略史
前聖歴493年に、カスティルーンと同盟を結んだスレイラール人の連合が、カイテイン帝国から独立を果たしました。当初は国家という形態をとっておらず、独立運動を主導した人々を中心として成立した自治都市や村落の連合体でしかありませんでした。この連合はカスティルーンや法教会とも協力してカイテインの侵攻を防ぎ、交易や鉱業を基盤として少しずつ力を蓄えてゆきました。しかし、聖歴のはじめにエルモア最有力国であったイーフォン皇国が滅亡し、小国家時代へ突入するに従って連合体の結束は薄れ、各都市間でも戦が行われるようになりました。
それから、イコローズ朝などの有力貴族による幾つかの王朝が成立しますが、聖歴258年にカイテインとの間で起こったナイセン山岳地帯を巡る戦いに破れ、一時的に国土の半分を失います。幸い、聖歴281年にカイテインでは大魔戦争と呼ばれる国内紛争が勃発し、その隙をついて国土の殆どを取り戻すことに成功しますが、戦いによる疲弊で国力は急激に落ち込み、再び小都市の乱立状態へと戻ることになりました。
その後、聖歴372年に国家を統一したのがペルドラッド家で、弱体化した封建勢力を支配下に置いた専制政治を行い、国土の拡大に努めます。しかし、ランカード朝カスティルーンとの国境紛争が起こると国土拡張の勢いは急速に衰え、また、聖歴433年の火山噴火による飢饉と聖歴455年のセルロッタ島を巡る戦いで多くの死傷者を出し、国内の支配体制に揺らぎを生じることになります。そして聖歴480年代になると、カスティルーンのアイスター王朝の侵略によって領土を奪われ、諸侯の離反も重なった末期のペルドラッド朝は、最盛期の領土から比べると1/3ほどに縮小することになったのです。
聖歴509年、力を失ったペルドラッド朝に対して地方貴族の連合軍が反旗を翻し、聖歴526年に王朝の打倒に成功します。これによりペルドラッド家は断絶し、貴族連合による貴族共和制度が新しく敷かれることになります。しかし、やがて連合内部で様々な確執が生じ、宮廷を巡る権力争いが勃発することになります。そして、聖歴532年に起こったヴェルナザ家嫡子の暗殺事件に端を発し、国内は再び戦火に巻き込まれることになるのです。ヴェルナザ家は連合を離反して、ヴェルナザ大公国の建国を宣言し、ライヒスデール貴族と同盟を結んで連合と戦いました。連合は最有力貴族であるラズフォード家を中心に結束してこれに対抗し、11年の戦いの後にヴェルナザ家の打倒に成功します。
この時、地理的要因や政治的駆け引きによって大きな消耗を免れたラズフォード家は、聖歴544年にペトラーシャ王家から妻を迎え入れ、弱体化した諸侯を押さえてラズフォード朝ユークレイ王国を建国しました。しかし、ラズフォード朝は隣国カルネアの人権革命などの影響を受けて領土拡張に失敗し、一時的に王権が衰えることになります。そのため、次代からの王は強い王権の復活に力を注ぎ、近衛軍などの常備軍の整備を柱として、幾つかの制度改革を試みることになるのです。現在のユークレイの制度は、この時代に成立したものを殆どそのまま受け継いでおります。
産業改革以降のユークレイは、豊富な鉱産資源のために常にカイテインやライヒスデールの脅威にさらされてきました。こうした他国との戦争から国土を守る目的で、聖歴727年に法教会の主導によって、ユークレイ、カスティルーン、ペトラーシャ間で神聖同盟が締結されます。こうして法教会を楔として3国は足並みを揃え、エルモアでも屈指の勢力を誇ることとなりましたが、これに対抗するように聖歴767年にはライヒスデールとフレイディオンの軍事同盟が締結され、霊石鉱田を狙った侵略戦争を仕掛けられています。この紛争は決着がつかないまま現在に至っており、国境付近でライヒスデールとの小競り合いが続いております。大方の予想では、いずれ両国の国土を巻き込んだ本格的な戦乱へと発展するものと考えられています。
◆ユークレイ年表
前聖歴 出来事 792年 大帝カイラス=エルシュ=カイテインによるエルモア東部地域平定。 765年 カイラス2世によるカイテイン帝国の成立。 735年 カイテイン第一帝国の崩壊。 617年 カイテインの血を引くアルマズール皇子がカイテイン第二帝国を創始する。 560年〜 この頃、カイテイン第二帝国によってユークレイ地方が支配される。 493年 カスティルーンと同盟を結んだスレイラール人の連合が、カイテイン帝国からの独立を果たす。そして、自治都市や村落の連合体を結成して周辺諸国に対抗するようになる。 聖歴 出来事 6年 イーフォン皇国の滅亡によってエルモア地方全土で戦乱が起こり、ユークレイ地方もこれに巻き込まれる。 7年〜 連合の結束はやがて薄れ、連合内でも争いが起こるようになる。その後は徐々に貴族制度へと移行し、聖歴120年頃からブラント朝、ユノッド朝、マノール朝、カリュアス朝の4王朝が立て続けに興る。 221年 イコローズ朝がユークレイ地方を統一。 258年 ナイセン山岳地帯を巡る戦いでカイテインに破れ、国土の約半分を奪われる。 281年 カイテイン国内で大魔戦争と呼ばれる内乱が勃発。20年余りにもおよぶ内乱で弱体化したカイテインより、かつて失った国土の殆どを取り戻すことに成功。しかし、戦いによる疲弊で国力は急激に落ち込み、再び小国家の乱立状態へ戻る。 372年 ペルドラッド朝ユークレイの成立。その後、法教会勢力を中心とした反乱が起こるが、一時的に法教会を閉め出すことでこれに対応。反乱勢力はカスティルーン北部や北の未開地へと移住。 401年 カルネアとの間にあったウィルマー公国を支配。 433年 都市国家半島で火山噴火が起こる。冷害による影響で、その後数年のあいだ飢饉が続く。 455年 セルロッタ島で鉱脈と炭田が発見され、カルネア、ライヒスデール、 ユークレイ間で争いとなるが、後にこの地で鬼人王と呼ばれる怪物が発掘される。3国の連合によりからくもこれを倒すが、死に際に残した呪いで生物が突然死するようになり、この島は不可侵の領域となる。 460年〜 一部領土の反乱に端を発し、王朝から離反する諸侯が現れ始める。 480年〜 アイスター朝カスティルーンの侵攻により一部領土を失う。 509年 ラズフォード家、エデルセン家、ヴェルナザ家を中心とする貴族連合が王朝に対して反旗を翻す。 526年 貴族連合の勝利によりペルドラッド王朝が滅亡。貴族共和制による政治が行われるようになる。 532年 ヴェルナザ家嫡子の暗殺事件に端を発した戦乱が起こる。ヴェルナザ家は連合を離反して、ヴェルナザ大公国の建国を宣言。現ライヒスデール北部を治めていたローデンシェラ侯爵と同盟を結んで、連合と争うようになる。 543年 ヴェルナザ・ローデンシェラ連合軍が貴族連合によって打倒される。 544年 ラズフォード家がペトラーシャ王家から妻を迎え入れ、ラズフォード朝ユークレイを建国する。 546年 王朝交替の隙をつかれ、ウィルマー公国がカルネアに占領される。 608年 カルネアで王朝の断絶が繰り返されている間にウィルマー公国を奪還。そのままカルネア国内への進入を果たし、レティクノイル地方東部を占拠。占領地にはラズフォード家血縁のベリッシュ家が大公として封じられ、傀儡政権によるヴォルティシア大公国が成立する。 655年 カルネアで革命運動が起こる。カルネア貴族はユークレイ王家に支援を求めるが、ヴォルティシア大公国の民衆が革命政権と手を組んで反乱を起こしたため、ユークレイはこの鎮圧に力を割くことになる。 679年 ヴォルティシア大公国の民衆がユークレイからの独立を果たし、共和制カルネアへの参入を求める。このため、ユークレイはカルネアへの干渉を行い、カルネア貴族と手を結んで革命政権と戦うことになる。 682年 ライヒスデールにあった北デール王国とカスティルーンとの間で移民問題に端を発した戦争が起こる。同盟を結んでいたカスティルーンの支援要請により兵を派遣するが、カイテインがヴォルティシア大公国の民衆解放を唱えて、ユークレイとの国境付近に兵を配備。これにより、ユークレイ軍は状態を静観することになる。 683年 4国間の緊張が緩和され、カルネア貴族はユークレイへと亡命し、ヴォルティシア大公国の民衆がカルネア国内へと移住することになる。 685年 ユークレイとの国境が現在の位置で確定する。 727年 法教会の主導によって、ユークレイ、カスティルーン、ペトラーシャ間で神聖同盟が締結される。盟主はカスティルーン。 767年 ライヒスデールとフレイディオンの軍事同盟が締結され、ユークレイに侵攻を開始する。これは霊石鉱田や鉄山を狙った侵略戦争。 774年 第一君主スティート=ラズフォード女王の即位。彼女は5大家の1つであるヴィルタール家の出身。
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詳細史
○小都市時代(前聖歴493年〜聖歴372年)
前聖歴493年、カスティルーンと同盟を結んだスレイラール人の連合が、ユークレイ地方でカイテイン帝国から独立を果たしました。当初は国家という形態をとっておらず、独立運動を主導した人々を中心として成立した自治都市や村落の連合体でしかありませんでした。この連合はカスティルーンや法教会とも協力してカイテインの侵攻を防ぎ、交易や鉱業を基盤として少しずつ力を蓄えてゆきました。しかし、聖歴のはじめにエルモア最有力国であったイーフォン皇国が滅亡し、小国家時代へ突入するに従い、この地方でも幾つかの戦乱を経験することになります。
幾度かの小乱や地方農民の反乱を経験するうちに、連合体の結束は薄れ、各都市間でも戦が行われるようになりました。この期間に貴族の権力が徐々に強化され、この地の政治制度は完全な封建制へと移行します。その後、聖歴120年頃からの100年間で、ブラント朝、ユノッド朝、マノール朝、カリュアス朝の4王朝が立て続けに興り、やがて聖歴221年にイコローズ朝がこの地方を統一します。しかし、聖歴258年にカイテインとの間で起こったナイセン山岳地帯を巡る戦いに破れ、一時的に国土の半分を失うこととなりました。幸い、聖歴281年にカイテインでは大魔戦争と呼ばれる国内紛争が勃発し、その弱体化した隙をついて国土の殆どを取り戻すことに成功しますが、戦いによる疲弊で国力は急激に落ち込み、再び小国家の乱立状態へと戻ることになります。
なお、このような経緯があったため、ユークレイ国民は今でもカイテインに対して敵対的な傾向があります。カイテイン側としては不死者の頻出する地域を切り捨てた形になりますが、その鉱物資源とを秤にかけると、大きな損失だったという他ありません。
○ペルドラッド朝(聖歴372年〜509年)
やがて聖歴372年に国家を統一したのが、南レディック地方を統治していたペルドラッド家です。そして現在のフルラットを首都に定め、弱体化した封建勢力を宮廷貴族や官僚、あるいは軍の将校として支配下に置いた専政制度を敷くことになります。しかし、このペルドラッド王朝の圧制に対して民衆は反発し、一部地方で法教会勢力を中心とした反乱が起こりました。そのため、王朝は一時的に法教会を閉め出すことでこれに対応し、カスティルーンの北部や北の未開地へと移住する人々が多く出ることになります。
その後、内部反乱の鎮圧に成功した王朝は、聖歴401年にはカルネアとの中間にあったウィルマー公国を支配し、さらなる西進を目指します。しかし、カスティルーンのランカード王朝との国境紛争が起こると、当時カルネアにあったプレジア王国との相互不可侵条約を結ばざるを得なくなり、西への侵略を諦めることになります。また、聖歴433年に都市国家半島で起こった火山噴火の影響による飢饉と、聖歴455年のセルロッタ島を巡る戦いで多くの死傷者を出し、国内の支配体制に揺らぎが生じはじめます。
それから国内は大いに乱れ、一部領土の反乱に端を発して、少しずつ王朝から離反する諸侯が増えてゆきます。やがて聖歴480年代になると、カスティルーンのアイスター王朝が再び侵略を開始し、幾つかの領土を奪われることになりました。こうして末期のペルドラッド朝は、最盛期から比べると領土を1/3ほどに縮小することになったのです。
そして聖歴509年、力を失ったペルドラッド朝に対して、フィドリアーネ、クラスコフ、およびリュックヘルン地方を治めていた貴族の連合軍が反旗を翻し、聖歴526年に王朝の打倒に成功します。これによりペルドラッド朝は断絶し、王家に追随していた諸侯は領地替えによって辺境へと飛ばされたり、カイテインやライヒスデールなどの近隣諸国へと逃亡することになりました。
○貴族連合(聖歴509年〜543年)
貴族連合は、鉱産資源と武器製造によって力をつけていたラズフォード家(フィドリアーネ地方)、海洋交易のエデルセン家(クラスコフ地方)、そして陸上交易のヴェルナザ家(リュックヘルン地方)の3家を中心とする地方諸侯から構成されておりました。戦後まもなく、これらの領主からなる貴族共和制度が新しく敷かれることになりますが、そもそも連合結束当初に諸侯を結びつけたのは法教会であり、その後の政治は聖職者も議員に含めた議会によって行われることになりました。
こうして、しばらくは乱れた国内の事後処理に人々は奔走するわけですが、それらが一通り終わる頃になると連合内部で様々な確執が生じ、宮廷を巡る権力争いが勃発することになります。そして、聖歴532年に起こったヴェルナザ家嫡子の暗殺事件に端を発し、国内は再び戦火に巻き込まれることになるのです。ヴェルナザ家は連合を離反して、ヴェルナザ大公国の建国を宣言し、ライヒスデール北部を治めていたローデンシェラ侯爵と同盟を結びました。ローデンシェラ侯爵の母親は、かつてライヒスデールへと逃亡したペルドラッド家の外戚であり、それを理由に継承権を主張してきたのです。連合は最有力貴族であるラズフォード家を中心に結束してこれに対抗したのですが、ヴェルナザ家を打倒するには11年もの期間を費やすことになります。
○ラズフォード朝前期(聖歴544年〜608年)
この時、地理的要因や政治的駆け引きによって大きな消耗を免れたラズフォード家は、聖歴544年にペトラーシャ王家から妻を迎え入れ、弱体化した諸侯を押さえてラズフォード朝ユークレイ王国を建国します。他家はこれに反発する構えを見せたのですが、ラズフォード家は戦乱の期間にウィズリーア地方やクーリィズ地方の領主と婚姻関係を結び、また、法教会とも密約を交わすことで国内体制を盤石のものとしており、戦乱で力を使い果たした連合にはこれを跳ね返す力は既にありませんでした。また、エデルセン家を中心に、戦で活躍した諸侯にリュックヘルン地方の殆どを割譲することで、連合の不満を払拭することにも成功します。そして最終的に首都がクレイオールに移転され、国内制度の大きな改革が行われましたが、それらはことごとく王家の権力を助長するものでした。戦時の混乱で一時的に閉会された議会も、なし崩し的に消滅することになったのです。
それからしばらくは内政の充実に力を入れることになりますが、聖歴546年になると、ペルドラッド朝の断絶とともに独立していた西部のウィルマー公国が、カルネア王国によって侵略されるという事件が起こります。そしてカルネアはその地に砦を築き、ユークレイに対する侵攻の準備を整えます。これに対してユークレイも徹底抗戦の構えを見せるのですが、カルネア国内で内乱が起こって王朝が断絶したことから、この危機は戦わずして回避することが出来ます。
その後のカルネア国内は混乱をきわめ、50年で4つの王朝が交替します。この間に力をつけたラズフォード朝は、聖歴608年には政治的解放の名目でウィルマー公国を占領すると、そのままカルネア国内への進入を果たし、レティクノイル地方東部を占拠します。そして、これら占領地にはラズフォード家の血縁筋のベリッシュ家が大公として封じられ、傀儡政権によるヴォルティシア大公国が成立することになります。
○カルネア人権革命への干渉(聖歴608年〜685年)
このような経緯で支配下に置くことになったヴォルティシア大公国ですが、やがて王国に幾つもの問題を引き起こす火種となります。
カルネアでは聖歴655年に起こった一連の反乱が、やがて革命運動へと発展してゆきます。この時、不利な情勢に陥ったカルネア貴族はユークレイ王家に支援を求めますが、支配からの解放を望むヴォルティシア大公国の民衆が革命政権と手を組んで反乱を起こしたために、ユークレイはこの鎮圧に力を割くこととなりました。この時にヴォルティシア大公国を切り捨てていれば、ユークレイの支援を受けたカルネア貴族が勝利し、この革命は失敗していたと考える歴史家も少なくはありません。
聖歴670年代後半になると、革命政府の発表した制度改定に反発した貴族が、カルネア南部で反政府活動を始めます。ちょうどこれと重なる聖歴679年、ヴォルティシア大公国の民衆が本国からの独立を果たし、共和制カルネアへの参入を求めたため、ユークレイは再びカルネアへの干渉を行うこととなります。こうしてカルネア貴族はユークレイと手を結び、解放戦争と称した武力闘争をはじめるのです。
しかし、3年後の聖歴682年、ライヒスデールにあった北デール王国とカスティルーンとの間で移民問題に端を発した戦争が起こると、ユークレイは南方にも警戒しなければならなくなります。ユークレイとカスティルーンの間では同盟が結ばれていたため、支援要請を無視するわけにはゆきませんでしたが、うかつに兵を送れば北デール王国との関係に亀裂が入ることになります。ユークレイは葛藤の末に、国境付近に兵を配備して静観することを決めましたが、劣勢になった北デール王国が南部に興ったライヒスデールに支援要請を行ったため、南方へと追加の兵を派遣することを決定します。
しかし、これを機と見たカイテイン帝国が、ヴォルティシア大公国の民衆をユークレイの圧制から解放するという名目で、ユークレイとの国境付近に兵を配備したため、ユークレイはこちらも警戒せずにいられない状況に陥ります。戦況を黙って見守らざるを得なくなったユークレイは、霧氷の詩と呼ばれる変異現象で北デールおよびライヒスデールの連合軍が退却したのをきっかけに、国境から速やかに兵を引きます。そして、ヴォルティシア大公国民(旧ウィルマー公国を除く)の独立を認め、かねてから問題となっていた国境付近の山地における鉄鉱石の採掘権を認めることと引き替えに、カイテインにも兵を引かせることを約束させたのです。
こうして聖歴683年にこの緊張状態は緩和され、カルネア貴族たちの多くはユークレイへと亡命し、ヴォルティシア大公国の民衆がカルネア国内へと移住することとなりました。そして、続く聖歴685年には、旧ウィルマー公国の1/3とヴォルティシア大公国の一部を交換する形で国境線が確定されます。この国境は現在の位置と全く同じものとなります。
○王権の復活(聖歴685年〜現在)
このような事情により、ユークレイは領土拡張に失敗しただけでなく、ウィルマー公国の一部と多くの領民を失う結果となりました。カルネア側に囚われていた有力貴族を含む全捕虜の返還を無償で認めさせ、領土交換による差額補償金を得ることは出来ましたが、損失の方が遥かに大きいものでした。当時の王バルドはこの責任を取って退位し、息子であるリベルが王位に就き、乱れた国内を立て直すことになります。リベルは諸侯の足並みが揃わなかったことを戦いを長引かせた最大の原因だと分析し、自身の判断で自由に動かすことが出来る近衛軍の設置を試みます。しかし、この維持費を国費に頼ろうとしたため、諸侯の反発を受けて断念せざるを得ませんでした。彼は急進的な改革の難しさを実感し、生涯をかけて強い王権の復活に力を注ぐことになります。
彼の努力は孫のリベル3世の時代にようやく花開き、ようやく王家に従う近衛軍が整備されることになります。これはライヒスデールやカルネアといった国々が近代兵装による常備軍を揃えるにつれ、当時の軍制では対抗できないと軍部が悟ったためです。こうして軍部の支持を得たリベル3世は、その力を借りて祖父と父が成し得なかった様々な改革を断行します。
現在のユークレイの制度は、この時代に成立したものを殆どそのまま受け継いでおります。それでも国内から王家に対する不満の声が少ないのは、法教会の干渉と鉱産資源があってのことです。特に霊子物質は高値で取り引きされるもので、王家に連なる諸侯の大半は気候に左右されることなく領内政治を安定して執り行うことが可能となります。なお、王家は国政と自身が保有する領内に対する政治的権限を持ちますが、その他の領地の政治に関しては、領主の持つ封建的諸権限を保証する役割でしかありません。そのため、各領地の執政に対する不満は各領主に向けられることになります。もし領内で不正な政治が行われていた場合は、王家はその領地を没収して、王家に連なる貴族に土地や統治権を与えるという措置を取ります。また、法教会が司法権限の一切を取り仕切っておりますので、仮に不正行為が発覚して裁かれることになっても、恨みの矛先はどちらかといえば法教会へと向く仕組みになっているのです。
産業改革以降のユークレイは、豊富な鉱産資源のために常にカイテインやライヒスデールの脅威にさらされてきました。こうした他国との戦争から国土を守る目的で、聖歴727年に法教会の主導によって、ユークレイ、カスティルーン、ペトラーシャ間で神聖同盟が締結されます。こうして法教会を楔として3国は足並みを揃え、エルモアでも指折りの勢力を誇ることとなりますが、これに対抗するように聖歴767年にはライヒスデールとフレイディオンの軍事同盟が締結され、霊石鉱田と鉄山を狙った侵略戦争を仕掛けられています。この紛争は決着がつかないまま現在に至っており、国境付近ではライヒスデールとの小競り合いが続いています。こういった外敵の存在は、内憂から目を逸らすための隠れ蓑の1つともなっており、王家にとっては必ずしも不都合ばかりとは言えないようです。しかし、それも国境紛争で済んでいる場合に限るもので、大方の予想ではいずれ両国の国土を巻き込んだ本格的な戦乱へと発展するものと考えられています。
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