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 学園の片隅、もはや授業にも使われなくなった古い教室から、1人の生徒が悲鳴を上げて転がるように逃げていく。デイル・マースは追おうともせず、腕を組んで憮然としていた。
 これで残る部員はあと数名。といっても1人を除いて今後も残る可能性は薄い。マスターとしてはアカデミーの今後を真剣に憂慮しなくてはならない事態だが、それより何より最近の後輩どもの骨のなさのなんとも物足りないことか。
「結局俺についてこられるのはルーファスだけかぁ…」
 がらんとしたアカデミールームを後に、その3rdの学生は頭をかきながらどこへともなく歩いくのだった。



True

Vol.5 Attack



 もう2学期もかなり過ぎた頃。

 ソーニャの生活は変わったとも言えるし、変わってないとも言える。
 要は隣にミュリエルがいること以外はほとんど元のまま。毎日毎日ひたすら勉強、教室では誰とも話さない。ただ時たま放課後に図書館へ行くと物静かな少女がそこにいて、2人はごく自然に同じ机に座った。どちらも多弁な方ではなかったが、その方が落ち着けた。
 でもソーニャには気になることがある。最近ミュリエルのいる回数が多い。それはそれで嬉しいが、確か彼女はどこかのアカデミーに入っていたはずだ。演劇か何かだったろうか、そちらへは行かなくて良いのだろうか。
「…ソーニャ?」
「え?あ、うん」
 余計なこととは思ったが、ソーニャの性格上気になることはほっておけない。しばらく羽ペンを弄んだ後思い切って聞いてみた。
「アカデミーは行かなくていいの?」
「あ……」
 聞いてすぐにしまったと思った。ミュリエルは言いづらそうに俯いている。やっぱりアカデミーに入ったはいいけど馴染めないのだろうか。あわててソーニャは目の前のテキストをぱらぱらとめくった。
「あ、ほ、ほら、火の基本ルーンだけど、この一覧が使いやすいわよね」
「‥‥‥‥」
「ひ、火と言えばこの前誰かがアウレウス講堂でボヤ起こしたんですってね。まったく危ないったらありゃしないわっ」
「ああ、それは…」
 無理して話題を変えようとする友達に、ミュリエルも少し無理して顔を上げた。教室の噂話に耳を傾けてる彼女は、勉強しかしてないソーニャよりはまだ学内の事情に詳しい。いつも耳を傾けてるだけで話には加われなかったが…
「ウィザーズアカデミーのマスターの人が変な呪文使ったんだって」
「ウィザーズアカデミー?」
「う、うん。確かデイル・マースっていう人で、色々問題起こしてるって…」
 聞いた話だけど、と前置きして、ミュリエルは校内では有名なその人物について語りだした。魔法実験、人体実験、公共物破壊…。聞いているうちにソーニャの顔色がみるみる変わっていく。
「何よそれは!学校側は何をしているの!?」
「え、あの、魔力は教官より上だから手が出せないって…」
「なぁんですってぇぇえ!!」
「ご、ごめんなさいっ!」
 コホン!と咳払いの音が聞こえる。振り返ると司書さんがじっとこちらを見ていて、ソーニャは赤面してぼそぼそと声を落とした。
「し、所詮は噂話よね」
「う、うん」
「なら尾ひれがついていることも考えられるわ。そんな非常識なことがあってたまるもんですか!」
「ご、ごめんなさい…」
「別にあなたが謝ることじゃないわよ…」
 その日はこの話はこれっきりになった。すぐにまた思い出すことになるのだが、何にせよソーニャ・エセルバートが初めて宿敵の名を聞いた最初の日である。


 そして翌日。
「‥‥‥‥」
 学園の片隅の旧校舎は今は文化系アカデミーの部室に使われている。ミュリエルの所属する演劇アカデミーもその一つを占めていたが、当のミュリエルは扉の前を身を隠すようにうろうろしていた。
 昨日ソーニャにああ言われてやっぱり出席しようと思ったはいいが、何しろしばらく無断で欠席していたのでいざ来てみると思い切りがつかない。もともと少し度胸をつけようと入ったにも関わらずやはりそう簡単に性格は直らず、人が大勢いる中で謝ってばかりで結局足も遠のいていたのだ。今さら戻ったところで嫌な顔をされるのが落ちではないのか…。
 他のアカデミーの人たちがじろじろとミュリエルを見ながら通り過ぎる。何もできないミュリエルはじっと下を向いたまま、扉の向こうの楽しそうな活動の声を聞いていた。自分がいなくても、ううん、自分がいない方が。
「おっじょうさん!」
 びくっ!と反射的に飛びすさり、あわてて謝ろうとして、自分に声をかけた男の姿に凍り付いた。怪しいサングラスに怪しいバンダナ。アレンジの度を遥かに超えもはや原形をとどめていない制服。彼が歩いてきた方向には廊下が続き、その一番端に半分開いた扉が見える。確かあそこは…
「ここに入会希望かね?」
「え、あの、その…」
「そうかまだ決めたわけではないか!ならうちのアカデミーなんてどうだ。とてつもない力が身につくぞぉ!なに?ぜひ入りたい?」
「そ、その、すみま…」
 廊下に何人かいた生徒たちはいつの間にか蜘蛛の子を散らすように消えている。この横暴なやり口、間違いない、なんでよりによって自分が。
「うんうん、名前をまだ教えてなかったな。うちはウィザーズアカデミー、そして俺はマスターのデイル・マース!」
「(誰か助け……)」

「お待ちなさいっ!!」

 廊下に轟く少女の声。振り返った目に飛び込む青い髪。間違いなく彼女のただ1人の親友が、デイルに指を突きつけてそこに立っていた。
「ミュリエルに何をする気!?今すぐその娘から離れなさい!」
「俺は勧誘してただけだぞ」
「どこがっ!!」
 デイルの側からミュリエルを奪い取ると、気迫をこめてきっ!とにらみつける。
「話はだいたい聞いてたわ。あなたが非常識人間のデイル・マースね!」
「いやあ照れるな」
「3rdなら3rdらしくしたらどうなんですか!」
 噂とはいえ真実は十分に含んでいたようだ。ミュリエルに対する許し難い振る舞いといい、見るからに常軌を逸したその出で立ちといい、にやにやと笑みを浮かべた不真面目な態度といい、ソーニャとしては友人になりたい人の対極に位置する存在だった。視界に入れておくのも嫌だという風に背を向けて、ミュリエルの手を引いて早足で歩き出す。
「行きましょミュリエル、こんなの相手にしてたら脳が腐るわ」
「う、うん……」
「ウィザーズアカデミーはいつでも部員を募集しているぞ!」
「誰が入りますかっ!」
 すたすたと立ち去る2人の少女。デイルはにやりと笑うと逆方向へ戻っていく。突き当たりの壊れかけた部屋、半分開いた扉から中に声をかけた。
「お〜いルーファス、ちょっと出かけてくるから後は適当にやっといてくれ」
「こ、これ俺1人で全部やるんですか!?」
 部屋から聞こえるのはみじめそうな少年の声。
「なーにお前の実力なら魔石100個くらいすぐ作れる。ちょいと面白いものを見つけたんでな」
「ち、ちょっと先輩また騒ぎ起こす気じゃないでしょうね!何ですか面白いものって!」
「『敵』」
 椅子をひっくり返して立ち上がる音と、慌てふためいた足音が駆けてくる。しかし出口に到達する前にデイルの魔法で扉が閉ざす。ガチャガチャとノブが回され、ドアがドンドンと叩かれた。
「ちょっと先輩!やめてください先輩!もう部員は実質俺1人なんですから!!」
「お前がいれば大丈夫だよ」
 その声はドアの音にかき消され、中の人物には届かない。抗議の声を背後に聞きながら、デイル・マースは外に出ていった。

 ソーニャとミュリエルは図書館へ向かう。いつもと変わらない、2人だけの場所。校庭を横切りながら不意にソーニャが頭を下げた。
「ごめん…」
「え!?」
 驚くミュリエルにソーニャはしどろもどろになって言葉を続ける。他人に謝るのは慣れていなかった。
「だ、だから別に後つけようと思ったわけじゃなくて、たまたまミュリエルが部室棟に入るのが見えただけなのっ。アカデミーに行くんだと思って、ちゃんと行けるかなって…」
「あ…」
 落ち込むミュリエルにまたもソーニャはしまったと思った。ミュリエルはちゃんと行けなかったのだ。扉の前でうろうろするだけの彼女をソーニャは物陰からずっと見てた。見られたくなかっただろう。
「ごめんなさい!」
「う、ううん。結局ソーニャのおかげで助かったもの。わたしは…
 …わたし、駄目だね。たぶんあのままあそこにいてもいつまでも部室に入れなかった。ソーニャがいないと何もできない…」
 そんなことない。とっさにそう言おうとしたが声には出なかった。気休めは良くないと理性にブレーキがかかる。その間をぬうように別の声が前方から聞こえた。
「全くその通りだな」

 木の幹にもたれてる男。会いたくもないのに出てきて、聞きたくもない言葉を言ってくれた。
「どうやってわたしたちを追い越したのよ!」
「まあいいじゃないか。それよりウィザーズアカデミーにな」
「わたしもミュリエルも死んでも入りません!」
「そうか?少なくともそっちの子、いずらいアカデミーにいるよりずっといいと思うがねー」
 ミュリエルの顔が青ざめる。彼も情けない自分を見ていたのだろうか。
 ソーニャが友達を庇うようにミュリエルの前に立つ。その目が怒りに燃えている。
「あなたって人は…!」
「それ、そうやってすぐに庇う。2人してそうやって寄りかかりあって、それじゃぁ何も変わらんよなぁ」
「黙りなさい!」
「君もそうだ。なんだってすぐに出てきた。なんだって彼女を部室の前から連れ去ったやら。要するに君は」
 一瞬…
 ソーニャの目の色が変わった。自分の中でずっと溜め込んできたものが一気に爆発していく気がする。横柄で無礼で、他人の触れられたくないところに平気で踏み込んでくるこの男は…敵だ!!
「黙りなさい!!」
 叫んだソーニャがデイルに向かって手を広げる。
「天空の3兄弟の1人、風の神フライサーに告ぐ!」
 ミュリエルは仰天し、デイルはほう、と声をもらす。しかしソーニャは気にも留めずに詠唱を続ける。許せない、許せない、許せない!冷静と言うにはほど遠かったが、八つ当たりと言うにはデイルに原因がありすぎた。
「シュレッディング・スリット!!」
 大気が無数の平行線となり、その間隙を真空の刃が走る。黙って受ければデイルはなます状に切り刻まれるはずだった。
「いいね!」
 しかし腹の立つことにデイルは嬉しそうに身構えると、そのまま腕を振り下ろす。
「エア・シールドデイル版!」
 空気が鋭い音と共に弾かれる。短い突風がおさまった後には、無傷のデイルとはらはらするミュリエル、それに膝に手をついて肩で息をするソーニャが残った。何人かの生徒が何事かと近寄ってきたが、デイルの姿を見るとすぐに回れ右して逃げ去っていく。
 ソーニャの手がわなわなと震えている。自分としたことが、我を忘れて魔法を放ってしまった。このソーニャ・エセルバートがこんな恥を!
「そうそう、君の名前をまだ聞いてなかったな」
「ソーニャ…ソーニャ・エセルバート!」
 強力な魔法を使い、めまいと吐き気がする。それでも何とか背筋を伸ばして相手を睨みながら名を名乗った。負けてない。ソーニャの最後のプライドだ。デイルは満足そうにうなずいた。
「どーだね。ウィザーズアカデミーに入る気に」
「なるもんですか!」
「真面目に言ってるんだ」
 2人の間の空気が一段と冷たくなる。
「ソーニャ君に、そっちのミュリエル君だったか。悪いことは言わないからうちのアカデミーに入りなさい。損はさせないぞぉ」
「いい加減に…」
「君らに欠けてるものが見つかるかもしれない」
 ぴくっ、と一瞬ミュリエルが反応する。思わずそれを止めようとして、貧血のソーニャは体勢を崩した。
「ソーニャ!」
「おいおい、大丈夫か?」
 片側だけミュリエルに支えられたソーニャにデイルが手を差し伸べようとする、その瞬間…
 バチーン!
 景気の良い音を立て、サングラスが吹っ飛んだ。魔法よりも強いソーニャの平手がデイルの頬に赤い跡を残している。素顔は髪に隠れて見えない。
「ソ、ソーニャっ…」
「触らないでよ不潔!!」
「やれやれ」
 ふわり、とサングラスが宙に浮いて、そのままデイルの手元に戻る。
「ま、気が向いたらいつでも見学においで」
「冗談じゃないわ!ミュリエル、もう行くわよ!」
「え、ええ…」
 ミュリエルの肩を借りてよろよろと歩くソーニャが、不意に振り向いて拳を上げる。
「覚えてなさいよデイル・マース!」
 苦笑して手を振って、なおさらソーニャを怒らせた。ぷいっ、と向こうを向いた彼女が視界から消え、まだ少し痛む頬の跡をなぞる。まだまだ、骨のある後輩もいるじゃないか。
「ああいう奴がいないと面白くないよなぁ」
 すっかり怒らせてしまったようだが勧誘はあいつにやらせよう。どのみち来年の暁眠になれば嫌でも勧誘に必死になるのだ。
「いや〜やっぱりこの学園は変な奴が多いな〜」
 自分を棚に上げて勝手なことを言うと、デイルは鼻歌を歌いながら部室へと戻っていった。


 図書館に入ったソーニャはまだ怒っていた。
「あの…」
「勉強よ!」
「え?」
「勉強するわ!」
 よくもよくもよくもよくもよくも!絶っっ対に許さない。でも今は力が足りない。暴力で対抗しようとは思わないけど、とにかくもっと力をつけないと。
 本を積み上げて猛勉強を始めるソーニャを、ミュリエルは少し安心したように見つめていた。
「…でも、ソーニャって凄い」
「何が?」
「あのデイル先輩に正面から立ち向かうなんてソーニャくらいだもの…。普通の人だったら逃げ出してるわ」
「あ、当たり前のことをしたまでよっ」
「わたしもその半分でも勇気があったら…」
 また目を伏せるミュリエル。自分のは勇気だろうか、ソーニャは思う。だってあの男ときたら。
『なんだって彼女を部室の前から連れ去ったやら』
 …ミュリエルにここにいてほしいからだろうか。
「(そんな理由じゃないわ!)」
 心の中で断言して、追い立てるように勉強を続ける。変わりたい女の子と、そうは思わない女の子は、今日も同じテーブルで静かに本に囲まれていた。



 もうすぐ2学期も終わりが来る。



<To Be Continued>



<Dail Marth>


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