俳 句 の 歴 史

10人の俳人とその作品

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第10章
富澤赤黄男(1902〜1962)
とみざわ かきお

雑誌「ホトトギス」の有力同人であった水原秋桜子は、
彼の対立者、高野素十と、その俳句を擁護した師の高浜
虚子に反発し、1931年に同誌を脱退した。秋桜子は、
虚子の「客観写生」の教えが、事物を単調に描写するだ
けの無味乾燥な俳句を奨励していると考え、俳句は理想
的に完成された美の世界を表現しなければならないと主
張した。

それまで虚子とホトトギスが支配していた俳句界に、秋
桜子の独立は大きな衝撃をもたらした。これに刺激され
て、若い俳人たちは「新興俳句」と名づけられたより過激な俳句革新運動を起
こした。秋桜子はあくまで無季の俳句を認めず、俳句の題材を自然および自然
と関わる人間の生活に求めたが、新興俳句の若い作家たちは季語制度を拒否し、
西洋文学を範として俳句の近代化を模索しはじめた。彼らの中には、社会主義
やダダイスムへの共感を示す者も現れた。

新興俳句の主要な作家には、西東三鬼(1900〜1962)、富澤赤黄男、篠原鳳
作(1905〜1936)、高屋窓秋(1910〜)、渡辺白泉(1913〜1969)らが
いる。

富澤赤黄男は象徴主義の詩の影響を受け、俳句に抽象表現、隠喩(メタファー)、
アナロジーなどの西洋的な手法を積極的に導入して、近代人の憂愁を表現しよ
うとした。

赤黄男の俳句に対する評価は、現在でも大きく分かれている。特に伝統的な俳
句の方法論を重視する作家たちは、赤黄男をはじめとする新興俳句の価値を強
く否定している。

赤黄男に対しては二つの側面から批判が行われている。一つは赤黄男の方法論
に対する批判である。「俳句は世界一短い詩の形式であり、この短い形の中で
いかに派手にことばを用いても、直接伝達できる内容はわずかなものでしかな
い。だからこれまで俳人たちは、俳句の中では簡潔に事物を描写することによ
って、読者が自由に想像を広げる余地を残すよう心がけてきたのだ。赤黄男の
ように、メタファーをひねくりまわして読者を自分のほうへ引き寄せようとす
るのは、読者の想像の自由を削ぐもので、かえって俳句の力を弱める」といっ
た批判が、主に伝統的な手法をとる作家たちから浴びせられているのである。

しかしこの批判は一面的にすぎるのではないかと、私には思える。従来の俳句
が簡潔な描写のみで事足りていたのは、その簡潔さを支えるだけの文化的背景
が日本にあったからではないのか。日本に多くの古い習慣が保存されていた時
代には、日本人はゆるぎない、固定した価値観なり美意識なりを共有していた。
だからささやかな事物の描写が、普遍的な感興を日本人の読者に喚起するシス
テムが成立したのである。

しかし国際化や情報化が進み、文明の発展のスピードが上がるにつれて、同じ
日本人同士でも価値観を共有することが困難になってきた。このような時代で
は、ささいな動機がきっかけとなって共通の感情が全員に行き渡るという、日
本的なシステムが安定的に存在しにくい。したがって俳句においても、誇張し
た表現を使うことによって、伝達をより強固なものとする必要性が出てきたの
である。

もう一つは、新興俳句の人間観に対する批判である。新興俳句運動に参加した
作家たちは、日本の因習的な文化を嫌い、個人の能力よりも家柄や縁故や老人
の権威が重視される社会の仕組みに反発した。彼らはリベラルな価値観に憧れ
を持ち、西洋の個人主義の感化を受けた。この結果として新興俳句は社会と個
人を対立するものとして捉え、作家は個としての視点から社会を批判する立場
に立たねばならないと考えるようになった。

赤黄男は第二次世界大戦の敗戦という深刻な経験を経ても、権威を重んじる日
本人の体質が変らないことを見抜き、個としての立場から人間への絶望を表現
した。

しかし個人というものが世界と五分に渡り合うだけの価値と可能性をもつとい
う人間中心的価値観自体が、今日では疑われ始めているのではないだろうか。
一個人は、一匹の鼠以上に価値のある存在だと言いうるのだろうか。人間と鼠
の間に何の違いがないということを、けっしてイロニックにではなく、当然の
こととして認めることができた時、新たな人間観が誕生するのではないか。一
個人は鼠以上の権利を持つわけではないと悟った時、人間への過剰な期待がな
くなり、人間への絶望は消え去るのではないか。

新興俳句の人間観に対するこのような重要な批判に基づき、戦後に永田耕衣や
平畑静塔(1905〜1997)などの作家は「根源俳句」の運動を開始した。

赤黄男の俳句に対する評価はさまざまであるが、彼が導入した各種の手法は今
日多くの俳人が採用しており、先駆者としての赤黄男の存在意義が揺るぐこと
はありえないと私は確信している。


 鶴昏れて煙のごとき翼ひけり

 翡翠よ白き墓標のあるところ

 靴音がコツリコツリとあるランプ

 砲音の輪の中にふる木の実なり

 豹の檻一滴の水天になし

 花粉の日 鳥は乳房をもたざりき

 窓あけて虻を追ひ出す野のうねり

 蝶墜ちて大音響の結氷期

 秋暑し豹の斑の日に粘り

 冬蝶の夢崑崙の雪雫


執 筆  四 ッ 谷  龍


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