安っぽいハッピーエンドなんていらない
 翼はなくても天を指し続けたい








紐緒SS: Babylonic Sword









 目の前には巨大な塔がある


 バベルの塔
 かつて人間は、自ら天に登り詰めようと高い高い塔を作ろうとした
 ために神の怒りに触れ、塔は崩れ、人は共通の言葉を失い、互いに争うようになったのだ
 傲慢な人間の愚かさに下された報いは大きく


「…くだらないわ」

 結奈はその話を聞いたとき反発を覚えた
 それでは人間は地べたを這い回っていた方がいいのか
 高みを目指すのはいけないことか
 罰を恐れ謙虚に一生を終えるべきか


 ズ…
 結奈の目の前で塔はゆっくりと崩れてゆく
 すべては塵に還り、無に還り、いずれ宇宙は閉じる


 なのに人間の手は伸び
 地球を汚し
 全てを滅ぼしかねない兵器を作り上げ
 争いを続け
 自らの首を締め続けている


「知ってるわ」
 結奈は不機嫌そうに言った
「愚民たちが
 私たちが何をしてるかくらい知ってるわよ」
「私は人間が嫌いだから」


 バベルの塔は伸びつつある
 崩れるのはいつだろうか



 塵を払うこともせず 結奈は声のする側を見つめていた

「バベルの塔は崩れるの?」


 不意に眼前に楽園が広がる
 人間がかつて捨てたところ


(君は幸せになりたくないの)
(いつも一人で)
(研究ばかり続けて)
(それで君は幸せなの)


 バシッ
 楽園の映像が消し飛んだ 切り裂いたのは結奈だった
 白衣を靡かせ、天を睨みすえる


「幸せというものは」
「単なる快楽の延長上のものでしかない。私には意味がないわ」
「私には」
「幸せよりも大事なものがある」


 庇護の手を常に結奈は振り払う

(それが傲慢だというのに)

「勝手な理屈ね」

 自らの足で立たないことに
 自らの頭で考えないことに
 誇りを捨て
 剣を捨て
 何の意味がある?
(それが傲慢だというのに)
「私は違うわ」


 結奈は大気の外にいた
 破壊されるオゾン層 汚される空気 破壊される自然 殺される動物 作り出される病気 作り出される兵器 なくならない戦争 自ら殺し合う唯一の生物 死んでいく心
 時を経た今、楽園の代わりにあるものはこれだ
 この先にあるものは何だろうか

 結奈は雑踏の中にいた
 無関心 エゴイズム 心の病
(君も違わない)
 無意味というなら
 宇宙の中の塵に等しい我々の営みこそ
 結局はなんの意味があるのだろうか
 結奈は目を背けない
 これが自分も含めた人間の姿だ

「それでも!」

 それでも紐緒結奈は天を指す
 影の部分を、負の部分を、常に見続けて、それでも

「人間はそこまで愚かなの? ただ滅びを待つだけなの?
 今の政治体制は100年前に比べて進歩してないの? 科学は、経済は、人間の認識することは進歩してないの? 手が伸びるのは悪いことなの?」

 人間が嫌いだった
 それでも人間の営みを否定したくはない
 様々な時代の、様々な人間が作り上げてきた塔の中で

(それが傲慢だというのだ!)
(君たちの手は伸びた)
(既に程度を越えている)
(今までは取り返しのつく範囲だった)
(それが時につれて危うくなっている)
(君が一番よく知っている!)

 その力を手にする結奈は、それでも引こうとしなかった

「バベルの塔は崩れない!
 危険は知っている。でも私たちもそこまで愚かじゃない
 たとえ亀のように遅くても、停止したままの人生よりましよ
 安寧よりは滅びを選ぶ 滅びよりは前進を手にする!」

 たとえ遅くても
 自然破壊への対策は語られている
 平和への努力は続けられている
 道は開けて見えなくても、まだ決して閉じてはいない

(――過信しすぎだ)
(君の好きな科学は)
(何をもたらした 幸福か?)

 結奈は強く笑う
「いいえ!」
 彼女の好きな科学は
「前進を! 無知の闇に沈んでいた私たちに真理の翼を
 何も知らない方が幸福かもしれないわ
 それでも知への探求は無くなりはしない
 私たちが自ら誇れるものであるために!」


 安っぽいハッピーエンドなんていらない
 約束された安心なんていらない

 翼はなくても天を指し続けたい
 高みへの階梯を登り続けたい

 天が我らを拒んでも
 切り開く Babylonic Sword
 バベルの塔は崩れない
 崩させないことができる

 そして我らは前進する
 結奈は世界を征服する
 我々の誇れるものに
 この世界をきっと変える


 声は遠くなり、ぷっつりと切れた

 結奈は後悔しなかった
 するはずもなかったのだ



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 目が覚めて、数秒後に自分が眠っていたのを確認する。理科室の中はすでに暗く、冷房の音が低く響いていた。人間を冷やすためではなく機械を冷やすためのものだ。我々はどこへ行こうとしてるのだろう。
 しかし結奈の右手には、彼女にしか見えない剣がある。これを捨てることのない限り、何かを切り開くことはできる。
「いつまで寝てるのよ、さっさと起きなさい」
 電気をつけ、闇を追い払う。床で寝息を立てている公を軽く蹴り飛ばして、結奈は研究を再開する。
「あ、ひ、紐緒さん」
 公は寝ぼけた顔であわてて起きあがる。彼の目に結奈はいつもと変わらず白衣を翻して微笑んだ。
 窓の外は星が輝いているのが見える。宇宙に比べれば塵のような存在でも、人間はそのことを認識している。その点で偉大であることを、結奈は証明したいのかもしれない。
「さあ、世界を征服するわ。そのために私がいるのよ!」
「は、はいっ」
 人の歴史に意味はあるはずだから

 ――そして我らは前進する





<END>




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