間違っているから超科学なのか

 科学が人間の業である以上、どんな理論も「絶対に正しい」ということはありえません。 科学の歴史をひも解いてみれば、 昔は正しいとされていたが現在は間違いとされている理論は枚挙にいとまがありません。 では、これらの理論は超科学だったのでしょうか。中にはそうだったものもあります。 しかし、大半の理論は超科学とは呼ばれません。

 たとえば、19世紀から20世紀初頭にかけて、物理学者たちは宇宙に「エーテル」 という不思議な物質が充満していて、それが光を伝えている、と考えていました。 そしてエーテルに対する地球の運動を測定しようとさまざまな実験を行いました。

 現在ではこのようなエーテルという物質は存在しないとされています。では 「エーテル理論」は超科学だったのでしょうか?もちろんそんなことはありません。

 光が波動である(少なくとも波としての性質を持っている)ことは事実です、 そして当時知られていた他の波動はすべて伝わるために何らかの媒質を必要としました。 ならば光にも媒質があるに違いない、と考えるのは当然のことです。

 その後相対論によってエーテル理論は破棄されますが、 相対論が生まれるためにはエーテル理論が必要だったのです。なぜなら相対論は、

「どのような実験をしてもついにエーテルに対する地球の速度を測定できなかった」

 と言う事実(マイケルソン・モーレーの実験が有名ですが、他にもさまざまな実験が行われました) に基づいて構築されたからです。

 つまり、相対論の成立にはエーテル理論の確立と破綻というプロセスが必要だったわけで、 もしこのプロセスを経ないでいきなり相対論が現れたとしたら、 それこそ(結果的に正しくても)まさに超科学です

 結局、科学と超科学を分けるのは結論の間違っているか否かではなく、 結論にいたるプロセスである、ということになります。

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