この作品は「CLANNAD」(c)Keyの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
AfterStoryに関するネタバレを少し含みます。







焼きたて!!古河パン








 こんにちは、古河渚です…。
 坂の下で声をかけてくれた人とはその後縁がなく、5月になっても相変わらず友達のいない古河渚です…。
 そんなわけで今日もお昼は一人、売れ残りのあんパンを黙々と食べていました。
(はぁ…。一度でいいからカツサンドを買ってみたいものです)
 そもそもカツサンドといえば売り切れる、売り切れるといえばカツサンドというほど売り切れてばかりなのに、どうしてパン屋は供給を増やさないのでしょうか。資本主義が機能していないのではないでしょうかっ。
 これがうちのパン屋なら、絶対たくさん作ってみんなに行き渡るようにするのに…。
「なに、購買のパン屋が撤退するだと?」
 !?
 声に顔を上げると、頭の良さそうな一団が歩いていました。あれは、新生徒会長の坂上さんですっ。
「はい、なんでも東京へ行って腕を試したいとかで」
「そうなのか。それでは後任のパン屋を探さなければならないな」
「あのっ!」
 思わずその前に飛び出していました。怪訝そうな目を向けられますが、今さら後には引けません。
「わ、わたしは三年の古河渚っていいます。そういうことでしたらぜひうちの古河パンに!」
「…会長。こんなどこの馬の骨ともわからぬパン屋など、名門進学校である我が校には…」
「まあ待て、話を聞くくらいはいいだろう。古河さん、提案はありがたいが問題は値段と味だ」
「は、はいっ! お父さんのパンは安くておいしいですっ!」
「そこまで言い切るからには自信があるのだろうな。わかった、それでは私が味見に行くことにしよう」
「えぇ!?」
 びっくりの展開ですが、断る理由はありません。さっそくその日の放課後、一緒にわたしの家へ向かうことになりました。
 隣を歩く坂上さん。うーん、こんな形で誰かと一緒に帰れるなんて思いもしなかったです。
「そう緊張しないでくれ。私だって普通の女の子なんだぞ」
「はははいっ。あ、そこの角を曲がったところです」
「それでは、古河さんはここで待っていてほしい。ただの客として味を試したいんだ」
「ごもっともです。お待ちしています」
 角の向こうに消える姿を見送ります。この時間の店番はお父さん。女の子には優しいので、きっとおいしいパンを食べさせてくれるはず…。
「イヤッホー! 今日も心にホームラーン!」
「はい?」
 怖々後ろを振り向くと、お父さんがバットを振り回してスキップしていました。
「あ、あのお父さん、お店の方は…」
「ん? 固いこと言うない。ちゃんと早苗が見てっからよ」
 ま、まさか…。
『食べてみてください、自信作ですっ』
 そんな幻聴が聞こえた気がして、わたしは大慌てで走り出しました。
 しかし時既に遅し。
 口を押さえて店を出てきた坂上さんと鉢合わせします。瞳がわたしを捉えた瞬間、怒りの色に燃え上がりました。
「古河きさま…。この私を本気で怒らせたようだな…」
「はわわー! す、すみませんすみませんっ! いえ確かに一部変なパンもありますがそれ以外はまともでっ!」
「もういい、パンなんて二度と見たくもない! 学校にはおにぎり屋に入ってもらうことにする」
「そんなぁっ! やっぱり学生といったらパンでしょう!?」
「黙れ非国民め、日本人なら米を食え! お前がそんなだから農家の皆さんは減反に苦しむんだっ!」
 そ、そこまでわたしのせいなんでしょうかっ! 帰ろうとする坂上さんに、わたしは必死ですがりつきます。
「待ってください! もう一度チャンスを、チャンスをぉー!」
「しつこい奴だな…。いいだろう、そこまで言うなら勝負してやろう」
「し、勝負ですか?」
「ああ。女の子らしい私が作ったおにぎりと、お前が作ったパンの勝負だ。そちらが勝てば購売の件は考えてやる。勝負は明後日の昼休み!」
「そ、そんなっ…。凡人のわたしが生徒会長様に勝てるはずがっ…」
「いいぜ、その勝負受けてやる」
「お父さんっ!?」
 振り返ると、バットを背負ったお父さんが不敵に笑っています。
「だが甘く見るんじゃねーぞ。これでもうちの渚は、近所じゃぁうわさの看板娘と言われるほどだぜ」
「それってパン作りの腕とは全然関係ないです…」
「面白い、どんなパンが出てくるのか楽しみにしておこう。だがもし今日食わされたようなのを出してきたら…」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
「その脅え方はやめろっ! では明後日に」
 坂上さんは帰ってしまい、後には涙目のわたしと、面白そうな顔のお父さんが残されます。
「お、お父さ〜ん…」
「なーに、大丈夫だって。お前は俺の娘なんだぜ?」
「お母さんの娘でもあるんですよ」
「…だ、大丈夫だって。多分。おそらく」
 全然当てにならない言葉を残し、お父さんは野球に行ってしまいました。
 はぁ…とにかく家に入りましょう。

「お母さん…。さっきの人に何を食べさせたんですか…」
「あら、お帰りなさい渚。さっきの女の子ですか? メロンパンですよ」
 お母さんはいつものにこやかな笑顔です。
「そ、そうなんですか? どうして坂上さんは怒ったんでしょう…」
「メロンの皮を捨てるのがもったいなくて、刻んでパン生地に入れてみたんです」
「どこがメロンパンですかぁぁぁぁっ!!」
「これが早苗パン22号、メロン(の皮)パン! ふぅ…また歴史を創ってしまいましたね」
「お、お母さん…。お願いですから普通のパンを…」
 わたしの哀願に、お母さんは急に悲しそうな顔になりました。なんだかこっちが悪いみたいですっ。
「渚…あなたにはわたしのルネッサンス情熱がわからないのですか? 既存のパンばかり作っていてパン業界に未来があると思いますか? 木村安兵衛やサンドイッチ伯爵を尊敬しないのですか?」
「いえ、言うことはもっともですけど実力が伴ってな…」
「あなたはそれでもパン屋の娘ですかー!」
(怒られたー!?)
「進歩には革命が必要なんです。渚は応援してくれますか応援してくれますよねありがとうございます。わたしの求めるパンの道はまだ遠い!」
 お母さんは勝手に完結して、厨房へ行ってしまいました。
 ガラガラガラ…
 はっ、この店が崩壊する未来が見えてしまった気がしますっ!
 まずいです。何とかしなければ…。

 夕ご飯の後、わたしはお父さんの前に正座しました。
 お母さんは台所でお皿を洗っています。
「お父さん、一生のお願いがあります」
 新聞を読んでいたお父さんは、顔を上げ、真剣な目でわたしに向き直りました。
「そうか、渚…。思えばお前は、昔からあまり我が儘を言わない子だったな。誉めるべきなのかもしれねぇが、親としては少し寂しくもあったもんだ。そのお前が一生のお願いって言うんだ。どんな事があろうと叶えてやるのが父親ってもんだぜ。さあ言え渚! そしてこの父を頼ってくれっ!」
「お母さんのパン作りをやめさせてください」
「さて、明日に備えてそろそろ寝るか…」
「お父さんっ!!」
 逃げようとしたお父さんは、わたしの声に渋々座り直します。
「まあ、アレだ。早苗のパンはギャグみたいなもんだから、適当に流しとけ。な?」
「ギャグじゃ済まないですっ! わたし知ってるんです。サバイバルゲームで負けた人達に、お父さんが罰ゲームとしてお母さんのパンを押しつけているのを…」
「ぐおっ…」
「どうしてですか。パン屋さんはみんなを幸せにするためにパンを作るんじゃないんですか。みんなが嫌がるパンなんて、そんなの…そんなの間違ってます!」
「くそう、俺の娘だってのにどうしてこんなに真面目なんだ…。わかったわかった。ちょっと言ってくりゃあいいんだろ」
「はいっ、ファイトですっ」
 お父さんは立ち上がって台所へ行きました。これでもう安心ですね。だってお父さんは世界一頼りになる人で…。
「わたしのパンは…ギャグだったんですねーー!」
「俺は大好きだーっ! いやもう早苗のパンほど美味いものはないよなっ! あの味がわからない奴は舌がおかしいぜっ! いやっほーぅ早苗のパン最高!!」
「お父さんのアホちんーー!!」
「ぐおぅっ!!」

 お父さんをブーメランフックで沈めてから、わたしは一人で厨房に入りました。
 もう、どっちも頼っていられませんっ。自分の力で何とかして坂上さんと戦い、古河パンの未来を守らなくてはなりません。
「やっぱり、カツサンドでしょうか…」
 勝負するパンを考え、わたしはそう呟きます。わたしの、そして売り切れに涙したみんなの憧れのパンです。
 しかしカツサンドにおける主役はカツで、パンはしょせん脇役。おいしいカツサンドの店といえばことごとくトンカツ屋さんなのがその証拠です。パン屋のわたしに果たして勝負に勝てるカツサンドが作れるでしょうか…。
「うーんうーん」
「どうやら困っているみてぇだな」
「お父さんとはしばらく絶交ですっ!」
 そう言いながら振り返りましたが、そこにいたのはお父さんではなく、ひょっとこのお面をつけた男の人でした。
「す、すみませんっ! 勝手に入ってきたのでお父さんと勘違いしてしまいました」
「本当に気付かねぇでやんの…。まあいい、俺の名は正義の味方・秋パンマン!」
「秋パンマンさんですかっ。お腹が空いている人に顔を半分あげたりするんでしょうか」
「ああ、やってもいいぜ。脳が飛び出て脳漿がこぼれ落ちても良ければな…」
「グロいですっ!」
「ところで嬢ちゃん、一人でパン作りは無理があるぜ。どうだ、ここはお前のかっちょいい親父を頼ってみちゃあ」
「昨日までかっちょいいと思ってましたけど、ついさっき幻滅しました」
「のおおおおおっ!!」
「それに…これはわたしの勝負です。わたしが何とかしないといけないんです」
 小麦粉に手を埋めて思い詰めるわたしに、秋パンマンは諭すように言いました。
「そうか…だがな、真の料理人ならば他人に教えを請い、他人の技を盗んで成長するもんだ。食う方にとっちゃあ自分の力だけで作った不味いもんより、他人の力を借りた美味いもんの方がいいに決まってるぜ」
「そ、それはそうですが…」
「そこでお前にこれをやろう」
 差し出されたのは、小さな小瓶でした。何かの液体が入っています。
「これは…酵母ですか?」
「おう。しかもただの酵母じゃねぇ。お前の命を救った場所、そこの緑から作った酵母だ」
「――!」
「名付けて、町の命酵母!」
 ま…町の命酵母…!
 そう言われてみると、町の想いや、そこに住む人たちの想いが詰まっている気がしますっ。
「使う使わないはお前の自由だ。使いこなせるかもわからねぇしな」
「そ、そうですね…。天然酵母はただのイーストより風味が増す代わり、発酵はさせにくいです…」
「じゃあ、やめとくか?」
「いえっ、やります! ありがとうございます、使わせてくださいっ!」
 元より坂上さん相手では、安全策など採っていては勝てるはずもありません。
 この強力な武器を使いこなすしかないですっ! そう決意したその時です。
「酵母ですかっ」
 いつもは天使のようなお母さんの笑顔が、この時ばかりは疫病神に見えました。
「それでは子泣きじじいから採取したこの妖怪酵母はどうですか?」
「むちゃくちゃ怪しすぎます!」
「でも、酵母にばかり頼ってはいけませんよ。昔から言うじゃないですか。『酵母にも筆の誤り』、なーんてねっ」
「……」
「ぷっ…くくっ…くすくすくす」
「………」
 灰になったわたしと秋パンマンの前で、お母さんは延々と笑い続けていました。
「わたし、コメディアンの才能もあるかもしれませんねっ」
「そうですね…。パン作りの才能と同じくらいには…」
「でも大丈夫ですよ、パンの道を捨てたりはしませんから。それではここでわたしのパンの歴史を振り返ってみましょう!」
「アルバムまで作ってたんですか…」
【栄光ある早苗パンの軌跡】
 おせんべいパン:記念すべき本編登場1号
 レインボーブレッド:七色の高貴な輝き
 きなこパン:煙幕にも使える優れ物
 タコスパン:タコと酢の絶妙なハーモニー
 パンパカパーン:おめでたいパン
 ドビルパン:フランス内相
 プロパン:ガス
「はぁ…あまりの才能にうっとりしてしまいますねっ」
「なんかパンじゃないのが混じってるんですけど」
「しかし立ち止まってはいられません。次のパンに取りかからなければ! ウンコ味のカレーパンとカレー味のウンコパン、渚はどっちがいいですか?」
「なんでいきなり究極の選択を迫られるんですかぁっ!」
「え…ウンコ味のウンコパンがいいというんですかっ! さすがにそれはちょっと」
「誰もそんなこと言ってないです! って、いつの間にか秋パンマンが消えていますっ」
 わたしたち親子のアホな会話に呆れてしまったんでしょうか…。な、何とかして美味しいパンを作ってお礼をしなくてはっ。

「ふわぁ…」
 うう、遅くまで試行錯誤していたせいで寝不足です。
 お昼になって購売に行こうとすると、廊下で話し声が聞こえました。
「坂上さん、休みだって?」
「ああ、なんでも伝説のおにぎり仙人に弟子入りに行ったとか…」
 ……。
 ほ、本当に勝てるんでしょうか…。
 重い気分であんパンの昼食を済ませ、教室に戻ると、クラスメイトの方の一人が声をかけてきました。
「古河さん」
 って、ええっ!?
 始業式以来、ずっと空気のような存在だったわたしに声をかけてくれる人がっ!
「はははいっ、なんでしょう! わたし何かまずいことでもしたでしょうか!」
「え? えーと、購買の後釜を賭けて生徒会長と勝負するって本当?」
 あ…その話ですか。いつの間にか広まっていたようです。
「は、はい、なぜかそんなことに…」
「ふーん」
「でも何とか勝って、購買にカツサンドを増やしたいです」
「えらい!」
 いきなり声を上げたのは男子の皆さんでした。
「頑張れ! 応援するぞ!」
「やっぱり昼はパンだよなっ」
「焼きそばパンも増やしてくれ!」
「ぜ、善処しますっ」
「そういや話すの初めてだね。年上だから話しかけづらかったけど」
「は、はいっ。わたしも下手に話しかけようものなら『ジュース買ってこいよダブリの古河』とか言われるんじゃないかと不安で不安でっ…」
「いや、こっちもそこまで悪党じゃないから」
「そ、そうですよねっ。すみませんすみませんっ」
 あっはっはっ、と教室中に笑いが響きます。
 ああ…まさに怪我の功名。こんなことで打ち解けられる日が来るとは思いませんでした。人生、何が起こるかわからないですっ。

 そしてその日の晩。
「そりゃあ良かったじゃねえか…で、何でそんなに暗い顔してんだ」
「そ、それはですね…」
 夕ご飯の卓を囲みながら、わたしは震える手で箸を動かします。お父さんと絶交してた気もしますがもうそれどころではありません。
「皆さんわたしに期待しているわけでして…。これであっさり負けでもしたら、『何がカツサンドだ古河のヤロー』と罵られまくることに…」
「かーっ、どうしてそう悲観的かね。もっと自信を持てや」
「そうですよ渚。なんならお母さんが作った『パン・ザ・ライトニングブレッド』を試してみますか?」
「…あまり聞きたくないけど、どんなパンなんでしょうか」
「名前がかっこいいパンです」
「…気持ちだけいただいておきます」
 わたしは食器を片付けて、再び厨房へ向かいました。
 作り方によっては発酵に十数時間かかるので、今夜のうちに作り始めなくてはいけません。
 こんな時にまた熱っぽくなってきましたが、町の命酵母を持っていると力が湧いてくる気がします。もう覚悟を決めないといけません。あと数時間、できるところまで工夫してみましょう――。


 そして勝負当日。
 先生にお願いして授業を抜けさせてもらい、生地を寝かせたり二次発酵させたりしている間に、早くも昼休みが来てしまいました。
 理科室の保温機から生地を取りだし、家庭科室へ向かいます。
「古河さんが来たぞ!」
「挑戦者入場!」
 うう…なんだか凄い人だかりです。注目の雨に縮こまりながら中に入ると、既に坂上さんが来ていました。
「よく逃げずに来たと言いたいところだが…。日本の伝統は私が守ってみせる!」
「米だって誰でも食べられるようになったのはつい最近じゃないですかっ。食文化は時代と共に変わるものなんです!」
「さあさあ、早く勝負を始めるわよ。昼休みは短いんだから」
 マイクを握って言ったのは、隣のクラスの藤林さんでした。どうやら司会らしいです。
「あたしの記憶が確かならば、米とパンは常に主食の座を争ってきたわ…。そして今、この場所で! それぞれの主食を手に激突する二人の女の子! 審査員としては直感派、理性派、そして通りすがりの電気工さんに来てもらったわよ」
「んーっ、楽しみですっ」
「栄養学的にはどうたらこうたらなの。なぜならタンパク質がうんたらかんたらなの」
「愛だ」
「さあ料理人たちよ、この家庭科室でその腕を思う存分見せつけるがいい! アレ・キュイジーヌ!!」
 は、始まってしまいましたっ…。
 生地は二次発酵まで済んでいます。プレートに並べ、家庭科室備え付けのオーブンへ。焼成時間は30分!
 一方の坂上さんも既にタイマーで炊いていたようで、炊飯ジャーから取り出したご飯を握り始めています。ほかほかご飯おいしそうです…って、敵に見とれてる場合じゃありませんっ。カツを揚げないと。
 しかし衣ができたところで、いい匂いが漂ってきました。
 体が引き寄せられてしまいそうです。まさかこれはそんなまさか…。
「や…焼きおにぎり――!」
「ふっふっ…そういうことだ。しかもただの焼きおにぎりではないぞ。米は有機無農薬栽培のコシヒカリを使い、醤油はたまり醤油に飛騨高山の朴葉味噌を少量加えたもの。そして紀州備長炭の炭火焼きだ! 中国産の炭とはわけが違うぞっ!」
「あうあうぅ…」
 こちらのカツは普通に肉屋さんで買ってきた肉です…。い、いえ、良い材料を使っただけで味も良くなるわけではっ。
「完成!」
「それじゃ審査員の皆様、どうぞっ」
 ぱくり、と審査員さんたちの口へ焼きおにぎりが運ばれます。わたしもよだれが出そうです。
 ゴゴゴゴゴ…
 な、なんだか学校が揺れてるんですが…。
「何という風味と香ばしさ! 匂いだけでも最高ですが、食べてみるとそれ以上ですっ! 完璧な焼き加減が生み出す見事な歯触り、んーっ、ブラボーですっ!」
「具の鮭に含まれるドコサへキサエン酸は体にもいいの。それにこ、これは…りんご! スライスしたりんごを間に挟み、炭火の遠赤外線により焼きりんごの風味を醸し出している! これが醤油の味と相まって見事な調和なの!」
「具だけではない、ご飯にも工夫が見られる! これは――舞茸ご飯か! 小さくした舞茸を少量加えることで、食感にアクセントを加えたのだ! これこそまさに通の味!」
『通!』
 三人がポーズを決める背景に、大きな通の字が浮かびました…。
「こんな至高の焼きおにぎりを作る私は女の子らしいと思わないか?」
「あらら、もう勝負は決まっちゃったかしらね〜」
「ふっ、確かにパンなど食べる必要はないな」
「ま、待ってください! どうしてそんなことがわかるんですかっ!」
 わたしの抗議に、電気工さんは前髪をかき上げます。
「ロックだからさ!」
(さ…さっぱり意味がわかりませんがもうダメです…)
 やっぱり最初から無理だったんです…。わたしみたいに何の取り柄もないドジでのろまなカメが、坂上さんみたいな勉強もスポーツも完璧で背も高い人と競おうだなんて…。
 そう、諦めかけたときでした。
「渚、ファイトッですよ!」
「お母さん!?」
 顔を上げた先にあったのは、お母さんのいつもの笑顔でした。
「心配になって応援に来てしまいました」
「ありがとうございますっ…。できれば応援だけに留めてくれると嬉しいです…」
「ここで大ピンチの娘のために、新作のパンを提供しましょう!」
「ああっやっぱり」
「ところでカニパンはカニが入っていないのにカニパンと呼んでよいものでしょうか。そう考えたわたしは、沢へ行ってカニを捕ってきたのです」
 そう言ってお母さんが掲げたコッペパンは、間で赤黒いものがわしゃわしゃと動いています。
「これが早苗パン24号! 生ガニパン!!」
「『生ガニパン!!』じゃねえよ!」「カニが動いてる動いてるよ!」
 クラスの皆さんから一斉にブーイングが飛び、審査員の方たちもそっぽを向きました。
「キモいですっ! 超最悪ですっ!」
「しばらくパンなんて見たくもないの」
(あああ…)
 そしてお母さんはその声も耳に入らず、カニをつついてうっとりしています。
 ぶつん
 とうとう、わたしの中で何かが切れました。
「お母さん…。いい加減にしてください…」
「はい?」
「お母さんは優しい人なのに、どーしてそんなパンばかり作るんですかっ! そんなの食べる人のことを全然考えてない…作ってる本人だけが楽しいパンじゃないですかー!!」
 きょとんとしているお母さんにさらに言葉を続けようとしたところへ、ひらりと人影が舞い降ります。
「まあ待て待て」
「秋パンマンさん、邪魔しないでくださいっ」
「確かに出来は悪いかもしんねぇ。けれど世界中がダメだと言うパンでも、家族だけは味方してやってもいいんじゃねぇのか?」
「いいえ、わたしが困るだけなら構いません。けれど身内が世間様に迷惑をかけるのであれば、身を張ってでも止めるのが本当の家族ではないでしょうか」
「ぐあっ、正論で負けた…」
「違いますか、秋パンマン…。わたしの言うこと、間違ってましたか…」
「追い打ちかけんなっ! ちっ、こりゃもう仕方ねぇ。早苗、いい加減諦めようや」
「え? え?」
 お母さんはおろおろしながら、わたしの目を見て恐る恐る尋ねます。
「もしかして…わたしのパンっておいしくなかったんですか?」
「今頃何を言ってるんですかーっ!!」
「がががーん」
 ショックを受けたお母さんは、その場によよよと泣き崩れました。
「そ、そうだったんですか…。渚にも迷惑をかけてしまいましたね…」
「い、いえお母さんっ…。わかってくれれば十分ですっ…」
「この罪を償うためにも、もっとおいしいパンを作り続けなければいけませんね!」
「あの…ホントにわかってますか?」
「今こそ、家族が力を合わせるときが来たようだな」
 秋パンマンはそう言って、ひょっとこのお面を投げ捨てました。その下の顔は――お父さん!?
「実は俺様は、お前の生き別れの父だったのだー!」
「そ、そうだったんですかー! でもいつ生き別れたんですか?」
「話のノリだ、気にすんな。それより渚、まだ勝負は終わってねぇ! 最後まで諦めるんじゃねぇぇっ!」
 そ、そうでしたっ! 一度焼き始めたパンを、途中で捨てるわけにはいかないんですっ…!
「そうですよ渚。それにトンカツは最初に高温の油で揚げて肉汁を閉じこめ、次に中温の油で中まで火を通すと美味しくできますよ」
「わ、わかりましたっ。さすがはお母さんです!」
「いえ、漫画に載ってたんですけど」
「…と、とにかく試してみますっ」
 クラスの皆さんが、パンを好きな人たちが見ているんです。せめて全力を出し切らなくてはパンに申し訳が立ちません。
 カツを揚げ、焼き上がったパンを取りだし、千切りキャベツと合わせてソースをかけ…
「これが――究極のカツサンドです!!」

 いよいよ決着の時です。家庭科室に緊張が走ります。
 が、あまりに緊張感がありすぎて、審査員さんがなかなか食べてくれません。
「冷めちゃいますっ」
「古河さん、そこに一つあるのは余りか? 私にも食べさせてくれないだろうか」
「あ、はい。どうぞっ」
 念のため作っておいた予備を坂上さんに渡しました。さすが会長さん、プレッシャーも意に介さず口に運びます。
「ど、どうでしょうかっ」
「……」
「……。あのぅ」
「これはぁぁぁぁぁぁ!!」
「わわわー!?」
 絶叫した坂上さんは、さらにカツサンドにかぶりつきました。
「何だこの風味は! 独自の主張を持ちながら、それでいてカツの味を妨げずむしろ生かしている! なおかつ口にしただけでまるで生命のごとき鼓動を感じるとは…。一体何の酵母を!?」
「は、はいっ。それはこの町の」
「まあ酵母は何でもいい! そしてカツも多少厚いだけの普通の肉にも関わらず、何という肉汁の旨味だ! まさに人生に勝つ!」
「ええとですね、お母さんが」
「そしてパンの形状! カツサンドというとどうしても衣がパンの端からこぼれてしまうが、バスケット型にパンを成型することでそれを未然に防いだのかっ…。敷かれたキャベツがテーブルクロスのようで、見た目的にも素晴らしい!」
「そのぅ…」
「それにしてもこのパンこの柔らかさっ…。ふわりと歯を包んだ後に到達するからっとしたカツの衣。まさに食感のファンタジーだ! こうも見事に発酵させるとは、まさか人並みはずれて温かいという太陽の手の持ち主!?」
「あ、実は夕べちょっと熱を出しまして」
「うぉぉぉぉ! この印籠が目に入らぬかぁぁぁぁ!!」
 坂上さんは叫びながら葵の御門の印籠を掲げました。印籠といえば助さんと角さんと…かくさんと…カツサンドー!?
「し、審査の結果は…」
 坂上さんに全部喋られてしまった審査員さんたちが、10点のパネルを掲げました。
「何だか凄かったから10点なの」
「愛だから10点」
「そこはかとなく10点ですっ」
「そこまで! 勝者、古河渚!!」

 か…勝ったんでしょうか…。
 何だか基準がよくわかりませんが…。え、ほんとに? だんごっだんごっ。
 拍手に包まれて錯乱しているわたしに、坂上さんが爽やかな笑顔で手を差し出します。
「見事だ、古河さん」
「い、いえっ! めめ滅相もないですわたしごときが」
「まさに究極のカツサンドだった。古河パンの本気度を試すため、敢えて厳しく当たったことを許してほしい」
「そ、そうだったんですか…。いえ、わたしだけの力ではないです。家族の応援があったからっ…」
 笑顔を押さえきれないまま後ろを振り向きましたが…視界に入ったのは、帰ろうとする両親の背中でした。
「お父さん、お母さんっ!」
「あんまり親が学校で目立つのもみっともねぇ。今日は退散するとするぜ」
「渚、帰ってきたらたくさんお話ししましょうね。今はお友達と仲良くしてください」
「は、はいっ…」
 クラスの皆さんが祝福に来てくれます。無力なわたしの作ったパンでも、絆を繋ぐことができました。
 その人の輪に囲まれながら、わたしは心の中でお礼を言うのでした。
(お父さん、お母さん、ありがとうございましたっ…!)


 こうして――。
 購買のパンは古河パンが作ることになり、お昼時にはお父さんが、ライトバンでパンを持ってくるようになりました。
 わたしは時々売るのを手伝ったり、自分でも焼いたり、クラスメイトからもっと安くしてくれと頼まれたりと忙しい毎日です。
 そして今日もまた厨房で、一家みんなでパンを作ります。
「評判はいいけど、カツ揚げんのめんどくせーなぁ…」
「お父さん、食べる人のためですっ」
「へーへー」
 お母さんも最近は大人しく、今も静かに生地をこねて…こねて?
「でぇーい! こんな平凡なパンばかり作ってられますかーっ!!」
「わーっ! お母さんが壊れましたーっ!」
「この天才パン少女である古河早苗が通り一遍のパンばかり作ろうとは、何という屈辱でしょうかっ!」
「どさくさに紛れて誰が少女ですかっ! ああ、また妙なのを作り始めてますっ…」
 よっぽどストレスが溜まっていたらしく、お母さんはどこからか取り出した怪しげな材料を入れて、猛然と生地をこねはじめました。その目はやたらと生き生きしてます。
「もうこりゃ止めようがねぇな」
「仕方ないです。お母さんのパンはわたしたちだけで食べましょう」
「なぬぅっ!? マジかっ!」
「マジですっ」
 げんなりした顔のお父さんですが、ほんとはお母さんの変なパンがちょっとだけ懐かしいような、そんな気がした古河渚でした。







<END>




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