8月2×日午後 時間が空いていたので読書


 冷房の完備した部屋でモーツァルトを聞きながらアイスティー。優雅なひとときのはずだったが…
「レイ様、お客様がいらっしゃいました」
「今日誰かと会う約束はないはずだが…」
 何か悪寒がして席から立つと、はたして現れるピンクの三つ編み!
「こ〜ん〜に〜ち〜は〜」
「だーーっ古式ゆかり!」
「お久しぶりです〜〜〜」
「こいつは家に入れるなと言ったろう!」
「そ、それが気がついたらいつの間にか入り込んでまして…」
「使徒みたいな奴だ…」
 古式ゆかり。古式不動産の一人娘で私の幼なじみ。彼女さえいなければ私の血圧は今より少し下がっていただろうと思われる絶対無敵のストレス源。彼女への対処法は今のところない。
「…で、何の用」
「ええとですねぇ〜」
 …数秒経過。
「もうすぐ夏休みも終わりですねぇ〜」
「で何の用!」
「ああそうそう、実は宿題の方がですね〜」
 いらいらいらいら
「まだ終わっておりませんで〜、ご一緒にお勉強しようかと思いまして〜」
「ふっ、残念だったな。そんなもの私は7月中に片づけ済みだ!」
「ええ、そうだと思いましたので〜、レイさんに教えてもらおうと思ってやってきたのですよ〜」
 …断っても無駄なことは知っていた。こいつはそういう奴だ。
「もしかしてお忙しかったでしょうか?」
「暇ではないな」
「そうですか〜。それではここでお待ちいたします、1時間でも1日でも1週間でも…」
「あーもういいっ!茜、外井に言って和室の準備をさせてくれ。それから飲み物を頼む」
「は、はいっ。かしこまりましたっ」
 古式不動産との付き合いもあるのでそうそう邪険には扱えない。それを知ってか知らずかゆかりはにこにこと笑いながら「レイさんは親切ですねぇ〜」とかほざいていた。なんでこんな奴が幼なじみなんだ。

 家の中なので髪はまとめていない。ぼーっと私の金髪を眺めているゆかりの手を引いて和室へ移動した。
 18畳しかない居間の真ん中にテーブルを置く。この部屋はあまり使ってなくて掛け軸と壺くらいしか物がない。畳もまだ新しい。
「窓を開けましょう〜」
「ここはクーラーが…」
「開けましょう〜」
「‥‥‥‥‥」
 そういえば冷房好きじゃないんだっけ…。私が渋々クーラーを切っている間に窓を全部開けると、ゆかりは風鈴を取り出して窓枠に吊した。夏になるといつも持っていて気が向くと歩きながら鳴らすのだ。彼女とだけは街を歩きたくない。
「風流ですねぇ〜」
「…風流はいいから、さっさと片づけよう」
「どうぞよろしくお願いいたします」
「三つ指立てて土下座せんでもいいっ!」
 テーブルの上にプリントを広げ、茜の持ってきたアイスティーを一口飲んでさっそく宿題にとりかかる。案の定というか数学だ。
「ぼーっと考えていたのですがちっとも解けませんで…」
「当たり前だ」
「奥が深いですねぇ」
「深くないっ」
 ぼへ〜としているゆかりの顔をプリントへ集中させると、私は公式の説明を始めた。彼女に勉強を教えるのは中学生のとき以来だろうか。決して頭は悪くないのだがとにかく遅い。ひどいときには1問目を考えている間に試験時間が終わって白紙で提出していたこともあった。
「それじゃこの問題」
「はい〜」
「制限時間10分」
「無理です〜」
「やる前から諦めるな!」
「うぅ…わかりました〜」
 この子これから高度情報化社会に出ていって大丈夫なんだろうか…。あの家のことだから婿取って一生箱入りだろうが、それでもこのトロさと呑気さは他人事ながら心配になってくる。なにしろ子供の頃からまったく進歩がない…
「どうか、いたしましたか?」
「いや…。それで問題は解けたのか」
「まあ、レイさんのお顔を見ていたらすっかり忘れてしまいました」
「‥‥‥‥‥」
 疲れ果ててテーブルにうつ伏せた。休憩だ休憩!アイスティーのおかわりを持ってきてもらおうと茜に電話すると、横からゆかりが口を出す。
「茜さん、お手数ですが先ほどお預けしたお土産もご一緒に持ってきていただけますか?」
『はいっ、かしこまりました』
 何だ?という私の問いにもゆかりはにこにこ笑うだけだった。しばらくして茜が持ってきたのは重箱に入ったおはぎである。
「お母様がレイさんとご一緒にいただきなさいと…」
「…ふーん」
 一口食べると、今まで冷蔵庫に入れておいてもらってたのかひんやりとしていておいしい。上品に両手で持って食べているゆかりはつくづく幸せそうだ。
 私の親ならこんなもの絶対に作らないな…などと一瞬考えて不快になり頭から追い払った。馬鹿らしい。あの連中にそんなこと期待してない。
「…ごちそうさま」
「まぁ、まだございますよ?」
「後で食べる」
 少し行儀が悪いがごろんと畳に横になる。それなりに風が入ってきて気持ちいい。ちりーん、と風鈴の音が鳴る。
 昔もよくゆかりの家に遊びに行っては疲れて畳の上で眠ったっけ。彼女ときたらゲーム機持っていけば触っただけで壊すし、外を歩けば道に迷うし、川のそばを通れば落っこちるし、本当に面倒ばかりかけるんだ…
「…レイさん?」
 これからもそんな感じなんだろうな…

「ん…」
 腕のしびれで目を覚ます。腕枕したまま眠っていたからだ。我ながら嫌になる。
 ふと隣にゆかりが寝息を立てているのに気づく。こんなに広い部屋なんだから他にいくらでも場所はあるだろうに…。
「茜ごめん、タオルケット持ってきてもらえないか」
 廊下へ出てタオルケットを受け取ると、ころんと転がってるゆかりの体にかけてやった。…ここだけ時間が止まってるような平和そうな寝顔だ。見てるこっちも眠くなってきて、結局私もまた彼女の隣に横になった。
 目を半分閉じながら、ゆかりの顔をぼんやりと眺めている。
 こういうとこ本当に変わらない。ゆかりはいつまでもあの頃のまま。
 私は変わってしまったな…


「今日は気持ちよく眠れましたねぇ」
「…宿題しに来たんじゃなかったのか、お前は」
「まぁ、そうでした」
「もういい。私のノートを貸してやるからあとは自分で勉強しろ。31日が来る前に!」
「重ね重ねありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げてノートを受け取ると、ゆかりはいつものようににっこりと微笑む。
「レイさんも、昔のままですねぇ」
 …なんとなく心を見透かされた気がして私は口をつぐんでいた。ゆかりの姿はお辞儀をしながら見えなくなって、ふすまを閉めると広い和室は私1人になる。
 ちりーん、と風鈴が鳴る。うちに来ると必ず何か忘れていくのだ。
 その窓の向こうの夕暮れを膝を抱えて眺めながら、あの騒々しい学校がもうすぐ始まることを心待ちにしている私がそこにいた。

 もう夏休みに飽きてしまったのかもしれない。



おしまい




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