破滅と復興

大変異現象聖母アリア王国と教会ルーン聖歴


 

大変異現象


 エルモア地方を説明する上でまず語らなければならないのが、『大変異現象』と呼ばれる災厄と宗教についてです。歴史学者にも聖母アリアが登場する以前のことは殆どわかっておらず、大変異現象が起こったのは3千年ほど前のことだという説もあれば、5千年以上前の出来事だという者もいます。また、その原因や内容といったものについても、殆ど詳しく知られることはありません。以下に述べることは、一般に知られている歴史の流れであり、まだまだ研究途上の内容も多々存在することを覚えておいて下さい。


 神話によると、大変異現象は魔神の呪いによって引き起こされたものと伝えられています。この魔神の名は『ユーカリヲン(アヌカリヲ)』といい、神を裏切りし者とも呼ばれるように、かつては神につかえていた天使の1人でした。しかし、仲間の天使をそそのかして天の大地を落とした罪により翼をもがれ、エルモアの地に逃れたところを退魔の業火と呼ばれる光で滅ぼされることになりました。ユーカリヲン(アヌカリヲ)はこの仕打ちを恨み、世界に呪いをかけました。それが大変異現象と呼ばれるものです。
 『変異』とは万物を歪ませる全てのもの、現象のことをいいます。たとえば、腕が背中から生えたり、死んだ者が生き返ったり、あるいは生き物が突然狂ったように暴れ出したりと、その内容は数えあげればきりがありません。人々は魔神の呪いによって、長く変異現象に取り囲まれて生活することになりました。この時代は歪んだ冬と呼ばれ、人々はこの世の地獄ともいえる風景の中で長い時を過ごすこととなりました。


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聖母アリア


 この地の人々は、限られた地域の中で変異現象に怯えながら、しばらく死と隣り合わせの生活を続けました。変異の影響を受けた生態系は一変し、過酷な自然環境はより過酷に、そして生物は変異で肉体も精神も歪められ、狂ったように他の生物を襲いました。中には、超能力のような不可思議な力を備えたものもおり、これは人間でさえ例外ではありませんでした。


 聖歴(現在の標準暦)の元年を遡ること1072年(と推測されています)、アルメリア=エルファティーという女性が1人の女児を生み落としました。『アリア』と名付けられたこの娘は、狩猟と採集を主とする原始的な生活の中で、しかも満足に栄養を与えられない状態でも命を落とすことなく、無事に成長することができました。伝えられるところによると、彼女は生まれて数週間ですでに言葉を話し、1か月とたたぬうちに立って歩くことができたそうです。人々はそれを変異の影響を受けたためだと考え、彼女たち親娘2人は集落を追い出されることになりました。
 2人が姿を消してから17年後、ある村に成長した少女が訪れます。この村での数々の出来事は、アリアの最初の奇跡として語り伝えられるところです。大人たちが何人がかりでも倒せなかった怪物に指の一振りで死を与え、川の氾濫をたった一言で鎮め、手をかざしただけで死に瀕した人を救うことができました。想像を超える危険に身をさらされていた人々は、少女の力をもちろん手放しで歓迎することになります。そして、神の啓示を受けたという彼女の言葉を受け入れ、奇跡の少女、神の娘と讃えて祀りあげたのです。
 アリアは村の人々の力を借りて近隣の村々をまとめ上げ、怪物たちから身を守るための戦士を育成します。これが後にいう『神官戦士団』のはじまりです。彼女はまた、聖なる言葉を用いて神の力を借りる『魔術』(術法)を人々に教えました。こうして人々は変異に対抗できる力を身に付けたのです。
 それからしばらくして、アリアは天から娘を授かりました。しかし驚いたことに、彼女はたった1人で子供を為したのです。そのことが彼女を『聖母』『永遠の乙女』と呼ぶ理由です。アリアは最終的に13人の女子を産んだのですが、その誰もが父親をもつことはありませんでした。
 アリアの娘たちは優れた人格と能力から使徒と呼ばれ、聖母アリアとともに多大なる尊敬を受けました。こうして民衆は、神の使徒たる彼女らの指導のもとで、しばらく幸福の時を過ごすことになります。しかし、最後の娘『ユナス』が10歳になった時、アリアは上の12人の娘を連れて旅立ちました。それは、まだ世界に広がる変異の影響を退け、地にはびこる魔を封じるためでした。これより後、使徒たちはエルモア地方の歴史から姿を消すこととなります。
 やがて変異の影響は徐々におさまり、人々が必要以上に怯えて暮らすことはなくなりました。変異現象がなくなったわけではなく、変異を遂げた生物や環境が元に戻ることはなかったのですが、これまでに比べれば天国と地獄ほどの差といえるでしょう。それから人間は結束して生息域を拡大し、少しずつですが発展を遂げてゆきます。そして、この原動力となったのが、ユナスの創始した『聖母アリアと十二人の使徒教会』(聖母教会)でした。


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王国と教会


 母や姉たちの知識と信念を受け継いだユナスは、学問、魔術などの多方面において人々を指導し、無償の愛とその実行を掲げて布教活動に尽力しました。そのため、彼女は後に『主教』と呼ばれることになります。それから数十年をかけてユナスは聖母教会の礎をつくりあげ、主教の地位を譲り渡して死の床につきました(享年は82歳と推測される)。死後、彼女は第一聖者(アリアと12人の娘は神の使徒として、神とともに祀られている)として祀られ、ユナスが死んだ場所はユナスの大地と呼ばれることになりました。この地は後に『ユナスフィール教国』という都市国家に発展します。
 ユナスの没後も聖母教会は魔術の行使による人々の救済を続け、確固たる地位を築き上げます。教会はその力を用いて、長い年月をかけてアリアと12人の娘が眠る土地を見つけだし、使徒たちを祀る教会を作り上げました。そして、この頃に成立した多くの国の発展に力を貸し、国教として信仰され、国政にまで発言力をもつようになったのです。
 しかし、1つの教えが全ての人間に受け入れられるはずもありません。そのうちに、聖母教会内部にも異端派が出現し、主教の1人(この頃には主教の上に大主教という最高位がつくられた)が聖母教会を離れるという事件も起こりました。この主教『セルトラーン』が旅の途中で出会った人物こそが、後のエルモア地方にもう1つの大きな勢力を生み出すことになります。その人物の名を『ルーン』といいます。


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聖人ルーン


 『聖人ルーン』の名前が歴史上に登場するのは前聖歴624年のことです。セルトラーンが出会った青年ルーンは、聖母アリアやその娘たちと同等の力を持っていたと伝えられています。ルーンは魔術とはまた異なる力で、戦乱に苦しむ人々を救済し続けました。セルトラーンはこの行為に胸をうたれ、ルーンとともに救済の旅を続けることを決心します。そして、セルトラーンはこの旅の途中で神の託言を受けます。その言葉により、彼はルーンをもう1人の神の子と認定し、使徒の1人であることを広く宣言しました。聖母教会はこれを否定したのですが、前聖歴589年頃に聖母教会の異端派の一部がルーンの元に集まり、その手足となって人々の救済に生涯を捧げることを誓いました。これが現在の『法教会』の基礎となります。
 その4年後の前聖歴585年、現在のカスティルーン北部地域に、聖人ルーンと法の教えを崇める自治都市民の集合であり、軍事同盟でもある『ルーン連盟』が誕生します。これはナヴァール人を主体とするものですが、ルーンおよびセルトラーンの求心力と、彼らの下に集まった聖母教会の異端派一門の信仰の力が、連盟の団結に大きな影響を与えました。
 それからまもない前聖歴582年に、セルトラーンは老衰で亡くなってしまいます。しかし、その悲しみも癒えぬ間に、連盟は大きな危機を迎えることになるのです。前聖歴579年、南方にマイリール人によるエクセリール王朝が誕生し、連盟の領土に対して侵攻を開始します。連盟は強い結束力を保ってこれに対抗したのですが、前聖歴577年になると前線付近の都市(現在の首都カステリア周辺)に出現した魔神が付近の住民を襲うようになり、エクセリール王朝に大きな隙を見せることとなりました。
 このため、ルーンは周囲の制止を振り切ってこの怪物の討伐に赴くのですが、相討ちとなって命を落としてしまいます。その後、ルーンを失った連盟は崩壊寸前の状態まで行き着き、半分近くの自治都市がエクセリール王朝に支配されることになります。
 この危機を脱するため、ルーンの側近の1人であったティレジア=ヴェスターファの呼びかけで、前聖歴554年、ナヴァール人の土着宗教とルーンの教えを融合した法教会が、正式な宗教機関として設立されました(なお、法教会の誕生そのものはセルトラーンの死亡日となっています)。また、前聖歴548年には聖職者と現在のライヒスデールを追われた騎士団を加えた戦士団が結成され、教会と連盟を守護する聖堂騎士団が誕生することになります。


 その後、法教会の教えは少しずつ近隣国家へと広がってゆき、ユークレイやペトラーシャでは国教に定められることになりました。しかし、これらの地ではもともと聖母教会が信仰されていたため、法教会は聖母教会との対立を深めることとなり、現在では双方が相手を異端としています。


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聖歴のはじまり


 聖母教会、法教会とともに3大宗教として知られているのが、黄人と呼ばれる黄色人種系の人々が信奉している『マイエル教』です。この歴史は古く、前聖歴792年に中央地方に黄人系民族によるパルファ国が建設された時、すでに国教として存在していました。おそらくは、大変異現象以前から信仰されていたと考えられています。
 このパルファという国はマステュス人という民族の反乱によって滅亡し、長くこの地を支配することになるラガン帝国が誕生しました。パルファより逃亡したセル人は現セルセティアの地へ移住するのですが、マイエル教はこのセル人とともにエルモア地方に進出することになります。後に、セルセティアにはセティア人という民族が移住するのですが、聖母教会を信奉していたセティア人の中にもマイエル教は徐々に浸透してゆきました。
 セティア人が移住して約50年後、現セルセティアはフィアンという王国の侵攻を受けて征服されることになります。この際に逃げ出したセティア人の一部族は、現ユノスの地にたどりつきました。この時、聖母教会がひそかにこれを支援したため、マイエル教の影響を受けていたセティア人の信仰は、聖母教会寄りのものになります。


 セティア人の移住より約150年後、現ユノスで1つの事件が起こります。それが『ユナスの降臨』です。
 現ユノスに逃れたセティア人は、ベルメック王国やフィアン王国といった大国の侵攻を受けますが、聖母教会の助力もあって、辛くもその支配を免れているといった状況にありました。そんな戦乱に疲弊したセティア人の前に現れたのが、空一面に浮かぶユナスの姿でした。ユナスは涙を流したまま天に祈りを捧げ、人々に何かを語りかけました。ですが、その声は人々の耳に届かぬまま、やがて静かに消えていきました。この時、ただ1人だけユナスの言葉を聞くことができたものがいたのです。それが『シェアの老女』と呼ばれる女性です。
 老女の語るところによれば、ユナスはエルモア地方最強と言われていたイーフォン皇国の皇帝フィエル=ミュン=イーフォンの死を予言し、その後に長き戦乱時代が訪れることを嘆いていたというのです。そして、この戦乱期を早く終わらせるためには、神に心からの祈りを捧げ、愛を忘れずに生きることであると説いて、ユナスは消えていったのだということです。セティア人は自らの前にユナスが現れたことを神意と受け止め、正統信仰者を名乗るようになりました。
 同年、ユナスの予言通りにイーフォン皇帝フィエルは死亡し、エルモア地方は長い戦乱期に突入することになります。教会はこの年を新たなる時代の始まりとし、現在の標準暦である『聖歴』が生まれました。ユナスの言葉が実現したことから聖母教会への信頼は強まり、また戦争に明け暮れる時代に巻き込まれる中で、人々がよりいっそう神の恩恵にすがる風潮が生まれました。これ以後百年あまりの苦しみの時代を、現在では『祈りの時代』と呼んでいます。


 ともあれ、聖母教会は第二の法教会を生むことなく、かつての威光を取り戻すことができました。歴史家たちは、ユナスの降臨がなければ聖母教会の勢力はもっと衰えていただろうと推測しています。
 このエルモア地方に住む人民の70%は聖母教会の信者であり、近代的な政治制度に移りつつある現在でも、国政に対する発現力はあなどることはできません。そして何より、現在も数多く残る変異の影響に対抗するために、アリアたちが生きていた頃と変わらず、その力は人々のために大いに役立っているのです。


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