俳 句 の 歴 史

10人の俳人とその作品

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第5章
高浜虚子(1874〜1959)
たかはま きょし

正岡子規が友人とともに創刊した俳句雑誌、「ホ
トトギス」の発行は、子規の弟子の高浜虚子に引
き継がれた。

虚子ははじめ小説の執筆に熱中していたが、1913
年から俳句の創作と弟子の育成に注力するように
なった。虚子の俳句作品と俳句観は多くの俳人の
支持を受け、ホトトギスは膨大な数の投稿者を抱
える大雑誌へと成長した。

虚子の俳句は固定した文体を持たない。彼の作品には、雄大で剛直なものもあ
れば繊細で柔弱な句もあり、空想をほしいままにした作もあれば事実のシンプ
ルな描写に徹した句もある。虚子の世界は星雲のように混沌としており、さま
ざまな種類の草が生い茂った野原のように多様である。

虚子の思想をひとことで特徴づけるとすれば、人工的に知恵を働かせて作った
小世界というものを嫌い、一句の中に知性では割りきれないあいまいな響きを
残すのを好んだということが言えるように思われる。

虚子は芭蕉の偉大な功績を認める一方で、芭蕉の俳句の中にあるわざとらしい
演劇的身振りは好まず、むしろ芭蕉の弟子で簡潔な描写を得意とした野沢凡兆
(?〜1714)を高く評価したりした。

虚子は俳句において季語が発揮する強力な象徴機能を重視し、無季の俳句を徹
底して排除した。


 蛇逃げて我を見し眼の草に残る

 白牡丹といふといへども紅ほのか

 早苗とる水うらうらと笠のうち

 夕影は流るる藻にも濃かりけり

 春の浜大いなる輪が画いてある

 顔抱いて犬が寝てをり菊の宿

 川を見るバナナの皮は手より落ち

 もの置けばそこに生れぬ秋の蔭

 岩の上の大夏木の根八方に

 手にうけて開け見て落花なかりけり

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ


執 筆  四 ッ 谷  龍


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