ラガン帝国
ペルソニア大陸に最初に侵攻したのは、地理的に近い位置にあったラガン帝国でした。まずラガンは、聖歴84年にペルソニア北部のラ・トゥール王国(A-1)を攻め、聖歴87年までに全国土を征服します。次に聖歴91年にその隣国のはギゼルス王国(A--2)を滅ぼし、聖歴98年にはドゥモア王国(A-3、A-4、A-5)までの地域を占領します。
その後、聖歴125年にシュパイト=ダハグ氏族同盟(B-1)の支配地域を植民地とすると、ラガンは交易路の拡大と未開地の開拓に着手します。この時期のエルモア地方は非常に混乱しており、その隙をついてペルソニアを独占したラガン帝国は、植民地貿易を通じて勢力を増してゆきました。特に植民地産の香辛料を武器にアニスカグナ地方との交易を独占したことで、ラガン帝国は不動の地位を築き上げます。
こうして力をつけたラガン帝国はエルモア地方へと足を伸ばし、聖歴262年には現在の都市国家半島を平定します。しかし、聖歴329年にセルセティア征服に失敗したことで国内は乱れ、その隙をついて侵攻してきたアニスカグナ地方のイルヌ王国と戦うために、植民地の拡大政策は中断しなければなりませんでした。
その後、帝国はこの侵攻を退け、聖歴355年には逆にイルヌ王国の征服に成功させます。この戦いの間にペルソニア北東部の植民地で、奴隷の逃亡事件やその混乱に乗じた貴族の反乱が相次ぎますが、聖歴360年までにこれらを鎮圧して再び支配体制を整えます。こうして帝国は領土を拡大し、再びアニスカグナ地方との独占貿易体制を確立させ、かつて以上の隆盛を極めることになりました。
聖歴500年代に入ってからのペルソニア貿易は、ラガン・カーカバート勢とルワール・カルネア勢がほぼ独占する状態でした。しかし、聖歴400年代後半から重なりはじめた国内問題と、聖歴520年代前半に起こったソファイアとの戦いなどが原因で、ラガンは少しずつ勢いを失ってゆきます。これを挽回するためラガンは西部に向けて武力侵攻を開始し、聖歴528年にはソファイア植民地(B-3)を奪いました。そして、聖歴731年にファルザ王国(B-4)、聖歴534年にはルクソン王国の半分(B-5)に兵を進め、これらを支配下に置くことに成功します。また、共同でルクソン王国へと攻め込んだカルネアが、聖歴540年代後半にユークレイ侵攻に力を入れるようになると、その隙をついてB-6およびB-7地域を奪い取り、領土を拡大してゆきます。
しかし、この勢いは長くは続きませんでした。この時期までの貿易強国は、あくまでもペルソニア植民地の拡大をメインとしており、セルセティアに干渉することはありませんでした。しかし、ペルソニアの領土問題に一段落がつき、カルネア・ルワールの勢力が弱まったことから、ラガン帝国はセルセティア征服に乗り出すようになります。こうして聖歴553年から2度の侵攻が行われましたが、いずれも失敗に終わったために責任問題で国内が揺れ、王朝の交替劇へと発展することになります。
国内問題があらかた落ち着いた聖歴620年代になると、ラガンは再びセルセティアへの侵攻を再開します。しかし、この時はソファイアがセルセティアについたことで、またもセルセティア侵略は失敗に終わります。この時代になるとかつての権勢は薄れ、ラガンは他国から退廃帝国と揶揄されるようになっていました。
その後、一時的に勢いを落としていたロンデニアなどの国家が、再びペルソニア西部への進出を再開したため、エリスファリアと同盟を結んで対抗しようとします。そのために王家同士の婚姻を結ぼうとしたところ、互いの信仰が異なることから宗教問題に発展し、ついにはエリスファリア国教会が誕生することになります。これらの騒動によって同盟の締結はうまくゆかず、他国の植民地拡大を助ける結果となりました。
聖歴700年代に入ると、ペルソニア大陸で大きな変化が起こります。聖歴709年のことですが、ラガンの植民地(A-9)に「冒涜の王」と呼ばれる怪物が出現したことで、植民地の駐留軍はほぼ壊滅状態に陥ります。これによってラガンは支配地の多くを失い、諸外国にペルソニア植民地への参入を許すこととなります。こうしてカルネア(A-2東部、A-7北部)、エリスファリア(A-5、A-8)、ルワール(A-2西部)ロンデニア(A-1、A-6北部)、ソファイア(B-3、B-4)などに次々と植民地を奪われ、聖歴750年までにペルソニア植民地の殆どを失ってしまいます。
聖歴760年代に入ると、ペルソニア大陸におけるラガン帝国の領土は、完全に失われることになります。というのは、聖歴762年に起こった謎の爆発事故によって、中央地方が結界に閉じ込められてしまったためです。これによって統制を失った北部のラガン植民地は、ロンデニア、カルネア、ライヒスデールに奪われることになりました。こうしてラガン帝国の領土は、完全に歴史の上から消え去ることになります。
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カルネア連邦共和国
カルネアがペルソニア貿易に進出したのは、聖歴520年代のことになります。この頃、国内問題からロンデニアが海洋での力を失い、ラガン・カーカバート勢力および、ソファイアがアリアナ海交易の中心となっていました。聖歴496年に興ったばかりのカルネア王国は海洋での力を持っておらず、同じく他勢力と対抗する力を探していたルワール大公国と手を結んで、海洋貿易に乗り出すことになります。
ペルソニアへの進出を果たしたカルネアは、聖歴525年にラガン帝国と共同でルクソン王国に侵攻し、B-6、B-7地域を武力で制圧します。この国はエリスファアリアが後ろ盾となっていたのですが、この時期のエリスファリアは国内問題で揺れており、ペルソニアへ派兵する余裕はなく、ルクソン王国はラガン、カルネアに分割されてしまうのです。
しかし、聖歴540年代後半に入るとカルネアはユークレイ侵攻に力を入れるようになり、この隙をつかれてラガン帝国に植民地(B-6、B-7)を全て奪われてしまいます。その後の国内は混乱を極め、再びカルネアがペルソニアへ進出するのは、聖歴700年代に入ってからのことになります。
聖歴730年代に入ると、ロンデニアと同盟を結んだカルネアがペルソニアに再進出を果たし、かつてラガン帝国に奪われたペルソニア植民地(B-6、B-7)を取り戻して、多くの奴隷を労働力として手に入れます。また、同じ時期にラガンの植民地(A-2東部、A-7北部)を制圧し、さらに領土を拡大します。
その後、聖歴750年代にはカルネアとルワールの関係が悪化し、聖歴753年にはルワールの植民地(A-2西部)を奪い取るのですが、これによってロンデニアとの協調関係が崩れてしまいます。それから、聖歴762年にはラガン帝国滅亡に乗じてA-7南部およびB-5地域を得ますが、同盟国を持たないカルネアは他国との対立を避けるため、武力による植民地の拡大をこれで取り止め、農地の開墾を主とした政策に切り替えます。その後、聖歴770年代に入ると国内が2分し、聖歴788年には内戦が勃発するに至り、ペルソニア政策は停滞したままとなっています。
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エリスファリア王国
エリスファリアのペルソニア進出は、セルセティアに中継港を得た聖歴450年代からとなります。この時の争いに破れ、セルセティアの植民都市から撤退したソファイアは、ペルソニアへの航路も失ってしまいます。エリスファリアはこの隙をつき、ソファイアと関係の深かったペルソニア北中部のルクソン王国と貿易を開始し、海上交易を通じて大きな発展を遂げたのです。
しかし、聖歴510年に始まるラグの復讐海戦と呼ばれる戦いと、それに繋がる貴族戦争と呼ばれる諸侯同士の争いが起こると、セルセティアの駐留軍は本国へと引き上げることになります。こうして長く国内問題の処理に追われ、中継港を維持できなくなったエリスファリアは、ペルソニアとの交易ルートを失うことになりました。この間に、エリスファリアを後ろ盾としていたメイオール王国やルクソン王国は、カルネア、ラガン、ルワールといった国々の侵略を受け、植民地にされてしまうのです。
聖歴700年代に入ると、ペルソニア大陸で大きな変化が起こります。聖歴709年のことですが、ペルソニア大陸に「冒涜の王」と呼ばれる怪物が出現したことで、ラガン帝国の植民地の駐留軍はほぼ壊滅状態に陥ります。これによってラガンは支配地の多くを失い、諸外国にペルソニア植民地への参入を許すこととなるのです。いち早くこれに対応したのがエリスファリアで、混乱状態にあった多くの植民地(A-3、A-4、A-5、A-8)を支配下に置くことに成功します。
しかし、その栄華は束の間に過ぎませんでした。というのは、聖歴722年に入ってすぐのことですが、火山の噴火の影響で近辺の土地が飢饉に見舞われたためです。これによって本国の植民地への影響力は低下し、聖歴730年〜750年の間にはA-5地域で独立運動が起こります。この運動は聖歴760年代には沈静化されますが、混乱に乗じてルワール大公国がA-3およびA-4地域に武力侵攻し、聖歴736年には自国の植民地としてしまいます。聖歴760年代に入ってから、A-4地域は奪還を果たしたものの、A-3地域は現在もルワールの支配下に置かれています。
その後も植民地政府の立て直しに時間を取られたエリスファリアは、開拓や鉱山開発による植民地拡大を行うものの、武力を用いて植民地を獲得することはしておりません。しかし、このまま南下してゆけば、いずれ他国との衝突は避けられない事態となるでしょう。
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ルワール大公国
ルワール大公国のペルソニアへの進出は、その前身である東メルレイン連邦国家の時代に始まります。東メルレイン連邦国は、聖歴220年代に入るとカーカバート、ロンデニア、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)らと手を結び、ペルソニア大陸とエルモア地方の間にあるバントライン諸島を中継港として、ペルソニア西部にあったサン・ゴート王国(C-1)やメイオール王国(C-2、C-3)との貿易を行うようになりました。
その後、ロンデニアとの間に交易に関する諍いが起こると、新たにラガン帝国と手を結びます。こうして力を得た東メルレインは、聖歴292年にはファルザ王国があったB-4地域を支配し、約半世紀の間ですが植民地を得ることになります。しかし、聖歴329年にラガン帝国がセルセティアへの侵攻を失敗すると、それに伴って東メルレイン連邦国も海上での力を失い、ソファイアの支援を得たファルザ王国は、聖歴340年代には再び独立国家へと戻ることになります。
その後の東メルレイン連邦国は、飢饉や黄人の反乱といった国内問題の発生によって、凋落の一途を辿っておりました。しかし、聖歴472年に東メルレイン連邦国の首長がルワール朝に交代すると、硝石を欲していたロンデニアとの同盟が結ばれ、再び海洋貿易に乗り出すようになります。
しかし、聖歴520年代に入ると、国内問題からロンデニアが海洋での力を失い、ラガン・カーカバート勢力および、ソファイアがアリアナ海交易の中心となります。そのため、ルワールはしばらくエルモア地方での戦いに集中し、幾つかの領土を得て力を蓄えてゆきます。そして、ラガン帝国が力を落としている隙をついて、聖歴570年代にはペルソニア西部のメイオール王国(C-2、C-3、C-4)を支配するのです。
次にルワールがペルソニアへ侵攻するのは、聖歴730年代のことになります。聖歴709年に出現した「冒涜の王」と呼ばれる怪物によって、ラガン帝国の植民地の駐留軍はほぼ壊滅状態に陥り、多くの国家が植民地を奪いにペルソニアへ進出します。ルワールもこれに乗じ、聖歴730年代にはラガン帝国からA-2西部を奪い、同じ頃にエリスファリアの支配域であるA-3、A-4も植民地とします。しかし、聖歴750年代に入ってカルネアとルワールの関係が悪化したことから、ペルソニア大陸で2国間の争いとなり、聖歴753年にはカルネアにA-2西部の植民地を奪われることになりました。また、聖歴760年代にはエリスファリアにA-4地域を奪還されておりますし、近年では新たに開発したC-9地域をライヒスデールが狙っているという噂があるようです。
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ソファイア王国
ソファイア王国はセルセティアにあったベルナール王国と手を結ぶことで、ペルソニア大陸進出のための中継貿易港を得て、聖歴210年代にはルクソン王国と交易を開始します。
その後、ペルソニアとの貿易などを通じて国力を蓄えた前期シャンベルグ朝ソファイアは、聖歴353年にブルム内海の海戦でロンデニアに勝利し、ペルソニアのシュティクラヴル王国との独占交易権を、20年のあいだロンデニアから譲り受けることになります。この時、ソファイアは国交締結の儀式という名目で、儀典兵に扮した兵士を国内に入り込ませると、瞬く間に王宮を武力で制圧します。そして、この国を支配下に置き、20年の間、略奪の限りを尽くしました。これによってソファイアは莫大な銀を手に入れ、エルモア地方でも屈指の大国へと成長することとなります。
それから20年後、条約通りに王国との交易権はロンデニアに返還されましたが、その時の技術で採掘できる鉱産資源は殆ど奪われておりました。そして何より、シュティクラヴルの国民の意識は、国外勢力への怒りと怨みに染まっており、ロンデニアとの交易も拒絶するようになるのです。
聖歴430年代になると、ソファイア王国は分裂状態にあったセルセティアの貿易都市に進出し、これらの都市を植民地化することに成功します。しかし、聖歴450年代になるとペルソニア進出を目論むエリスファリアが、王権の保護と称してルバイオ王国(セルセティア北部)を支援するようになります。これによって力を得たルバイオは戦いに勝利し、ソファイアは植民都市から撤退する羽目になるのです。
その後のソファイアは、キルリア王国(現メルリィナ)との戦いや、それに端を発する国内の混乱から、海上での力を大きく落とすことになります。国内体制が整うのは聖歴520年代に入ってからのことで、再びソファイアが国外へと目を向けるようになると、ロンデニアやエリスファリアといった海洋の強国が国内問題で揺れている隙に、アリアナ海貿易で大きな権益を得ることになります。しかし、この時期のセルセティアは国外勢力を疎んでおり、また、ラガン帝国との争いに時間と費用を取られたために、思うようにペルソニアへ足を伸ばすことは出来ませんでした。
この状況が変化するのは聖歴620年代のことになります。この頃、ラガン帝国がセルセティアへの侵攻を開始するのですが、ソファイアが味方についたことでセルセティアはどうにかこれを撃退します。この見返りとしてソファイアは開港を求め、セルセティア沿岸の都市は再び中継貿易港として利用されるようになるのです。これによってソファイアは一時的にペルソニア貿易で利益を得るのですが、聖歴630年代と聖歴660年代のユノス内乱に参戦するも、何も成果を得ることが出来なかったことから、大きく力を落とすことになります。
その後、聖歴709年にペルソニア大陸に「冒涜の王」と呼ばれる怪物が出現したことで、ラガン帝国の植民地の駐留軍はほぼ壊滅状態に陥ります。ソファイアはこれによって弱体化したラガンの植民地を奪うために、再びセルセティア進出を狙います。当時のセルセティアでは、ロンデニアの支援を受けた勢力が南島で革命を起こし、聖歴727年にセルセティア王国を建てておりました。そのため、ソファイアは北島の反革命勢力に力を貸して、この地に中継港を得ることになります。
こうしてペルソニアへの足がかりを得たソファイアは、聖歴730年代にラガンの植民地(B-1、B-2、B-3、B-4)を奪い取ります。しかし、聖歴740年代になると、セルセティア北島はセルセティア王国に征服され、ソファイアはこの地から敢えなく撤退する羽目になるのです。これによって本国の影響力が弱まったB-1、B-2地域では、この地を管理していたソファイア貴族の専横が始まります。これによって力をつけた植民地辺境伯は、やがて本国に反抗して独立国家の王のごとく振る舞うようになるのです。
その後、聖歴756年に隣国ユノスで民主化革命が起こり、亡命貴族の要請を受けてユノスへの進軍を開始します。この隙をついてペルソニアへ進出したのがライヒスデールで、孤立状態にあったB-1、B-2地域に攻め入り、B-1地域を奪い取ることに成功します。こうして植民地辺境伯は本国に助けを求めることになり、それ以上の被害を食い止めることには成功したものの、ロンデニアおよびフレイディオンの支援を受けたユノスとの戦いに敗れたソファイアには、奪われた植民地を取り戻す力はありませんでした。以降のソファイアは国外への干渉を一切行わず、国家の立て直しに力を注ぐことになります。
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ロンデニア王国
ロンデニアがペルソニア大陸に進出したのは、聖歴220年代に入ってからとなります。この当時、海上での強国であったソファイアやラガン帝国で、これらと対抗するためにカーカバート、東メルレイン連邦(現ルワール)、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)らと手を結びます。そして、ペルソニア大陸とエルモア地方の間にあるバントライン諸島を中継港として、ペルソニア西部にあったサン・ゴート王国(C-1)やメイオール王国(C-2、C-3)との貿易を行うようになりました。
しかし、至高女王と呼ばれたエルザの治世が終わると、強力なリーダーを失った反動から後継者争いが激しくなり、この頃からロンデニアの力は衰えを見せるようになります。また、ルワールとは後に交易上の問題が起こり、当時その地にあった東メルレイン連邦国家はラガン帝国側へと傾くことになります。これに伴い、一時的にアリアナ海での勢力が落ち込むのですが、聖歴329年にラガン帝国がセルセティアへの侵攻を失敗すると、再び勢いを盛り返すようになります。
やがて聖歴330年代に入ると、ロンデニアは西部のドーン・ミーヴァ王国(C-5)を征服し、この地を植民地とします。また、この隣国のシュティクラヴル王国はロンデニアの力を恐れ、独占交易権を結んで王国の自治を守ろうとしました。こうして、この一帯から採掘される黄金や宝石によって、ロンデニアは大きな発展を遂げてゆきます。
しかし、聖歴353年に起こったブルム内海の海戦で、ロンデニアはソファイアに敗北を喫すると、シュティクラヴル王国との独占交易権をソファイアに譲り渡すことになります。ソファイアは国交締結の儀式という名目で、儀典兵に扮した兵士を国内に入り込ませると、瞬く間に王宮を武力で制圧します。そして、この国を支配下に置き、20年の間、略奪の限りを尽くします。その後、条約通りに王国との交易権はロンデニアに返還されましたが、その時の技術で採掘できる鉱産資源は殆ど奪われておりました。そして何より、シュティクラヴルの国民の意識は、国外勢力への怒りと怨みに染まっており、ロンデニアとの交易も拒絶するようになるのです。
それから後のロンデニアは、国内問題の処理に時間を費やすことになり、次にペルソニアでの勢力圏を拡大するのは、聖歴450年代に入ってからとなります。この頃、エリスファリアがソファイアを退け、セルセティアを事実上の支配状態に置きます。そして、エリスファリアを支援したロンデニアは、セルセティアの指定港を自由に利用する権利を得ることになりました。ロンデニアはこの特権を活かして頻繁にペルソニア交易を行うようになり、やがて聖歴490年代にはシュティクラヴル王国(C-6)を征服し、この地を植民地とします。
しかし、聖歴520年代に入ると再び国内で大きな問題が起こり、ロンデニアは海洋での力を失うことになります。これによって一時的に本国との繋がりを失った植民地(C-5、C-6)では、その管理を任されていた植民地総督が、独立領主として振る舞うようになるのです。なお、この間に植民地総督はC-7地域を支配し、この一帯に農地を広げています。
ロンデニア本国が植民地を再び制圧するのは、これから約150年近くもの後のことになります。聖歴660年代に入ると、ソファイアの低迷や、ラガン、エリスファリアといった国家が国内問題で揺れている隙に、バントライン諸島を経由するペルソニア航路を確保します。そして、聖歴670年頃には植民地を制圧し、支配権を取り戻すのです。
聖歴700年代に入ると、ペルソニア大陸で大きな変化が起こります。聖歴709年のことですが、ペルソニア大陸に「冒涜の王」と呼ばれる怪物が出現したことで、ラガン帝国の植民地の駐留軍はほぼ壊滅状態に陥ります。ロンデニアは技術支援と引き換えにセルセティア南部に中継港を確保し、ラガンから植民地を狙ってペルソニアに大軍を送り込みました。そして、聖歴733年にA-1西部を、聖歴745年にはA-6北部を制圧します。なお、この時は諸勢力と対抗するために同盟を結んだカルネアも、かつてラガン帝国に奪われたペルソニア植民地(B-6、B-7)を取り戻し、新たにラガンの植民地(A-2東部、A-7北部)を手に入れています。
また、聖歴762年に起こった謎の爆発事故によって、ラガン帝国が結界に閉じ込められてしまうと、ロンデニアは統制を失ったラガン植民地に再び軍を送り込み、聖歴765年にはA-6南部を、翌年の聖歴766年にはA-1東部を支配下に置きます。その後、武力による植民地の拡大は行っておりませんが、農地の開墾やC-10地域の鉱山開発などを行い、少しずつ勢力を広げていっています。
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