペルソニアでの黄人の地位はあまり高くなく、白人には蔑視される傾向にあります。

◇白人
 聖歴700年代に入植を果たした白人国家から移民で、ロンデニア人、カルネア人、エリスファリア人、ルワール人などがいます。

◇その他
 白人と他民族の混血や、クルゼイア人とレバンド人の混血なども存在します。


○産物

 この付近の多湿で肥沃な海岸地帯は綿の栽培に適しており、一帯は綿織物産業の原料供給地として発達しました。他にも、北部の耕作地ではタバコ、サトウキビといった作物が、南部の低高地からは香辛料やコーヒーが収穫されています。また、山地では鉱産資源の採掘や製紙用木材の伐採が盛んに行なわれています。


▼農産物
 綿、太陽麻、タバコ、サトウキビ、米、トウモロコシ、香辛料、コーヒーなど

▼鉱産物
 鉄、銅、石炭、鉛、亜鉛、リン鉱石、ニッケル、マンガン、宝石類など

▼その他
 木材(建築材、パルプ材、染料原木など)


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文化・生活


○概要

 人種の多様さと同様に、文化についても雑然とした印象を受ける地域です。侵略を行った当時のラガン帝国は、植民地支配を完全なものとするために、土着の文化を排除する傾向にありました。しかし、彼らが帝国民に同化し、黄人と赤人の混血も当たり前になると、赤人たちの文化も少しずつ認められるようになります。
 こうして融合した独自の文化の中に、新たに白人の風習も多く入り込んで来ておりますが、未だこの2つは融合したとはいえない状態です。しかし、それぞれがモザイクのように折り重なったまま、互いに影響を与えあって、現在も独自の文化を発展させています。


○宗教

 現在、植民地を所有する国家の宗教が一般的ですが、ラガン帝国の支配下に長く置かれていたため、マイエル教の影響が強く残っています。また、奥地では土着の宗教を信奉する民族も残っているようです。
 なお、多神教であるマイエル教は、支配地で信奉されている神々を取り込んで発展することが出来るため、植民地支配の助けとなりました。しかし、一神教である聖母教会やエリスファリア国教会では、土着の信仰を認めることはありませんので、その点について衝突が起こる場合もあります。特に、エリスファリア国教会では強制的な改宗を強いるため、これが原因で過去に暴動が発生したこともあります。


○食事

 主食はトウモロコシをつぶして焼いたパンや煮た米となります。北部ではそれに野菜や海産物の煮物が、南部の場合は平原で捕れる動物の肉や川魚などが添えられます。


○遺跡

 旧王朝の遺跡とラガン帝国の植民地時代の遺跡が存在します。


▼旧王朝
 旧王朝の遺跡には南方の巨石文明の影響が見られ、独自の建築様式のものが幾つか発見されています。東端の方の遺跡には破壊されたものが多く見られますが、西へ進むにつれて無事な遺跡が多くなります。


▼ラガン帝国
 ラガン帝国時代の遺跡は現在もたくさん残っており、巨大都市の全体が遺跡となったものもあれば、水道橋、浴場、劇場、闘技場、図書館といったものも見つかっています。今も利用されている石造建築もありますが、その多くは壁材などが補修してあるため、ラガン色は消されてエルモア風の装飾が施されています。


▼混合型
 それほど数は多くありませんが、ラガン入植当初の時代に多く見られる混合型の遺跡も存在します。これらは旧王朝の建物の基礎にして、その上からラガン風に改装したり装飾を行ったものです。なお、これらの建物の地下から旧王朝の遺跡が発見されたり、ラガン時代にも知られていなかった石室などが見つかる場合もあります。


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