概要
ペルソニア西部(C地域)はラガン帝国の侵略を免れた場所ですが、豊富な鉱産資源を狙うエルモア地方の国々に武力侵攻を受け、長くその支配下に置かれてきました。しかし、サン・ゴート王国(C-1)のように、国外の技術を積極的に取り入れたり、侵略された地域からの移民を受け入れて国力の増強を図り、聖歴783年まで独立を維持し続けた地域も存在します。
○系統
▼国家別
ライヒスデール植民地:C-1/C-2
ルワール植民地 :C-3/C-4
ロンデニア植民地 :C-5/C-6/C-7
開発地/ルワール :C-9/C-10
開発地/ロンデニア :C-10/C-12
未開地 :C-8/C-11
▼出自別
サン・ゴート王国 :C-1
メイオール王国 :C-2/C-3/C-4
ドーン・ミーヴァ王国:C-5
シュティクラヴル王国:C-6
先頭へ
地域別
▼C-1:ライヒスデール植民地
この一帯は古くからサン・ゴート王国が支配してきた場所で、王国は隣国のメイオール王国と反ラガン同盟を結びながら、長く独立を守り続けてきました。
この地域がエルモア地方と交流を持ったのは聖歴220年代のことで、ラガンおよびソファイアとの衝突を避けた、カーカバート、ロンデニア、東メルレイン連邦国(現ルワール)、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)などと交易を行ってきました。その後も、カーカバート、エリスファリア、ロンデニアらと交易を行いながら、国外からの技術を取り入れて、鉱山開発や武器の製造などにも力を入れてきました。また、侵略された国家などから逃げ出して来た人々も、人種を問わず移民として受け入れ、国力の増強をはかってきたのです。
こうした努力により、聖歴520年代にルワールによって隣国メイオールが占領された際にも、その侵攻を単独で食い止めることに成功しています。しかし、聖歴780年から始まるライヒスデールの侵攻に対しては、その技術力の格差からこれを食い止めることが出来ず、ついに聖歴783年には独立国家としての地位を失うことになります。現在もこの土地はライヒスデールの植民地として存在しています。
▼C-2:ライヒスデール植民地
この一帯は古くからメイオール王国が支配してきた土地です。この地域がエルモア地方と交流を持ったのは聖歴220年代のことで、ラガンおよびソファイアとの衝突を避けた、カーカバート、ロンデニア、東メルレイン連邦国(現ルワール)、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)などと交易を行ってきました。
その後、東メルレイン連邦国がラガン帝国と手を結ぶと、メイオール王国はそれを避けて、ロンデニアやソファイアを中心に交易を行うようになります。また、聖歴450年代に入ると、ソファイアがペルソニアでの力を落としたため、王国は次に台頭してきたエリスファリアとも手を結び、ラガン帝国などの侵略国家に対抗する力を維持しようとします。しかし、聖歴520年代になると、ロンデニアおよびエリスファリアは国内問題からペルソニアでの力を落とし、後ろ楯となる国家を失ってしまいます。そのため、聖歴570年代に侵攻を開始したルワールを退けることが出来ず、ついにメイオール王国はルワールの植民地となるのです。
それから聖歴780年代に入るまで、この地は長くルワールの支配下に置かれるのですが、聖歴784年にライヒスデールの侵略を受けることになります。この時、本国では黄人による独立運動が起こり、ついに聖歴786年、ルワールはこの地を手放す羽目に陥ります。そして現在も、ライヒスデールの植民地として維持されています。
▼C-3:ルワール植民地
この一帯は古くからメイオール王国が支配してきた土地です。この地域がエルモア地方と交流を持ったのは聖歴220年代のことで、ラガンおよびソファイアとの衝突を避けた、カーカバート、ロンデニア、東メルレイン連邦国(現ルワール)、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)などと交易を行ってきました。
その後、東メルレイン連邦国がラガン帝国と手を結ぶと、メイオール王国はそれを避けて、ロンデニアやソファイアを中心に交易を行うようになります。また、聖歴450年代に入ると、ソファイアがペルソニアでの力を落としたため、王国は次に台頭してきたエリスファリアとも手を結び、ラガン帝国などの侵略国家に対抗する力を維持しようとします。しかし、聖歴520年代になると、ロンデニアおよびエリスファリアは国内問題からペルソニアでの力を落とし、後ろ楯となる国家を失ってしまいます。そのため、聖歴570年代に侵攻を開始したルワールを退けることが出来ず、ついにメイオール王国はルワールの植民地となるのです。その後、聖歴786年に東部の植民地(C-2)はライヒスデールに奪われますが、この地は現在もルワール領として維持されています。
▼C-4:ルワール植民地
この付近はかつてアトルス族、モディラ族、スオグス族、ウーリ族などが治める幾つかの小国が存在していたのですが、民族を異にする北方のメイオール王国に、聖歴181年までに支配されます。その後、聖歴570年代になるとメイオール王国はルワール大公国に征服され、現在もルワールの植民地となっています。
▼C-5:ロンデニア植民地
古くからこの地域は、ミーヴァ族とそれに付き従う7つの民族で構成される、ドーン・ミーヴァ王国が支配していた地域です。この付近はエルモア地方や中央地方から地理的に離れていたため、その干渉を受けることも殆どなく、独自の文化を発展させてきました。しかし、聖歴330年代になるとロンデニアが侵攻し、この場所を植民地とします。ロンデニアはこの地から採掘される黄金や宝石によって、大きな発展を遂げてゆきます。
聖歴520年代に入ると、ロンデニアは国内問題から植民地への影響力が弱まり、植民地総督の専横時代が訪れます。この状態は150年近くものあいだ続き、ロンデニア本国がこれを再び制圧するのは、聖歴670年頃のことになります。その後はロンデニアの植民地として維持され、現在に至っています。
▼C-6:ロンデニア植民地
古くからこの地域はシュティクラヴル王国が支配していた土地で、東部のテティア山地には大規模な銀山が存在します。この国はドーン・ミーヴァ王国と争いが絶えず、古来から幾度も戦いを行ってきたのですが、ついに決着がつくことはありませんでした。というのは、聖歴330年代にドーン・ミーヴァ王国がロンデニアに征服され、植民地となってしまったからです。
ロンデニアの力を恐れたシュティクラヴル王国は、独占交易権を結んで王国の自治を守ろうとします。しかしロンデニアは、聖歴353年に起こったブルム内海の海戦でソファイアに敗北を喫すると、シュティクラヴルには無断で、この独占交易権をソファイアに譲り渡してしまうのです。
ソファイアは国交締結の儀式という名目で、儀典兵に扮した兵士を国内に入り込ませると、瞬く間に王宮を武力で制圧します。そして、王族と聖職者を人質としてこの国を支配下に置き、20年の間に略奪の限りを尽くすのです。その後、条約通りに王国との交易権はロンデニアに返還されましたが、その時の技術で採掘できる鉱産資源は殆ど取り尽くされ、ソファイア本国に運び込まれておりました。そして何より、シュティクラヴルの国民の意識は、国外勢力への怒りと怨みに染まっており、ロンデニアとの交易も拒絶するようになるのです。
やがて聖歴400年代に入ると、鉱産資源を欲するロンデニアは、支配地であるドーン・ミーヴァ王国が古くからこの国と対立していたことを利用して、原住民同士で争わせてシュティクラヴルを征服しようとします。しかし、この戦いに決着がつくのは、結局のところロンデニア本国が戦力を投入した、聖歴490年代まで待たなければなりませんでした。
こうして、この地はロンデニアの支配下に置かれるようになったのですが、聖歴520年代に入るとロンデニアは国内問題から植民地への影響力が弱まり、植民地総督の専横時代が訪れます。この状態は150年近くものあいだ続き、ロンデニア本国がこれを再び制圧するのは、聖歴670年頃のことになります。その後はロンデニアの植民地として維持され、現在に至っています。
▼C-7:ロンデニア植民地
かつてこの一帯は未開地で、幾つかの狩猟民族が定住するだけの、特に利用価値のない場所でした。しかし、聖歴330年代にロンデニアが西部地域に到達し、ドーン・ミーヴァ王国やシュティクラヴル王国と交易を行うようになると、奥地に住むという幾つかの部族がやって来ます。そして、工芸品や金、あるいは幾つかの宝石などを材料に、ロンデニアに取り引きを持ちかけるようになるのです。
聖歴350年代にソファイアがシュティクラヴル王国を制圧すると、その後しばらくの間、この民族は姿をあらわさなくなります。この状況はロンデニアがシュティクラヴルを征服した聖歴490年代まで続きますが、情勢が安定すると再び彼らは現われるようになり、この付近は小さな交易都市が自然と出来上がってゆきました。しかし、そのうちの幾つかの民族については、決して出所を明かそうとはしませんでした。
その後、聖歴520年代に入るとロンデニアは国内問題から植民地への影響力が弱まり、植民地総督の専横時代が訪れます。聖歴550年代に入ると、総督一族はこの地を武力で制圧しますが、その目的は奥地の部族が知る金鉱脈の略奪でした。彼らは繰り返し、南部のキラーラ高地やテティア山脈の奥地に捜索隊を送り込むのですが、結局その努力は徒労に終わります。
鉱脈の探索は、ロンデニア本国が植民地を再制圧する聖歴670年代を過ぎても続きます。そして、聖歴700年代の初頭にはキラーラ高地で鉄の鉱脈が発見され、さらに聖歴730年代になると奥地で石炭も見つかります。現在、麓には幾つもの鉱山町がつくられ、活気と賑わいを見せています。
▼C-8:未開地
開発が行なわれていない手つかずの土地で、一面にサバンナが広がっています。現在は野生動物と原住民が自然に寄り添って暮らしているだけですが、いずれライヒスデールによって開墾が行なわれる可能性があります。この時、ルワールやロンデニアが介入するのは間違いなく、何らかの衝突が起こるものと予測されます。
▼C-9:ルワール開発地
古くは草原が広がる未開の地だったのですが、聖歴740年代になって山脈奥地に新たな鉱脈が見つかり、ルワール大公国による開発が行われるようになりました。現在もこの地域は、ほぼルワールの支配下に置かれていますが、鉱山資源を狙うライヒスデールが侵攻を企てているという噂もあります。
▼C-10:未開地
・北東部:ルワール開発地
・南西部:ロンデニア開発地ロンデニアとルワールの開発地となっておりますが、現在のところはいずれの植民地でもありません。両陣営はヒナ山地での鉱脈探索を進めておりますが、周辺地域には通行を阻む難所が多く、現在は最高峰であるヒナ山の麓までしか到達できておりません。その奥地には独自の文化を持つ部族が存在するようですが、詳細についてはよくわかっておりません。
▼C-11:未開地
テティア山地とメナナ高地の間をグラン峡谷が貫いており、東西の交通を妨げています。この地はいずれの国家も開発を行なっておりませんが、峡谷の向う側の岩壁に複数の住居跡が発見されており、過去に現地民が暮らしていたことが判っています。とはいえ、廃虚と思われるこの区域はウルリ砂漠側の谷にあるため、誰もそこまで赴いて確認したわけではなく、実際に無人となっているかどうかは定かではありません。
ロンデニアの調査隊が岩壁街と名付けたこれらの住居は、岩壁を掘ってつくられたものです。峡谷の入り口付近には、聖歴692年に起こった局地地震で崩落したといわれる、岩壁街の残骸が散らばっています。この地域の調査は終了していますが、瓦礫を見たところ高度な技術で造られた建築物らしく、平らに磨かれた壁材に精巧な彫刻が施してあったり、防腐用の塗料を塗った給水設備らしき木管も発見されています。幾つか発見されている宝飾品などからも、周辺部族よりも高い知識・技術を持った人々が住んでいたことは間違いないようですが、装飾模様や文字らしき彫刻を比較しても、近隣に住む部族の文化とはあまり関連性が見られず、かつてペルソニア奥地に存在したといわれる、巨石文明の末裔ではないかと考えられています。
▼C-12:未開地
・ロンデニア開発地岩山と砂漠が広がる地域ですが、キラーラ高地の奥地では鉄が発見されています。採掘は聖歴700年代の初頭に開始されていますが、さらに730年代になると奥地で豊富な石炭の鉱脈が発見されたことで、この地は資源の供給地として大いに賑わうことになります。現在では10を超える大小の炭田があり、露天掘と坑内掘が半々くらいで採掘されています。
ここは実質的にはロンデニアの領地ですが、鉱山以外の開発は殆ど行なわれておらず、奥地に住む原住民も植民地支配を受けておりません。また、原住民に襲われる可能性も殆どないために軍を置いてないのですが、これを理由に各国はロンデニアの支配地であることを認めませんでした。とはいえ、他国がこの地域に攻めて来ることは考えられず、今後もロンデニアの実効支配状態が続いてゆくことでしょう。
先頭へ
国家別
○サン・ゴート王国(C-1)
サン・ゴート王国は隣国のメイオール王国と反ラガン同盟を結びながら、長く独立を守り続けてきました。この地域がエルモア地方と交流を持ったのは聖歴220年代のことで、ラガンおよびソファイアとの衝突を避けた、カーカバート、ロンデニア、東メルレイン連邦国(現ルワール)、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)などと交易を行ってきました。その後も、カーカバート、エリスファリア、ロンデニアらと交易を行いながら、国外からの技術を取り入れて、鉱山開発や武器の製造などにも力を入れてきました。また、侵略された国家などから逃げ出して来た人々も、人種を問わず移民として受け入れ、国力の増強をはかってきたのです。
こうした努力により、聖歴520年代にルワールによって隣国メイオールが占領された際にも、その侵攻を単独で食い止めることに成功しています。しかし、聖歴780年から始まるライヒスデールの侵攻に対しては、その技術力の格差からこれを食い止めることが出来ず、ついに聖歴783年には独立国家としての地位を失うことになります。現在もこの土地はライヒスデールの植民地として存在しています。
▼人種
・アデン系黒人
・レグラム系黒人
○メイオール王国(C-2/C-3/C-4)
メイオール王国は古くからC-1、C-2地域を支配してきました。その後、付近のアトルス族、モディラ族、スオグス族、ウーリ族などが治める幾つかの小国を制圧し、聖歴181年までにC-4地域を国土に併合します。
この国家がエルモア地方と交流を持ったのは聖歴220年代のことで、ラガンおよびソファイアとの衝突を避けた、カーカバート、ロンデニア、東メルレイン連邦国(現ルワール)、アルア=ルピッツ連盟(現ルクレイド)などと交易を行ってきました。その後、東メルレイン連邦国がラガン帝国と手を結ぶと、メイオール王国はそれを避けて、ロンデニアやソファイアを中心に交易を行うようになります。また、聖歴450年代に入ると、ソファイアがペルソニアでの力を落としたため、王国は次に台頭してきたエリスファリアとも手を結び、ラガン帝国などの侵略国家に対抗する力を維持しようとします。
しかし、聖歴520年代になると、ロンデニアおよびエリスファリアは国内問題からペルソニアでの力を落とし、後ろ楯となる国家を失ってしまいます。そのため、聖歴570年代に侵攻を開始したルワールを退けることが出来ず、ついにメイオール王国はルワールの植民地となるのです。
それから聖歴780年代に入るまで、この地は長くルワールの支配下に置かれるのですが、聖歴784年にライヒスデールの侵略を受けることになります。この時、ルワール本国では黄人による独立運動が起こり、聖歴786年にC-2地域を手放す羽目に陥ります。こうして、C-2地域はライヒスデール領、C-3、C-4地域はルワール領として現在も維持されています。
▼人種
・アデン系黒人▼現在
・C-2:ライヒスデール植民地
・C-3/C-4:ルワール植民地
○ドーン・ミーヴァ王国(C-5)
ペルソニア西部に古くから存在したドーン・ミーヴァ王国は、ミーヴァ族とそれに付き従う7つの民族で構成されていました。この付近はエルモア地方や中央地方から地理的に離れていたため、その干渉を受けることも殆どなく、独自の文化を発展させてきました。しかし、聖歴330年代になるとロンデニアが侵攻し、この場所を植民地とします。ロンデニアはこの地から採掘される黄金や宝石によって、大きな発展を遂げてゆきます。
聖歴520年代に入ると、ロンデニアは国内問題から植民地への影響力が弱まり、植民地総督の専横時代が訪れます。この状態は150年近くものあいだ続き、ロンデニア本国がこれを再び制圧するのは、聖歴670年頃のことになります。その後はロンデニアの植民地として維持され、現在に至っています。
▼人種
・アデン系黒人
○シュティクラヴル王国(C-6)
ペルソニア西部に古くから存在するシュティクラヴル王国は、聖歴300年代に入るまで殆ど外部から干渉されることなく、独立国家として自治を守ってきました。しかし、聖歴330年代に隣国のドーン・ミーヴァ王国がロンデニアに征服されると、その力を恐れたシュティクラヴル王国は、独占交易権を結んで王国の自治を守ろうとします。しかし、聖歴353年に起こったブルム内海の海戦で、ロンデニアはソファイアに敗北を喫すると、この独占交易権をシュティクラヴルに無断でソファイアに譲り渡してしまうのです。
ソファイアは国交締結の儀式という名目で、儀典兵に扮した兵士を国内に入り込ませると、瞬く間に王宮を武力で制圧します。そして、この国を支配下に置き、20年の間、略奪の限りを尽くします。その後、条約通りに王国との交易権はロンデニアに返還されましたが、その時の技術で採掘できる鉱産資源は殆ど奪われておりました。そして何より、シュティクラヴルの国民の意識は、国外勢力への怒りと怨みに染まっており、ロンデニアとの交易も拒絶するようになるのです。
やがて聖歴400年代に入ると、鉱産資源を欲するロンデニアは、支配地であるドーン・ミーヴァ王国が古くからこの国と対立していたことを利用して、原住民同士で争わせてシュティクラヴルを征服しようとします。しかし、この戦いに決着がつくのは、結局のところロンデニア本国が戦力を投入した、聖歴490年代まで待たなければなりませんでした。
こうして、この地はロンデニアの支配下に置かれるようになったのですが、聖歴520年代に入るとロンデニアは国内問題から植民地への影響力が弱まり、植民地総督の専横時代が訪れます。この状態は150年近くものあいだ続き、ロンデニア本国がこれを再び制圧するのは、聖歴670年頃のことになります。その後はロンデニアの植民地として維持され、現在に至っています。
▼人種
・アデン系黒人▼現在
・C-6:ロンデニア植民地
先頭へ